ブログランキング・にほんブログ村へ

にほんブログ村 家族ブログへ

にほんブログ村 家族ブログ 舅・姑・小姑へ


ニックネーム:さら
年齢:50代
都道府県:大阪府
同居して20年。結婚して30年という節目の年に88歳の天寿を全うして姑は、旅立って逝きました。

»くわしく見る

バイオグラフィー
2013年05月12日(日)
幸せでした。
このブログを はじめて8年が、過ぎました。
それまでもHPで日記を書いていましたから10年あまり姑のことを
書き綴ってきました。

お参りに来てくださった日本画の お仲間には
「自分の好きなことだけして 言いたいこと言うて過ごさはった人
 でしたね。
 そんな風にしたいけど 人の目とか評判を気にして なかなか
 できるもんとちがいます」
と言われました。

姑と同年代のご近所さんには、
「ほんとうに親切にしてもらいました。
『こうしたらええで!』って言うて
 いろんなことを教えてもらいました」
と・・・。

そして来てくださった皆さんに
「大変やったでしょう〜」
とねぎらっていただきました。

本当に心底陽気で 自由気ままな姑でした。

でも そこには、が、ありました。

そのものでした。

だから憎めない。だから許せる・・・そんな人でした。

なので振り回されながらも笑える同居生活。

ネットが、あったから
「こんなおもしろい姑と同居しています」
と紹介したくなりました。

いつか終わりが、来るので それまで と思っていました。
姑のことだから90歳は、軽く超えて100歳まで生きるかもしれないと
思っていましたから早く終わりが、来てしまった・・・
という感じです。


ブログは、残しますが、更新は、もうないと思います。

これまで訪問してくださった皆さん

ありがとうございました。

姑と暮らせて本当に幸せでした!
2013-05-12 16:57 | 記事へ | コメント(2) |
| |
2013年05月11日(土)
お別れ3
入院するため家を出てから10ヶ月近く過ぎてようやく
お骨と写真に なって帰ってきた姑。

遺影は、実際の顔より小さくなるものですが、顔の小さかった
(全体的に小さい人でしたが
姑の遺影は、ほぼ実物大で しかも いつも通りの笑顔。

やせ細って人相も変わってしまった姑に見慣れてしまっていたので
「ああ・・・この顔!これが、お母さん!」
と元気な姑を思い出しました。

お参りに来てくださったご近所の皆さんが
「そのままの いい写真やね〜」
と 言いながら遺影に声をかけてくださっています。

覚悟した別れでしたから 悲しくは、ないのです。
でも楽しそうに笑っている姑に話しかけても返事が、ない・・・

当たり前のことなんですけど

それが、さみしいくて涙が、出てきます。
2013-05-11 13:12 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年05月10日(金)
お別れ2
姑を 送る準備を 3月からしてきましたので ほぼ思い通りに
やりたいことを全部して満足しています。

身内だけなので挨拶が大嫌いな夫に通夜、葬儀と喪主の挨拶してもらいました。
その文章は、私が、作成しました

にもかかわらず。
夫の通夜の挨拶を聞いて泣いてしまった私

最後のお別れという時、姑の頬に両手を当てて心を込めて
「ありがとう」
も言いました。

式場では、私たちが選んだ姑の写真をメモリアルとしてDVDで
紹介してくださいました。

その見せ方が、とてもうまくて・・・
義妹が
「こんなん見せたらあかんわ〜」
と泣いていました。 


ただ一つできなかったことと言えば・・・

「手を握って息を引き取るのを見守ること」
でした。

舅の時も夫と私が、家に帰っている間に旅立ったので
姑の最後は、見届けたかったのですが、あまりにも早くて
かないませんでした。

でもそれも そんな辛い目にあわしたくないという姑の配慮だったかも
しれないとも思うのです。
2013-05-10 19:34 | 記事へ | コメント(4) |
| |
2013年05月09日(木)
お別れ
一般的には、家族葬と言いますが、姑のは、親族葬でした。

舅姑の兄弟姉妹は、ほとんど亡くなっていますし健在だとしても
高齢なので列席できる健康状態では、なかったり自力では、無理だったり
します。

そんな中 不思議なことに 毎年GWは、海外に行く従弟が、
「今年は、なんか行きたくなかったんや それで本家の墓参りに行くことに
してたら おばちゃん(姑)が、亡くなったって連絡が、あったもんやから
予定どおり墓参りに行って(本家の)おじさん乗せて戻ってきた」
と和歌山に住む姑の従弟を 連れてきてくれたのでした。

姑の甥、姪(夫の いとこ)達は、全員が、通夜か葬儀のどちからに顔を出してくれました。

そしてまた不思議なことに 姑を慕っていた亡くなった従姉の
3人の子供達も
長女ちゃんが、偶然!帰省していて通夜の前に来てくれたり。
長男君と次女ちゃんは、 二人ともシフト制の仕事なのに
長男君は、通夜の日が、次女ちゃんは、葬儀の日が、これまた偶然!
休みで
「おばあちゃんとお別れが、できた!」
と来てくれました。

これも姑が、引き寄せたのでは、ないかと思います。

姑が、お別れしたいと思っている人。
姑と お別れしたかった人。
全員、そろいました。
2013-05-09 14:19 | 記事へ | コメント(2) |
| |
2013年05月06日(月)
姑の花として
姑の花 その3で


姑の花 その4で


この二つの花を紹介するつもりでした。

ところが5月3日 突然!別れがやってきたのです。
本当に突然でした。
その日の11時に面会に行き いつものように
「また来るからね」
と握手をし バイバイし合って帰りました。

その わずか2時間後 施設から
「急変しました」
と電話が、あり急いでかけつけましたが、間に合いませんでした。



5月5日 蘭と上の二つの花を 花束にして 棺に入れて送りました。

あまりにもあっけない別れに姑らしい潔さを感じるとともに
連休初日という仕事に支障のない最高の日を選んで旅立ちましたので
最後の最後まで私たちを気遣ってくれた人でした。
2013-05-06 11:15 | 記事へ | コメント(6) |
| |
2013年05月02日(木)
姑の花2
結婚した年に
「今、庭ですずらん咲いてるねん!」
と姑が、言った時
『大阪で すずらん?』
と疑いましたが、ホントに咲いていたのでビックリ!

一日中日陰になる場所は、目につく所でもないので これまで見たのは、
片手に余るくらい・・・

それが、今年も 可愛く咲いて 
「まだ健在だったのね

と感激する私



これまで姑が、手入れをしてきたからだろうけど
来年は、咲くかなぁ
2013-05-02 10:25 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年05月01日(水)
姑の花
姑が、元気な時 株分けして増やしに増やした蘭の鉢・・・。

しかし年と共に手入れしなくなって どれも鉢の中は、根だらけで
花も咲かなくなってしまいました。

それでも処分もせず気が、つけば ちょっとした空間が、あれば蘭の鉢が、
置かれているような状態です。

で去年の秋、植木屋さんに10数鉢の蘭を処分してもらいました。

残ったのは、2鉢。

一つは、この鉢が、なくなるとくくりつける場所が、無くなるからで
もう一つは、隅っこにあったので見落としてしまったものです。

その一つの鉢に花が、咲きました。
なにも手入れをしていなかったのにビックリ!です


姑の植えた花は、寒い中で水仙、クロッカスが、咲いていました。
2013-05-01 12:46 | 記事へ | コメント(2) |
| |
2013年04月29日(月)
安心するしぐさ
姑は、特に変わりなく起き上がれない、寝返りできない状態のままです。
それで介護士さんが、夜は、2時間おき、午前中と午後にも1回ずつ
向きを変えてくださっていて家では、できない介護をしてもらって
本当に ありがたく思っています。

そして何を言っているのか聞き取りにくさも変わらず・・・
行くと必ず言ってくれるのが
「見舞いにきてくれたのか?」
なのか
「迎えに来てくれたのか?」
どっちなのかわからないので
「迎えに来てくれた」と思っていたらどうしよう〜
とハラハラします

だた その後 目をつむってしまうので会話も続きません。
それで
「また来るわなぁ〜」
と握手をして帰るのですが、バイバイと手を振ってくれるだけで
「分かってるんだ」
と安心します
2013-04-29 10:42 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年04月21日(日)
ひいき目
最近、新聞でも介護問題が、よく取り上げられています。
先週だったか お嫁さんが、お姑さんの様子が、おかしい(認知症のようだ)と
旦那さんや義理のお姉さんに言っても
「他人だから そんな事を言う」
と分かってもらえないというような話が、紹介されていました。

親は、元気でいて欲しいという思いが、判断を鈍らせるようで
姑が、自力で起きられない状態になっても夫は、
「顔色ええし 元気そうで良かったわ〜」
と楽観的・・・。
一応 私は、”もうちょっと分かってよ”という思いを込めて
「自力で起きられへんのは、心配やわ」
とだけ言いました。

しかしさすがに前回書いたようにベッドから車いすに移されるときの
様子を見て
夫「かなり弱ってるなぁ〜」
と気づいたようです。

新聞記事のお嫁さんのように 分かってもらえず苦労されている方が、
大勢いらっしゃるのだろうなと思います。
2013-04-21 19:32 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年04月20日(土)
できること
その日、施設に行ったのは、夫の仕事の都合でお昼前になってしまいました。

行って間もなく
「食事なのでテーブルまでお連れします」
と二人の介護士さんが、ベッドから車いすに移してくださったのですが、
まったく体に力が、入らないようで頭さえ持ち上げようとしませんでした。

そんな風に お世話してくださっていることに本当に感謝です。

それほど動けないのに手は、自由に動くため
「自分のペースで食べたい」
と、食べさせてもらうことを拒否したそうです。

こぼすし時間は、かかるし・・・で、どれだけ食べているのやら

無理やりにでも食べさせてもらった方が、元気になると思うのですけどね。
2013-04-20 19:47 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年04月18日(木)
何が見えてるのか?
姑と話すために夫が、ベッドに近づくと
姑「にいちゃん、危ない!」
夫「何も危ないことないで」
姑「いや、そこは、危ない」
で、足下に移動する夫。
それでも
姑「そんなとこに おったら危ない」

ベッドの回りが、危険に見えているのか・・・

はたまた 夫は、なににつけても
「危ない、危ない」
と言って育てられたらしいので夫のすることが、全て危ないと
感じているのか・・・

そう言われるとベッドから離れるしかない夫

でも帰る時は、
夫「また来るわな」
と姑と握手。

その時は、危ないとは、言いません
2013-04-18 20:36 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年04月12日(金)
記憶に残ること
このところ姑が、気にしているのは、
体温計です。

下痢をしたとき微熱も続いたので その時たびたびされた検温の記憶が、
残っているようで行くたびに
姑「脇に挟まってる体温計取って」
と言います。

さら「無いよ」
では、
姑「そんなことない!あるはずや見て」
と納得しません。
で!
さら「さっき取って持っていかはったからもう無いよ」
姑「あ、そうか無いんか」
それで安心した顔になります。

でも”無い”という記憶は、残りません

※余談※
このように文章にすると 姑が、ハッキリ喋っているような印象に
受け取られると思います。
実際は、息の抜けたようなフガフガした喋り方なので かなり聞き取り
にくくなっています。
それでも否定するときは、大きな声を出しますが・・・
2013-04-12 19:36 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年04月11日(木)
ゆめうつつ その2
施設に入所後 頻尿でリハビリパンツになった姑。
でも下痢をしてから オムツになりました。

オムツになって間のない頃
姑「ここに たまご入ってる」
夫「そんなとこに たまごなんかないで」
姑「ここ たまごでゴロゴロしてる」
と下腹のあたりを触っています。

介護士さん「後で取ったげるからね〜」
で、納得しましたが・・・。

オムツの感触が、そう思わせているのでしょうけど
なんで そんなところに タマゴが、入る?

感覚が、現実的では、ありません。
2013-04-11 08:46 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年04月10日(水)
ゆめうつつ その1
その日 行くと
姑「さっき○○ちゃん(姑の妹)がな・・・」
と言うので叔母が、面会に来たのかと思ったら

姑「ここからな(ベッドの頭の方)から覗き込んでて落ちたような気がしてんけど」
夫「なんでそんなとこから落ちるねん」
姑「そうか。そう思ただけみたいやな」
さら「夢やったんちがうの」
姑「そうやな夢見ててんな」

舅が、ボケた時 霊感のある人に
「最後に近くなると こっち(現世)と あっち(来世)を ウロウロするや」
(それでボケたことを言うらしい)と言われました。

姑も そんな状態で”ゆめうつつ”なのかも・・・と思っています。
2013-04-10 13:39 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年04月09日(火)
収集癖
姑の居間を片づけたら あちこちから出てきた広告やカレンダー、
包装紙などで作った大量のメモ用紙。

戦後の物の無い時代を過ごしているため無駄にするのが、嫌で
裏が、白紙の紙をメモ用紙にしているのだと思っていました。

ところが、介護認定調査で
私たちやケアマネさんに
「収集癖は、ありませんか?」
と聞かれました。

施設でも(入院しているときも)朝食の牛乳パックのストローを
手提げ袋に溜め込んでいたので何度か処分しましたが、
気づいて下さっていたようでケアマネさんも
「今は自由に動けないのでしてませんが、ありました」
と返答されました。

「どんだけ溜めたら気が、すむんやろう」
とメモの束を見て思っていましたが、認知症による収集癖だったようです。
必要以上に溜め込んだのも そのせいだったのかと・・・と思うと同時に
いつからやったん?
という疑問が・・・
2013-04-09 10:08 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年04月08日(月)
介護度の変更
先月 施設から
介護度の見直し(区分変更)を 言われました。

今は、要介護2。
本来なら今年8月の見直しですが、自力で起きあがれないどころか
寝返りもできない状態なので区分変更をすることになりました。

認定調査当日
調査員の方に
姑「あ!○○さん」
10年ほど前に亡くなられている姑より年上だったご近所の奥さんの
名前を呼びました。
調査員さん「××市役所からきました」
姑「あ、××さんやった」
分かっている風に繕おうとしますが、間違えてます。
その上
姑「そうやこの人と日本画で一緒やった。この人上手やねん」
調査員さんも慣れたもので
「そうやなぁ〜一緒やったなぁ〜」
と話を合わせて下さっています。

で、質問が、始まりました。
年齢を聞かれると
姑「82歳」
また若返っています

施設の場所を聞かれると自宅の地域名を言いました。

今の季節は、秋だそうです。

お風呂は、毎日嫁が、入れてくれますって・・・
確かにお風呂にお湯を入れるのは、私でしたけど
それで
調査員さん「体もお嫁さんに洗ってもらうんですか」
姑「体は、自分で洗うよ」
調査員さん「ご自分で洗えるんですか〜」
姑「あたりまえやん!」

今は、ふらつきが激しいので何人もの介護士さんの手を借りて
入浴させてもらっているのに その記憶は、ありません。

そしてお料理も毎日しています・・・って

返答は、全て過去の記憶で しかも自信たっぷり!

肉体は、衰えても精神は、衰えないということを実感します。
2013-04-08 11:05 | 記事へ | コメント(3) |
| |
2013年04月07日(日)
読めない
家の中を片づけると あちこちから姑のメモが、出てくるように
書くことが、大好きでノートやメモ用紙などと鉛筆は、いつも手元に
置いて
テレビの情報をメモ。
頂き物をメモ。
来客をメモ。
思ったこともメモ。
「忘れたら大変」とメモ。
私が「それくらい覚えてられるやん」と思うことでもメモ。

とにかくメモが、日課のような毎日を過ごしていた姑だったので
施設に入所するときも便せんとボールペンを用意しました。

でも それを入れた場所を忘れてしまうので書くこともなくなってしまい・・・

先日行くと
「誕生花」のカードが、置いてありました。
介護士さん達の手作りのようで裏には、
「○○×子(姑の名前)さん 八十八歳 おめでとうございます。
 いつまでもお元気で」
というようなメッセージが、書かれていたので それを読み上げてから

それによると姑の誕生花は、だったので
さら「松って花と違うやんなぁ
   おかあさん花、好きやのに松って かわいそうに〜」
すると姑が、反応を示したので カードを渡すと しばらく
じっと見つめていましたが、
姑「何書いたあるか わかれへん」
と返してきました。

文字も読めなくなっているようです。
2013-04-07 10:40 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年04月06日(土)
用意周到その2
姑が、施設に入所してから少しずつ姑の物を整理してきました。

暖かくなったので その続きをしようと以前必要なものだけ残して
そのままになっているタンスを きちんと収納しようとしたら
包みの下にメモを発見!
何度も見ているタンスなのに そのメモに今まで気づきませんでした。

そこには、
「これは、母に もらった着物です。
 返したいので死んだ時 棺桶に入れてください」

「間に合った!気づいて良かった〜」
と思ったのですが、メモには、その続きが、あって

「もし棺桶に入れられなかったら絶対、燃やしてください」

間に合わなかった場合も考えていた姑。
やっぱり用意周到です

遺影は、却下しましたが、これは、姑の希望通りにします
2013-04-06 09:39 | 記事へ | コメント(2) |
| |
2013年04月05日(金)
用意周到その1
お別れの準備。

「まだ生きているのに」
と抵抗を感じる方も いらっしゃるかもしれませんが、
姑も前もって用意する人だったので お仏壇の引き出しを整理していたら
「葬式用の写真」
と書かれた封筒が、出てきました。

入っていた数枚の写真は、どれも かしこまった顔を しています。

以前から陽気な性格なのに かしこまった顔は、姑らしくないと
思っていましたから笑っている写真を探してみました。

10年ほど前のですが、姑らしい笑顔の いい写真が、ありました。
夫も気にいってくれたので葬儀屋さんの事前見積もりの時に見せると
葬儀屋さん「毎日見ることになる写真ですから笑っている方が、いいですよ」
で、その写真に決定です。

その後も参列して下さる皆さんに見てもらう写真を 選んでいると
20年ぐらい前のアルバムに
「死んだ時の写真は、これにすること」
というメモが、挟まっていました。
それは、着物を着た時の写真でした。

その当時は、気にっていたんでしょうね

姑にしたら昔の感覚ですから
「葬式の写真は、着物に決まってる!」
とか
「葬式の写真は、笑ろてたらアカン!」
と、思っているようなので
「なんでこんな写真にしたん!」
と文句を言いそうですが、姑の希望は、却下です
2013-04-05 09:52 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年04月04日(木)
”最後”を考える
姑は、70歳頃に心電図の検査で
「虚血性心疾患」
と診断されましたが、
「過去に患っている形跡が、ありますが、特に問題は、ないでしょう」
ということだったので気にもしませんでした。

姑と一緒にクリニックに行くようになってから
”虚血性心疾患”が、心筋梗塞や狭心症のことだとわかりました。

その他に持病もなく元気な姑でしたが、血圧は、高かったので 
ある日突然!脳卒中か心筋梗塞で別れの日が、やってくるのでは・・・
という心配と同時に覚悟もしていましたから今のように徐々に衰えていくとは、
思っていませんでした。

ですからお別れの時間を 頂いているようで ありがたく思っています。

夫は、
「生まれてきてんから死ぬのは、当然や」
と言います。

若くして病気で亡くなることや、不慮の事故で命を落とすことは、
不幸なことに違いありません。

でも姑のように88歳まで生きて衰えて亡くなることは、自然なことだと
思います。

別れは、辛いですが、感謝して送り出したいので できれば
「お葬式」では、なく「お別れ会」にしたい気分で その時の準備を
しています。
2013-04-04 11:42 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年03月29日(金)
分身?
最近面会に行くと
姑「おかあちゃんは、元気か?」
と聞いてきます。

私の実家の母のことを言っているのかと思って
さら「元気やよ」
と答えたものの帰りの車で
夫「”おかあちゃん”って どこの”おかあちゃん”のことを言うてんのやろな?」
疑問を確かめるべく

次に行ったときまた
姑「おかあちゃんは、どうしてる?」
と聞いてきたので
夫「どこの”おかあちゃん”のことや?」
姑「”うち”おかあちゃんや」
夫「うちのおかあちゃんは、ココにおるやん」
と姑を指さすと
姑「そうか」
と笑ってました。

どうも自分の分身が、いるらしい

20数年前、当時は、まだ認知症と言わず”ボケ”と言われていた時代
舅が、ボケ出したとき言ったのは、
「2階の おかあちゃん」と「台所の おかあちゃん」
「乗用車で帰ってくる○○君(夫)」と「軽四で帰ってくる○○君」
「ウチの さらちゃん」と「マンションの さらちゃん」
(その当時 夫と私は、すぐ近くのマンションに住んでいたので)
と家族全員が、二人いることになっていました。

でも姑は、自分自身が、二人になっています。
認知症の出方は、ホントに様々です。
2013-03-29 20:00 | 記事へ | コメント(2) |
| |
2013年03月24日(日)
昨日のことなのに
姑が、食べられるようになって安心した翌日 姑と長いおつきあいを
してくださっている おばあちゃまが、施設に行ってくださいました。

施設から面会に来てくださった方を 知らせてもらうことは、ないのですが、
そのおばあちゃまは、手土産を持ってこられていたため職員さんが、
その取扱いに困って電話してこられたのでした。

旧知の仲なので受け取ってもらうようにお願いしました。

それで姑の様子を知りたくて お礼かたがた そのおばあちゃまに
電話してみると・・・。

姑の変わりように驚かれ姑だとは、思えなくて戸惑われていたら
姑の方から「○○さん」と声をかけたそうです。

古いおつきあいの方の記憶は、あるのが確認できました。

ところが
おばあちゃま「だれも来てくれへんって言うたはったよ」

う〜〜ん やはり私たちが、行っていることも覚えていませんでした。
でも姑が、すぐに忘れるという話を 以前からそのおばあちゃまにしていた
こともあって
おばあちゃま「○ちゃん(義妹)や さらちゃんや○君(夫)が、来てくれてるやないの」と言ってくださったそうです。
すると「そうかなぁ〜」と答えたそうな・・・・。

で、その翌日施設に行くと
夫「昨日○○さん来てくれはったやろ」
姑「来たはれへんよ」
夫「オカンと話したって言うたはったで」
姑「私と話できたん。そら良かったわ」
なんか他人事・・・

帰り際
姑「ここは、阿倍野の近鉄百貨店か?」(なぜそうなる?)
夫「○○(住んでる市)や」
姑「○○なんか行ったことないわ」
夫、私「なんでやねん!」
思いっきり突っ込んで帰りました
2013-03-24 22:09 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年03月23日(土)
衰えない部分
ハラハラしながら一週間を過ごしましたが、昨日施設に行くと
下痢が、止まって食べられるようになったため元気さを取り戻していました。

でも起きあがる力が、ないのでずっとベットに寝たままです。

しばらくは、大丈夫だと思うのですが、こんなことを繰り返しながら
その日を迎えるのだと思いました。

そんな状態なのに
姑「家に帰ったらなんでもするから連れて帰って」
と言います・・・無理!
動けないという自覚が、ないのも認知症のせいだと思いますが、
それでも
「なんでもする」
と言う気持ちは、いつも人の役に立ちたいと思っていた姑の生き方の
根本が、衰えていないのを感じました。
2013-03-23 21:05 | 記事へ | コメント(2) |
| |
2013年03月21日(木)
備えあれば・・・
先週の金曜日 施設に行くと総師長さんから
「下痢が、続いて体重も26.5sまで減ってしまったので内科的検査を
希望されるのなら入院させるのは、今ですよ」
と言われました。

でも昨年 入院して検査しても悪いところが、見つからなかったのですから
そのことを伝えると
「ここまで体重が、減ると突然呼吸が、止まる可能性もあるので覚悟してください」
と いうことで看取りの承諾書にサインしてきました。

切羽詰まってきた感じが、あるので夫に
さら「急に決められへんと思うから葬儀場で事前見積もりしたいねんけど」
おそるおそる言ってみると
夫「ええで。オカンも前もって準備する方やったから文句ないやろ」
と言ってくれたので二人で葬儀会場へ相談に行ってきました。

家族葬と言っても結構費用が、かかるものです
でもおおよそのことを決められましたから気が楽になりました。

少しでも先になることを願っていますが、避けて通れないものです。
備えるにこしたことはないと思いついたことから準備をしていますが、
毎日のように目頭をウルウルさせています。
2013-03-21 21:59 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年03月12日(火)
不調のようです。
いつ行っても寝ていた姑が、年明け頃からお昼過ぎだと昼食後も
そのままデイルームに居たりして元気にしていたのですが、このところ
寝たままでアメを 欲しがる事も無いので夫からアメを食べに詰め所に
行こうと誘っても車いすまで移動している間に
姑「何しに行くの?」
と忘れるほどになってしまいました。

義妹が、来てくれているのも全く覚えていないので
さら「こないだ○子さん(義妹)きてくれたやろ」
姑「来てへんで」
さら「洗濯物取りに来てくれてるやん」
姑「ホンマか?ウソばっかり!」
完全否定です

そして先日 行くと・・・
看護師さん「このところ 全くといっていいほど食べられてないです。
      それなのに下痢で・・・。
      それと幻覚が、見えるようで
      『虫が、いている!』
      と言われるんです」

それを聞いてから部屋にいくと私たちが、来たのを喜んでくれましたが、
起きる元気もなく寝てましたが、
姑「天井に虫いてる!虫の大群や〜」

看護師さんの言われたことは、本当でした。
思わず
さら「何もいてへんから大丈夫やよ」
と言ったのを聞いていた介護士さんは、
「後で殺虫剤持ってくるわな〜」
と答えられました。

そして
介護士さん「否定しても虫が、いていると思っているから納得されませんよ
      芳香剤でごまかしますから次から
      「殺虫剤持ってきてもらうように言うわ」
      のようなことを言ってください」
と助言してくださいました。

季節の変わり目の不調であって欲しいです。
2013-03-12 11:16 | 記事へ | コメント(4) |
| |
2013年02月24日(日)
もうすぐ半年
姑が、施設に入所してもうすぐ半年。

最近は、施設に慣れたのか
「いつ帰れる?」
と言わなくなりました。

でも入所している施設は、老健(介護老人保健施設)なので入所期間は、
最長9か月。
なので施設に入所するとき当時のケアマネさんに市内のすべての特養
(特別養護老人ホーム)に入所の申請を してもらったのですが、これまで
どこの施設からも何の連絡も無く
「ちゃんと申請は、受け付けてもらえているのかな?」
と気にしていました。 

ところが、先日一つの特養から電話が、かかってきました。

すぐに入所ということでは、ありませんでしたが、姑の状態を聞いてこられ
「また連絡します」
ということで ちゃんと受理されていたことが、わかって安心しました。

期限が。来る前に特養に入所が、決まればいいのですが、介護士さんにも
よくしてもらっていて せっかく慣れた施設を変わるのも可哀想な気もします。
2013-02-24 11:30 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年02月09日(土)
豆は、何個?
節分には、太巻きとイワシ そして豆を 数え年プラス1個食べることを
ずっとしてきました。

ちょうど節分の日に施設へ行ったので・・・

夫「今日は、節分やな。
  オカンは、豆、何個食べるねん?」
姑「え?何を?」
夫「豆は、何個?」
姑「・・・・」
夫「89や」
夫「89も豆、食べられるか?」
姑「それくらい食べられるわ〜煮た豆やろ」
夫「節分の豆や」
姑「そら無理や」

豆何個?と聞かれてもピンとこないような
通じているようで通じていない会話です
2013-02-09 09:09 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年01月30日(水)
自己主張
私たちが、行くと必ずアメを催促する姑。

毎回 詰め所に連れて行ってアメを もらうように教えているつもり
ですが、覚えられません。

今回も詰め所でアメをお願いすると
介護士さん「どのアメが、いいかな?」
姑「どれでもええ」
介護士さん「そしたら私の好みで」
と渡されたのは、いちごミルク
しかし!
姑「そんなん要らん」
さら「なんでもええことないないやん!」

こういうところは、今までと一緒

自分の意思は、ハッキリしいるのに
「なんでもええ」とか「どれでもええ」
と言って謙遜しているのか みんな自分と同じことを考えているから
なんでもええと言えば 思い通りになると勘違いしているのか・・・

で!
介護士さん「そしたらどれにします?」
とアメを入れたビンを 受け取ると3個出した姑。
介護士さん「3個はダメです!」
姑「そしたら2個、いっぺんに2個食べられる」
介護士さん「ダメです!」 

それで1個もらうと
姑「さあ戻ろ」
さら「アカンって」
姑「なんで?」
さら「部屋に帰ったら寝るから ここで食べて」

結局自己主張の連発です
2013-01-30 19:52 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年01月27日(日)
名前
寒くなり始めた頃 姑が、使っていた暖房器具を出すと
電気ストーブとファンヒーターの裏に 夫の名前が、書かれてありました。
しかもストーブの方には、大きな文字で

姑は、これまでも持ち出しそうなものとか 屋外で使うものの多くには、
苗字ぐらいは、書いていました。

電化製品など買えば、必ず購入年月を書いていました。

私の実家では、両親の記憶力が、良かったせいか 
「これは、いつ買った」
と覚えているため購入月日など書いたことが、なかったので結婚したとき
室内の いたるものに年月が、書かれているのを見てびっくりしました

でも名前まで書いてあるのは、見たことが、ありません。

達筆とは、いえないにしても しっかりした文字を書く人だったのに
暖房器具に書かれていたのは、ふにゃふにゃの文字。
先シーズンに書いたようです。

マジッククロスや、水垢とりのスポンジなどを使って名前を目立たせなくしました。

年末になってお正月 義妹夫婦が、来たらいつものように姑の居間で
くつろいでもらおうと慌ててコタツを出したのでその時は、全く
気づかなかったのですが、先日コタツ布団の上掛けのラベルにまで
ふにゃふにゃの文字で夫の名前が、書かれているのを発見!

名前を書くことで”ウチ”のモノだということを示す安心感でも
あったのでしょうか?

施設では、持ち物全てに名前を書くことになっているので
姑には、安心感とか 心地よさが、あるのでは、ないかと・・・
2013-01-27 10:00 | 記事へ | コメント(0) |
| |
2013年01月22日(火)
優しさも・・・
私たちが、行くと必ずアメを要求する姑。

施設では、
「喉詰め防止のため部屋でアメを食べないように」
という貼り紙が、してあります。

さら「寝ながら食べるからダメです」
と言っても
姑「内緒で くれたらええやん」
悪知恵は、働きます。

さら「この前も介護士さんからアメもらったやろ」
姑「そうやったかなぁ〜」

詰め所へアメをもらいに行くと いつもは、デイルームで
食べさせてもらっているのに
介護士さん「ココで食べて」
と 詰め所のカウンタ前に座らされる姑

デイルームだと他の おばあちゃんも居るので
「みんなにアメあげて」
と言うらしいんです。

もともと独り占めするのが、嫌いな姑。
施設では、食事の管理を されているので食べ物の持ち込みは、
禁止されています。

でも姑は、食べないから持ち込んでいるということを 理解できません。
一人で食べるのは、悪いから一緒に食べようとする
その優しい気持ちは、ココでは、迷惑です。
それで詰め所前となりました

それでも介護士さんに
姑「あんたも一緒に食べ」
と勧めているようです
2013-01-22 19:40 | 記事へ | コメント(0) |
| |
次へ