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ニックネーム:さら
年齢:50代
都道府県:大阪府
同居して20年。結婚して30年という節目の年に88歳の天寿を全うして姑は、旅立って逝きました。

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バイオグラフィー
2012年09月30日(日)
その場しのぎの方法
施設に行くたびに姑が、
「明日、帰れるか?」
と聞いてきます。

すでに書いたように
「しっかり食べれて しっかり歩けるようになったら」
と言っていましたが、最近 しっかり歩いているようなので

「おかずもしっかり食べな帰られへんよ」
と言うようにしています。

家で気ままな生活をしたい気持ちは、よ〜くわかりますが、そうすると
また食べなくて入院前のフラフラ状態に戻って衰弱していくだけになります。

姑の体のために そして私の体のためにも
「ずっと施設に居て」
と言っても今の姑には、理解できませんし たとえ わかりやすく
説得したところで翌日には、忘れているだろうと思うと 説得する
気にもなりません。

忘れるので その場しのぎを続けていくしかありません。
だからこそ その時だけでも
「ホンマに そうやね」
と納得してもらえるような言い方(理由)が、他にないものかと思案しています。
2012-09-30 13:54 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月29日(土)
台所事情
姑が、料理好きだったので 同居後 ずっと台所は、姑のものでした。

でもキッチンマット テーブルクロス スリッパなどには、興味が、
なかったのか それらは、私の趣味のモノを買うことが、できましたが、
収納は、全て姑仕様・・・。

私が、病気になってから自分の身を守るために食事を作るようになったので
少しずつ収納を私好みにしてきました。

その後 姑が、収納した不要なモノを いっぱい捨てましたが見た目の変化は、
ありませんでした。

最近やっと涼しくなってきたし 姑は、施設に居るので遠慮もありません
一番気に入らなかったシンクの出窓の棚を処分し カゴだけにして
スッキリ!
この棚のために窓の半分近くを遮られて薄暗らかったのが、解消しました

使っていないモノを捨てたことで収納に余裕が、できて流しの横の棚のモノも
入るようになったので この棚も処分してスッキリ!

ようやく私好みの台所になりつつあります。
同居から20年もかかりました
2012-09-29 10:38 | 記事へ | コメント(2) |
| わ・た・し |
2012年09月27日(木)
施設の生活
入所した時より 食べられるようになって車いすから歩行器になった姑。

ふらつきも改善しているらしいく調子の良いときは、歩行器が、なくても
スタスタ歩いているらしいです

それに昼間、寝てばかりだと夜は、2時間ぐらいしか寝ないで ウロウロ
ゴソゴソと動き回るらしいので昼間は、寝過ぎないようにしてくださって
いるとか。

家では、私たちの言うことも聞かずに 好きなものしか食べず 
デイに行かない日は、寝てばかり・・・

そんな気ままな生活とは、違って健康管理と体の機能を維持した生活を 
してもらって介護士さんに感謝しています。

最初は、四角四面で決まりに厳しい介護士さんも顔を合わせるごと
また姑の状態が、わかってくるごとに緩くなってきて食べ物の持ち込み禁止
のところジュースだけは、許可が、でました。

姑には、居心地の悪いところかもしれませんが、私たちは、安心して生活できます
2012-09-27 09:42 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月18日(火)
施設の利用
姑が、デイサービスに行きだした時、何人もの ご近所さんから
「最近、おばあちゃん見かけへんけど元気?」
と聞かれました。

それでデイに行っているということが、知れ渡ったので入院したのも
気づかれませんでしたし 施設に入ったこともまだ知られてないと思います。

姑が、施設に落ち着いてから
夫「○○さん(今年隣組班長さんのお宅)のおじいちゃんは、よう見るけど
  おばあちゃんは、最近 見てへんから ウチみたいにどっかの
  施設に入れはったんちがうか?」

そういえば・・・と その おばあちゃんとデイサービスが、同じだった
実家の母に聞いてみると
母「もう だいぶ前から来たはれへんよ」
と言うので

「施設に間違いないね」

夫とそのような話しをしていた時に 実家の父が、入っているグループホームの
敬老の日の催しに義妹(弟の妻)と出席したら その おばあちゃんが、いました!

夫と同い年の娘さんと顔を合わせて
「こんなところで会うなんて・・・」
と いう感じでした

ご近所の おじいちゃん、おばあちゃん達は、施設に消えていきます。
2012-09-18 10:09 | 記事へ | コメント(2) |
2012年09月16日(日)
効果無し
姑に食べさせるために夫は
「食べへんかったら死ぬで!」
と言うのですが、姑は、

「こんな長生きするとは、思えへんかった もういつ死んでもええ」

と思っているので夫の言い方では、効果が、ありません。

入院してから(今もですが・・・)私が、言うのは、
「食べへんかったら お家に帰られへんよ!」

家に帰りたい姑は、
「わかった!しっかり食べる!」
その時は、そう言うので食べてくれるかと期待するのですが、
そんな気持ちも持続しないため結局、効果は、ありません〜

食べたいと言うのは、ロールケーキのような甘くて 噛まなくても
いいようなモノ・・・。

しかも
「小食やから こんでええねん」
とか 
「家の方が、食べられるで」
とか口は、達者です。

今も食べてないようで食べ物の持ち込みを禁止されている施設ですが、
「持ち込み可」になりそうです
2012-09-16 10:24 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月15日(土)
介護する側
施設では、歩くリハビリを している姑。

家にいた時から 膝折れ と 上半身のふらつきが、あってその状態が、
ひどくなったので入院しましたが、原因が、わからないので治っていません。
ただ入院して家では、ふらつきながらも歩いていた状態に戻りました。

その状態でリハビリの先生に
「転倒のおそれが、あるのでリハビリで脚力がつくまで移動は、車いす」
と判断されて施設では、車いすを使っている姑。

他にも 失禁パットさえ嫌がったのに頻尿ということで
リハビリパンツに変えられ、

食べ物は、同室の人が、食べる可能性もあるので持ち込みできず
姑は、苦痛に思っているかもしれません。

それに部屋に洗濯物を置いてあると気になるのか すぐにさわろうとするので
詰め所預かりになったり

危険なことやトラブルになりそうなことは、排除される施設のやりかたを見て
今まで私たちの都合で姑から いろんなものを取り上げてきたことを
気にしていましたが、それで良かったんだと思うことが、できました。

我慢させられる姑には、かわいそうですが、介護する側が、我慢して
いたら続きませんもの。 
2012-09-15 16:37 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月13日(木)
伝えたいこと
私のために姑を施設に入れることを同意してくれた夫ですが、
私に優しい夫は、姑にも優しいのは、当然のことで 施設に入所して
数日が、過ぎると・・・

夫「オカンが、いてないと寂しい」

親なんですから そうでしょう。
それが!
夫「そのうち外泊さしてやってくれよ。
  オカンも帰りたがってるねんから」
その後に・・・
夫「おまえは、他人やから平気やろうけど」

そこで ムカッとした私。
さら「今まで家のことは、なぁ〜〜んもせんと私が、どんだけお母さんの
   矢面に立ってきたか わかってんの?!」
夫「そんなん嫁さんやったらあたりまえのことや」

それでますますヒートアップ

さら「お母さんの言うことが、気に入れへんかったら怒るだけ
   汚いことしたら逃げるだけやったやん!」
その言葉の中には
「そやのに オカンが、いてないと寂しいなんか言わんといて!」
という気持ちが、入っていました。

そこまで言うと
夫「確かになぁ〜」

そこでその会話は、終了したものの 
さら「ちがう、ちがう!夫を責めて自分のことを理解してもらおうとしても
   なんも解決せえへん。
   お母さんを外泊させるために伝えなアカンことは、なんやろ?」
と考えました。

次の日
夫「昨日は、言い過ぎた。
  オカンのことは、おまえに任せる」
と言ってくれたので
さら「お母さんを 外泊させへんって言うてへんのと違うよ。
   家に帰ってきたとき、あなたが、
   『何でもします』
   という覚悟が、あるかどうかやねん。
   連れて帰ってきて
   「ほな頼むで〜」
   で何もせえへんって言うのは、無しやからね」
夫「それは、わかってる。わかってんねんけど・・・」
さら「逃げたい?」
夫「うん」

これまで通り できるだけ気楽に暮らしたいと思う夫。

今すぐのことでは、ないので時間をかけて覚悟してもらいましょう
2012-09-13 21:33 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月10日(月)
施設の印象
義妹の姑様は、誰も何も分からなくなるほどの認知症でした。
10年ぐらい前に亡くなられましたが、晩年の7年ほどを施設で過ごされました。

義妹の施設の印象は、その時のものなので姑を施設に入れると決めた時は
「まだ しっかりしている部分もあるのに施設は、可愛そう」
と言いました。

入所3日目に施設に行ってくれた義妹。
その日のメールには、
「おばあちゃんが、いっぱいいて安心しました」

姑の入っている階は、手押し車や歩行器が、必要でも一人で行動できたり
車いすでも おしゃべりは、しっかりできる そんな おばあちゃんが、
大勢いらっしゃるのでデイルームは、にぎやかです

暗い雰囲気が、無いので義妹も安心してくれたのだと思います。

今のところ フラフラグラグラした体でベッドからすぐ離れる 
タンスの上のものを取ろうとする 何度も そそうをする・・・
そんな姑が、一番問題児・・・いえ問題婆、のようです
2012-09-10 20:01 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月08日(土)
まわりの反応
姑が、デイに行き始めた頃、ご近所さんに
「おばあちゃん見かけへんけど元気?」
と よく聞かれました。

その時にデイに行っていることを知ってもらえたので入院していても
誰にも気づかれないまま介護施設に入所することが、できました。

施設に入所することが、確実になった時、
夫「施設に入ったら近所の人に聞かれたら言う」
と決めてくれたので私も そうすることにしました。

入所前日が、書道の日だったので教室に行くと姑と古いお付き合いを
してくださっている おばあちゃまが、いつものように
「おかあさんは、どうしたはりますか?」
と聞いてくださいました。

それで施設に入所することになったことを説明すると
「しかたないわねぇ〜。あなたの体のこともあるしね」

そして書道教室からの帰り、今度は、姑と一緒に日本画を習っていた方にも
駅前で会いました。
また姑のことを聞かれ 同じように答えると
「あなたの体も大事だし そうなってしまいますよね」

お二人とも私の体を気遣ってくださるとともに姑を施設に入れることを
理解してくださったので施設が、特別なことではない時代になったの事を
感じました。

ただ親戚からは、
「かわいそうに」
とか
「家に連れてかえってこれないのか」
とは、いわれました。

身近な人の方が、厳しいです
2012-09-08 17:15 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月07日(金)
無事入所
退院と同時に介護施設へ行くことになっている事を知らない姑。

家に帰れないと分かると施設へ行かないと言い張られる心配が、あるので
退院当日、病院に行ってから

さら「先生が、しっかり食べて しっかり歩けるようになってから
   家に帰ってくださいって言うたはるから今からリハビリする
   施設に行くことになってるねん」
姑「なんでぇ〜家に帰る〜」
さら「しっかり歩かれへんのに帰られへんよ」
姑「家に帰ったら歩けるで」
さら「先生が、言うたはるからアカンねん」
姑「どこの病院へ行くのん?」
さら「病院ちがうよ 施設」
姑「施設・・・」

施設というものが、理解できないので
姑「どこの病院に行くのん?」
と何度も聞かれました。

看護士さんにも
さら「施設で しっかり食べて しっかり歩く練習するように言ってください」
とお願いして姑に声を かけてもらと
姑「ハイ!」
と返事をしていましたが・・・わかってないよね

退院手続きを済ませて施設に向かいました。

施設では、病院からの資料を基に施設のお医者さんの面接が、あって
私たちが、これからことを決めている間に姑は、朝の体操に参加させられいていました
デイに行っていたこともあって一緒に手を動かしています。

なじんでいるようなので心配無いと判断して私たちは、そのまま帰りました

おかげさまで無事に入所しました。
2012-09-07 21:00 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月03日(月)
ようやく前進!
先週の金曜日、待ちに待った介護度の変更(区分変更)が、届きました。
結果は、

要介護2

施設入所の最低ラインです

早速!施設に連絡すると
「またこちらから連絡します」
とのこと・・・。

しかし 何の連絡もないまま土日と過ぎて退院の日を9月8日と
決められいるので間に合うのか だんだん心配になってきて
月曜日の朝 ケアマネさんに相談すると

「こちらも何度か連絡を取っていますが、入所は、間違いないですよ」

そう言われて もう少し待つことにしました。

その日の午後にやっと連絡が、あって
無事!入所できることになりました〜

やっと前進します。
2012-09-03 21:36 | 記事へ | コメント(0) |
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