ニックネーム:さら
年齢:50代
都道府県:大阪府
同居して20年。結婚して30年という節目の年に88歳の天寿を全うして姑は、旅立って逝きました。

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バイオグラフィー
2012年08月22日(水)
これで良かったの?
姑が、施設に入れる可能性が、高くなって

「これでよかったのかなぁ〜」
という思いが、湧いてきます。
「もう少し頑張れたかも」
という気持ちもあります。

夫も義妹も
「もう少し家で・・・」
と思っているのも感じています。

それと同じくらい今の私に無理は、させられないと
思ってくれているのも分かります。

入院した時よりは、元気になっている姑。

だからといって家で今まで通りの生活が、できるのか
不安です。

施設で暮らすことに姑が、納得してくれるか
それも心配します。

夫、義妹、私・・・みんな気持ちの整理が、つかなくて
モヤモヤしています。

そして
「私が、元気だったら姑の思い通り暮らせたんだろうなぁ〜」
と思うのと
「頑張りすぎて私が、先に・・・」
ということにならないための病気だったのかな?
と良いように考えたり。

なかなか
これでいいのだ!
と割り切れないものです。
2012-08-22 09:31 | 記事へ | コメント(5) |
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2012年08月21日(火)
施設探し4
介護老人保健施設に行くとベテランの相談員さんが、待っていてくださり
まず姑の様子を聞かれました。。

これが、入所に必要な面接です。

その相談員さん、姑の状態には、
「年齢的は、そんなもんですよ」
という感じで すべて好意的に受け取ってくださいます。
 
私の体も気遣ってくださって なかでも姑が、食べないことで
さら「私の体のために減塩にして夫の体のために低カロリーにした
   食事だったので姑が、余計食欲不振になったのかもしれないと
   反省しているんです」
というと
「もともと食欲が、無かったんだから あなたのせいじゃないですよ」
と言ってくださったのが、とてもうれしかったです。

審査には、お医者さんの診断書が、必要だったので姑の入院する病院に行き 
準備は、完了。

審査を待つことになりました。
2012-08-21 22:00 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月20日(月)
施設探し3
クリニックの先生に すすめられたように市の福祉協議会へ
介護老人保健施設のことを相談しに行こうとしていた日
ケアマネさんが、特養のことで来られました。

それで そのことをケアマネさんに伝えると

ケアマネさん「福祉協議会からケアマネに相談するように言われますから
       私から施設のことを キチンと説明させてもらいます」

ということになって福祉協議会ではなくケアマネさんの事務所に
行くことになりました。

夫は、それでも自社の介護付き有料老人ホームをすすめられるのだろうと
不機嫌でしたが、行ってみると

ケアマネさん「市内にある介護老人保健施設に問い合わせてみたところ
空きが、あるそうですから説明を聞きに行かれますか?」

思ってもみない展開になりました。

時間に猶予もないので すぐに施設に向かいました。
2012-08-20 19:38 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月19日(日)
施設探し2
特養に入所するまで どうするのか・・・
今度は、毎月お世話になっているクリニックへ相談に行きました。

先生に特養に入所できるまでケアマネさんが、自宅で介護してはどうか
と言われていることを言うと
先生「それは、おすすめしません。あなたの体では、無理でしょう」

姑の気持ちを考えると自宅で介護することも考えていたのですが、
先生にそう言われて やっぱりダメだと気持ちが、定まりました。

それで 教えてくださったのは、
介護老人保健施設

その施設ことを知っていましたが、施設に違いが、あるなんて・・・
知らないことばかりです。

介護老人保健施設は、入所期間に期限が、あるという以外は、特養に似ています。

そして
先生「ケアマネさんが、動いてくれないのなら市の福祉協議会へ行って
   相談しなさい」
と言われて そういう手もあるのだと知りました。

いろんな人に相談してみるものです。
2012-08-19 19:30 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月18日(土)
施設探し1
姑を施設に入れると決めたものの施設に詳しくないので手探り状態です。

それに姑のケアマネさんは、介護会社に所属されている方なので 
自宅介護が、無理ならその会社が、経営する介護付き有料老人ホームへの
入居を すすめられます。

でも毎月の費用のことを考えると即答できません。

費用の面と隣の市にある施設で義妹が、行きにくいこととに加えて
夫「なんで自社の施設しか紹介せえへんねん」
と不満ばかりです。

思案していると医療関係の方に
特別養護老人ホームを
すすめられました。

特養と呼ばれていることしか知りませんでしたが、それがすぐ近くにある
老人ホームで私の叔父や叔母が、利用していたところです。
さっそく見学に行きました。

夫が、たいそう気に入ったのですが、介護度の高い人を優先されるので
介護度の見直しの結果が出て介護度が、あがったら申し込むことにしました。

結局いつ入所できるかわからないので それまでどうするか・・・
施設探しは、続きます。
2012-08-18 20:05 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年08月16日(木)
お肌の曲がり角 ではなく
入院する時、渡された問診票に目を通すと家族などの連絡先も
書かなければならなかったので これは姑には、無理と判断して
私が、書き始めると自分で書くと言う姑。

でも
さら「ウソ書いたらアカンから私が、書きます」
で書き込んでいるのを横から見てて
姑「私87歳違うで86やん」
さら「なに言うてんの来年88歳になるねんよ
   ほらもう間違えてるやん」
姑「そうやったんかなぁ・・・」

85歳から ずっと1歳 間違えています。
誕生日に本当の年齢を教えても覚えてません。

それが、先日 介護度を変更をしてもらうための審査を受けたところ
年齢を聞かれてハッキリと!
姑「84歳!」
さら「若返ってる〜〜

84歳は、間違い始めた年齢です。
その頃が、姑の”老い”の”まかり角”だったようです。
2012-08-16 19:40 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月15日(水)
理想と現実
全ての検査を終えて出された結果は、

「どこにも異常が、みられませんでした」

夫「あのふらつきは?」
主治医「わかりません」
夫「食べなかったからですか?」
主治医「そうとも言い切れません」

で!
主治医「今すぐでなくていいですから退院の方向でお願いします」

そう言われてもねぇ・・・治ってないのに

それに入れる施設が、まだ決まってません。

それでケアマネさんに相談すると
「施設が、決まるまで自宅で介護されますか?
 それならベッドをレンタルして病院のような環境にする方が、いいですよ」
とか
「毎日デイに来られたら歩くリハビリもしますし」
とか
「刺激が、あれば夜もよく寝てもらえると思います」
とか言われて
さら「それもそうだなぁ〜」
と思いました。

でもね・・・
気力のない姑にリハビリやらデイでの活動やら望んでないことをやらされて
それって幸せなの?
という疑問が、湧いてきました。

寝たきりにさせないというは介護側の理想です。
でも衰えてきている高齢者には、どうなんでしょう?
行きたくないデイサービスで無理矢理リハビリ
そっとしておいて欲しいと思っているかもしれないのに。

人生の最後って難しいです。
2012-08-15 20:21 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月14日(火)
これからのこと
姑のこれからは、まだ不明です。

今は、点滴などのお陰で入院した時よりは、ふらつきもなく元気を
取り戻しているようですが、食欲不振が、治ったわけでは、ないので
同じことを繰り返すのは、目に見えています。

でも夫は、軽〜く考えているので
「病院みたいにポータブルのトイレ置いて家に居てたらええやん」

なので言いました。
さら「ポータブルトイレの始末をしてくれるんですか?
   一人でお風呂に入ったら危ないから入れてくれるんですか?」

夫は、ハッキリ答えました。
「できません」

ですよね。

自宅で介護するのが、理想です。
でも私自身の体に不安が、あるので現実的には、無理です。

義妹も夫に言ったそうです。
「ウチ、預かられへんからね」

預かると言われても今は、病院だから姑も観念して入院していますが、
義妹の家に長居する気は、さらさらないので1日も 持たないと思います。

でも「預かれない」とハッキリ言ってくれる方が、こちらとしては、
です。

「そうなると施設へ入れるしかないですよね」
という話になります

姑が、家に居たいという気持ちは、百も承知で心苦しいですが、
施設に入れる方向で考えています。
2012-08-14 10:55 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月13日(月)
病院が、安心?
入院にも慣れてきたのか 義妹が、行っても1時間もしないうちに
姑「もうええから帰り」
と言うようになりました。

それでも様子を見るために毎日 どちらかが病院へ行っています。

で!
行くたびに

姑「今日は、帰れるんか」
と聞いてきます。

それで
さら「転けたらアカンからフラフラせえへんようにならな
   帰られへんよ」
と言うと
姑「危ないからココに居てる方が、安心やな」
と納得していました。

そう言っていても次の日になったらまた
「今日は、帰れるんか?」
と言うだろうと思っていのに帰り際に言ったのは、
姑「明日も来てな」

しばらく おとなしく入院していてくれるかと期待しましたが、
それから3日目 私は、体調が、悪かったので夫と義妹が、行くと
パジャマは、着ていたものの荷物は、きれいに片づけられ
入院中に付けるリストバンドも外していて
姑「今日、帰れるんやろ」
と言う始末。

退院なんて誰も言うてませんやん・・・
2012-08-13 21:49 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月12日(日)
保冷バッグ
病室には、小さな冷蔵庫も備え付けられていますが、これも
テレビカードが必要です。

フラフラしているのに冷蔵庫からモノの出し入れは、無理だと思っていたら
義妹が、お弁当用の保冷バッグを用意してくれました。

姑には、食べさせることが、大事なので食べ物を持ち込んでもいいことに
なっているので ご飯の友のような佃煮やゼリーなどのお菓子を
入れるための保冷バッグなのに お箸、スプーン、メモ帖、鉛筆なども
入っています。

保冷剤をさわらせて
さら「この冷たいの入れてあるから食べもんだけ入れるねんよ」
と言っても次に行ったら・・・やっぱり入っています。

保冷バッグという認識が、なく 一つにまとめておきたいという
思いしかないようなので これからも入れ続けると思います。

私は、毎回
「お箸なんかは、入れなくてもいいの!」
と出しますが
2012-08-12 16:31 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月11日(土)
テレビ事情
去年の夏、姑のテレビの音量の大きさに悩まされましたので
今年は、どうなることかと憂鬱に思っていたところ入院したので静かです

しかし そうでなくても集中してテレビを見られなくなったことも
あって
去年のような大音量でテレビを見ることが、少なくなっていたため

入院時、義妹と
さら「テレビ、どうします?」
義妹「見るかな?」
さら「そうですよねぇ〜。イヤホンしてまで見ないと思いますけど」
義妹「そしたら見たいと言うまで やめとこ」
さら「そうですね」

で、テレビカードを買うのをやめました。

その後もテレビを見たいということは、無く・・・・
いつ行っても寝ています
2012-08-11 19:41 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月10日(金)
検査結果
入院してちょど2週間後、主治医の先生から聞いた検査の結果は!

「内科的な異常は、見つかりませんでした」

なので・・・
食欲不振と 体のフラフラ(グラグラ)の原因が、分かりません。

それで
「頭(脳)も調べてみましょう」
ということになって入院は、続きます。

真夏だというのにエアコンが、利いている病室は、寒いからと
冬のパジャマにニットのカーディガンを着てまだ
姑「カイロ欲しい」
と言います。

付き添ってくれている義妹にも
姑「日暮れると寒なるから早よ帰り」
と言ったそうです

それも先生に聞いてみました。

すると
先生「お年寄りは、暑いと感じる人の方が、少ないですよ」

だそうです
2012-08-10 20:47 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月09日(木)
義妹の反応
予定の無い日は、必ず病院に来てくれる義妹。
助かります

義妹も姑が、入院するいきさつは知っていても実際に姑の様子を
知らないために最初に来たメールは、
「パジャマ着替えさせたようとしたら(姑の体が)グラグラで
 怖いわ〜〜!」

これでは、入院も仕方ないと思ってくれた義妹。
姑から解放されてホッとしている私と違って積極的にかかわってくれて
姑の希望も全部聞いて私よりずっとずっと優しいです

メールの続きに
「(姑のふらつきに)看護士さんも なんでやろうね。って言ってます」
と書かれてあったことから 高齢者によくみられる症状かと思っていましたが、
ども違うようです。

それに姑を見舞ってくださったケアマネージャーさん
「あんなにフラフラしているお年寄りを今まで見たことが、ありません!」

やっぱり異常です

ホントにフラフラ(グラグラ)している原因が、検査で わかればいいんですけど・・・。
2012-08-09 10:32 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月08日(水)
入院2日目
また前回の続き

入院時 病室に入るまで一緒にいてくれた夫も 仕事に行ってしまったので
帰りは、炎天下の中を一人で帰ることに・・・
病院から駅まで近いのですが、今の私には、堪えます
そして最寄りの駅から自宅まで なんとかたどり着きました。

そのため入院の翌日は、お疲れ気味の私
その日は、義妹も来られないので夫に必要なものだけ持って行って
もらいましたが、点滴だけで検査が、なかったこともあって
夕方、病院から電話が、かかってきました。

看護士さん「○子さん(姑)が、お家に帰りたいと言われるので
      お話してくださいますか」
すると
姑「服 着替えて待ってるのになんで迎えに来てくれへんの〜」
さら「明日、検査が、あるから帰られへんよ」
姑「ココで泊まるんか」
さら「検査が、終わるまで帰られへんからね」
姑「パジャマ、持って来てないやん」
さら「昨日、パジャマ着せたげたから あるよ。
   わかれへんかったら看護士さんに聞きなさい」
姑「そんなら今日は、ココで寝たらええねんな」
さら「そうやよ」

楽したらこんなことになります
でも、なんとか納得してくれたので一安心。

その後は、電話が、かかってくることは、ありませんでした。
2012-08-08 10:55 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年08月07日(火)
入院するということ
前回の続き

10時に病院に入って基本的な検査を済ませ病室に案内されたのは
お昼を過ぎていました。

入院するということを理解していない姑を一人にすることは、できません。
かといって私には付き添える体力が、ないので義妹に来てもらうよう
頼みました。

病室に入るとクリニックで受ける点滴のような感覚なのか いきなり
ベッドに横たわる姑。

それならと
さら「パジャマに着替えよ」
と言うだけで何の疑問ももたず着替えてくれたので

さら「入院して検査するからね」
姑「検査入院やな」
これも抵抗なく点滴が、はじまりました。

荷物を整理し終わった頃に義妹が、来てくれたので

さら「そしたら私、帰るわ〜」
姑「え〜一緒に帰る〜」
さら「検査するために入院せなアカンって言うたやん」
姑「入院すんのか。そうか・・・」

義妹には「今、入院すると分かってても すぐ忘れるから よろしくね」
看護士さんにも「なんで入院するのかわかってないと思うので よろしくお願いします」
と頼んでおきました。

義妹が、夕方まで付き添ってくれたお陰で入院初日を無事に過ごせました。
2012-08-07 10:35 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月06日(月)
検査入院
クリニックから
「総合病院と連絡が、取れたらすぐに電話します」
と言われていた月曜日の朝

姑「今日は、しんどいから老人会(デイ)に行けへん」
と言うので
さら「ええよ〜。そのかわり○○先生(クリニック)が、○○病院
   (総合病院)で検査してくださいって電話あったら行くからね」
姑「なんでそんなとこへ行かなアカンの 行けへんで」
さら「行くからね」
そう言っても しばらくすると忘れて
姑「老人会 行かなアカンかぁ〜」
と言い出します。

そんなことを しているうちにクリニックから
「総合病院の先生と連絡が、取れましたので すぐに行ってください」
と電話が、ありました。

有無を言わせず姑を車に乗せ クリニックで紹介状を受け取り総合病院に
向かったのですが、なぜ車に乗っているか分からず

姑「今日は、なんか(行事)が、あるのんか?」
と聞いてきます。

あれこれ説明しても無駄なので
夫「そうや〜あるねんでぇ」
で、その場をやり過ごして病院に到着。

総合病院では、
主治医「入院してもらって検査をしてみますが、
 認知による拒食の可能性もあると思ってください」
と言われました。
2012-08-06 21:08 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月04日(土)
旅行のような・・・
入院することは、ほぼ確実なので姑が、寝てから入院の支度をすることにしました。

用意のいい姑は、いつでも入院できるようにと必要なものを詰めている
大きなカバンが、あるので それを確認するだけなんですが・・・

歯ブラシ、歯磨き、コップ、お箸、スプーン、ティッシュ、メモ帳、
ペン類
これらは、必要!

パジャマは、冬物なのに肌着は、夏物と ちぐはぐ
でもこれらも欠かせません。

しかし〜〜!その他は、
折りたたみの傘に電卓 紙のコップに お皿、紅茶にスティック砂糖、
うちわにアメ。
旅支度?
と思わせるようなものが・・・これらは却下

カバンだけではなくタンスの引き出しにも あちこちに
入院用
書かれたものが、あるので探し回ると オールシーズンの肌着やパジャマが、
出てくる出てくる

何も買い足すことなく準備できて ありがたいようで
「ここまで心配して用意せんでもええやん」
と思う気持ちが、入り乱れます
2012-08-04 16:00 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月03日(金)
食べないから
何を作れば姑が、食べてくれるのか・・・
姑の好きそうなメニューを思い出し あれこれ作ってみましたが、
姑「美味しそうやなぁ〜」
と言うだけで食は進みません。

プチシュークリームやバームクーヘンなど今までなら アッという間に
無くなっていたお菓子も いつまでもあります。

フラフラすることも多くなって7月のクリニックの予約日は、運よく?
絶不調!

それなのに
姑「どっこも悪いとこ無いのになんで行かなアカンの」
と言う始末。
部屋着のまま強引に連れ出すと・・・

血圧は、上が70という低さ。
測り直して110でしたが、座っていてもずっとフラフラしています。

先生の前でもフラフラで先生が前から 私が後ろから支えているような状態だったので
先生「食べないので限界にきているのかもしれませんね
   入院することを考えた方が、いいですね」
と言ってくださったのですが、その日は、土曜日。

総合病院に連絡を取ってもらったものの午前の診察には、間に合わないので
クリニックで点滴をしてもらって月曜日まで待つことになりました。

点滴してもらったその日は、午後から気になった所を片づけたりと
少し元気な様子もあった姑でしたが、日曜日の夜 神棚の お玉(水)を
取ろうとして こけました

おまけに力が無いのか起きあがることも
「助けて〜」と声を出すこともしません。

もう入院せさるしかない! 
と思いました。
2012-08-03 09:42 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年07月22日(日)
間に合うから諦める
先月、先々月と二ヶ月続きでお寺さんの都合で舅の命日にお参りが、
ありませんでした。

姑の頭に先月の記憶が、残っていたため今月は、お寺さんが、来ないと
思っていることに気づかなかったので月命日の前日 いつものように
座敷を掃除するついでに姑の布団を干しました。

すると
姑「布団干してくれてありがとう〜」
さら「明日 お寺さん、来るよ」
姑「なんでぇ〜来えへんって言うてたやん」
さら「それは、6月のことで明日は、来られます」
姑「そうやったん!お布施は?お菓子は?花は?」
さら「ちゃんと用意してます」
姑「もう何にもでけへんから全部任したで」

とは、言ったものの夕方になると
姑「座敷に私の布団敷いてぇなぁ〜」
さら「何言うてんの 明日お寺さん来るって言うたやん」
姑「え!そうやったんか!」

それで居間に布団を持って行くと
姑「なんでココに持ってきたん。座敷に敷いてぇなぁ〜」
さら「明日お寺さん来るねんから今日は、ココで寝てもらわな
   困るし」
姑「あ、そうやったんや!そしたら後で敷くから置いといて」

しかし夕飯前にまた
姑「座敷に布団敷いてもええか?」
さら「せやからぁ〜明日 お寺さん来はるってぇ〜」
姑「え!そうやったんか!」
さら「もう何回もいうてんねんけど・・・」
姑「ほんなら忘れんようにココ(居間に)布団敷いとくわ」

お寺さんのことだったら記憶の残ると思っていましたが・・・
無理でした。

しばらくして
姑「座敷のテーブル片づけてくれな布団敷かれへんやん」
さら「さっきアカンって言うたやん」
姑「そんなん知らん!」

これは、無理だと思ったので夫に
さら「もう何回言うてもアカンみたいやから座敷に布団持って行って
   明日、デイに行かはってからでも間に合うし」
と頼みました。

次の日 姑が、デイに行ってから大急ぎで布団を片づけテーブルと座布団を
セッティングして無事 お寺さんをお迎えできました。

その夜 居間にあった姑のメモ
「明日 お寺さん来られる。
 今日19日に 花、お菓子、お布施、用意すること」

メモしてるのにねぇ〜記憶には、残らないんですよ
2012-07-22 11:39 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年07月14日(土)
デイで活躍
認知症と言っても姑の場合 記憶力の衰えが、著しいだけで言われたことは、
きちんと認識できます。

なのでデイでする折り紙や牛乳パックなどを使って作る工作でも
介護士さんに
「他の人は、できないことでも手も早くて どんどん作ってくださいます」
と言われるくらいです。

それにパターゴルフや風船入れのようなゲームでも よく1位に
なっているようです。

先月も1位の賞品で サヤエンドウを持って帰って来ました。

連絡帳にそのことが、書かれていたので
さら「ゲームで1位になってサンドマメ(サヤエンドウ)貰ってきたんやね」
と言うと・・・
姑「うん1等やった。せやけどサンドマメは、誰かに貰てんで。
  ゲームと関係ないで」
さら「ゲームでと違うのん?」
姑「誰に貰たんやったかなぁ〜老人会(デイ)の人やったけど・・・誰か忘れた」

どうもゲームと結びつかないようだったので それ以上は、追求しませんでした。

記憶は、そんなですけど器用さは、衰えてないのでデイで活躍しています。
2012-07-14 16:14 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年07月12日(木)
理由は、聞かない
忙しい日が、2日も続くと疲れてしまう私。
そんなことで4月の終わり 美容室の予約を土曜日に変更することに
なりました。

予約してから姑の髪の毛も伸びているのに気づいて土曜日だと夫の都合も
良くて ちょうどいいわ!と 姑の予約を追加しました。

ところが、案の定
姑「行けへん!」
と拒否・・・。

で、いつものように
さら「美容室の店長さんが、今日は、空いているから来てくださいって言うたはるよ」
と第三者を登場させて行く気にさせました。

さっぱりして帰ってくるとカレンダーに
『さらちゃんとカットに行く』
と書き込んでいます。

その日の晩ご飯の時、その書き込んだカレンダーを見てカットに
行ったことを思い出せたようで
姑「ホンマにカットに連れて行ってもろて良かったわ〜
  これからも行けへんって言うても無理矢理連れて行ってや〜」

拒否することを予告しています
行って良かったと思うのなら拒否しないで欲しいんですけど・・・

あれから2ヶ月が過ぎてまた姑の髪の毛が、見苦しくなってきたので
カットしに行こうと言えば、やっぱり拒否しました。

拒否は、するものと割り切り
「なんで行きたないの?」
という理由は、聞かず
「○時になったら行くから用意しといてな。頼んだよ」
で私の話は、お終い。

でもそれで
姑「わかった」
と言っています。

強引でいいらしい
2012-07-12 21:51 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年07月11日(水)
私は、困る
デイのお迎えに来てくださっているのに
姑「老人会(デイ)に行かなアカンのか?」
と言い出しました。
それで・・・

さら「家に居てたらテレビの前で寝てばっかりやん」
姑「そんでええやん」
さら「毎日そんなことしてたらバカになるよ」
姑「私が、バカになっても さらちゃんしっかりしてるから大丈夫やん」
さら「私が、困ります!」

思った以上の回転している姑の頭

介護士さん「どこのお年寄りも家では、みんな同じようにテレビの前で
寝たはるみたいですよ」

最近 テレビの前から離れない姑。
でも姑にとっておもしろい番組は、なさそう・・・というか聞き取れない
こともあって よくわからないみたいで すぐチャンネルを変えます。

台所でニュースなんか聞いていても全部 尻切れトンボ。
分からない事 ばっかりです
2012-07-11 09:21 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年07月09日(月)
見た目の威力
庭の掃除に余念のなかった姑も週3日のデイに行くのと気力、体力の
衰えに行き届かなくなってしまいました。

これまで庭の掃除など全くしたことの私でしたが、庭に落ち葉や草が、
あると とっても気になります。

それで落ち葉を掃き集めたり草を抜いたりしている私

でも!
追いつきません。

どれだけ姑が、マメに掃除をしていたか改めて実感しました。

それと いつもきれいだったので その印象が、目に焼き付き
きれいでないと落ち着かないのです。

姑のしてきたことが、私の中に こんなに浸透しているとは、
思っていませんでした。

日々の習慣、見た目の威力って強力です。
掃除しろと言われなくても しますもん
2012-07-09 21:23 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年07月08日(日)
ヘルシーメニューにも問題が!
先月 クリニックで姑の血液検査の結果から先生に
「栄養が、足りていません」
と言われてしまい・・・試しに栄養補助飲料を処方してもらいましたが、
姑の口に合わないようで飲んでくれません。

今まで食べたくない姑に無理に食べさせようとする気が、なく見過ごして
きましたが、最近お昼ご飯を用意しておいても食べないことが、
あったので気になっていたところでした。

それに めまいのふらつきが、治らないのも食べないせいだと思い始めた時、
デイの連絡帳に
「体重の減少が、続いています」
と書かれていたので そこでようやく危機感を持った私・・・(遅

それで私たちのヘルシーメニューも問題が、有ると気づきました

と、言うのも・・・
私は、血圧を上げないために減塩で薄味ですし
夫は、太りやすいために高タンパク高カロリーメニューは、避けてきました。

小食の姑に必要なのは、それとは全く逆の高タンパク高カロリーで
食欲をそそる濃いめの味だったと反省して何をどう料理したら
食べてくれるだろうかと毎日 頭を悩ませています。

それと・・・
「食べへんからフラフラするねんよ!
 しっかり食べなアカンよ!!」
と姑に声を掛けてると
姑「分かった!しっかり食べるわ」
と わずかですが、食べる量が、増えました。

これで改善されればいいんですけど・・・
2012-07-08 11:24 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年07月07日(土)
どこまで分かっているの?
マンションの一室にある夫の会社を いずれは自宅に移転させようと
思っていたのですが、諸事情により移転することとなり空間確保のため
家の中のモノを断捨離せざるを得なくなったのでした。

そんなことでも無い限り わざわざしんどい目なんかしません

で!無用の長物と化していた応接間を事務所にすることにしました。

姑が、デイに行っている間に私の弟夫婦が、手伝いに来てくれて
マンションから机を運んでもらい応接セットのテーブルとソファーは、
隅に移動させ机を3台並べる事で事務所が、完成〜

何も知らない姑が、その応接間を見たら
「なんでこんなことしたん!」
と言うと思っていたら・・・・
姑「机、うまいこと入ったなぁ〜」
としきりに感心していました

姑が、デイに行くたびに家のどこかが、変化しています。
でも文句を言うこともないので無関心なのかと思ったら応接間には、
ちゃんと気づいたし・・・

どこまで分かっているのか?分かりません〜〜
2012-07-07 19:52 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年07月02日(月)
25年以上前のこと
断捨離で いろいろ処分しましたが、コピー機も調子が悪いこともあって処分しました。

まだ舅が、張り切って仕事をしていた25年前には、パソコンどころか
ワープロも普及してませんでしたから手書きした書類を文具店でコピーするのは
日課のようになっていたこともあってコピー機をレンタルしました。

それ以来ずっとコピー機が、あった場所なのに処分してぽっかり開いた
その場所を見て・・・
姑「ここにあった”台”どこにやったん!」

姑の言う台とは、コピー機をレンタルするまでに置かれていた飾り台のことです。

昨日まであったコピー機より25年以上も前に置いてあった台の方が、
記憶に残っている姑・・・。

そのままにしておくと姑に何度も
「台は?」
と言われそうなので使っていない机でカモフラージュしました。

そんなふうに少しずつ家の中の様子が、変わっていっています
2012-07-02 21:17 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年07月01日(日)
休みたい
1度も更新することが、ないまま6月が、過ぎてしまいました。

その後の姑は、というと・・・。
6月に入ってまもなくデイから帰ってくるなり
姑「今度の老人会(デイ)、しんどいから行けへんねん」
さら「そんなこと言うても行ってもらうからね」
姑「え〜〜」

それ以上のことは、言わず夕飯の支度をしているとデイサービスから
電話が、かかってきました。

介護士さん「今日、ご本人が、次は、お休みしますと言って帰られたのですが・・・」
さら「え!そうだったんですか!
   でも休むと言えば休めると思われても困るのでお迎えは、来てください」

と言っておきました。
それに休むとメモをしていたと言うことだったので姑が、寝てから
手提げ袋に入っていたそのメモを破棄しました。

次の日になって
姑「なんかすることないか?」
と聞いてきたので
さら「お母さんの仕事は、老人会に行くことです」
姑「ハイわかりました!」

ああ〜〜良かったぁ〜!
休むって言ったことを忘れてるう〜

その後、休むことなくデイに行っています
2012-07-01 19:58 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年05月31日(木)
まだ途中
5月も今日で終わりますが、先月、姑の着物から始まった断捨離は、
進んでいますが、終わってません

私自身、午前中で疲れてしまうような体ですし仕事もしなくてはなりません。
それに姑が、家に居ると思うように片づけられないのでどうしても
時間が、かかります。

それでも全く手を付けなかったのは姑の居間と座敷だけで家の中は、
かなり片づきました。

そしてついに!一番の難所!の物置に着手することになりました。

ココは、姑が、詰め込んだモノばかりです。
何が、入っているのかと出して見ると・・・

捨てられなかったものと 有ったら便利と思って溜め込んだようなものが、
ザクザク出てきました。

姑にとっては思い入れのモノでも私には、何の関わりもないもの
それに夫も
「そういうたらこんなん使てたなぁ〜」
ぐらいの感覚なので未練なく処分してくれるので助かります。

しかし量が、多すぎて1日では、片づかず数日 ほったらかしにしていました。

でもその間、姑から
「物置、片づけてるのんか?」とか
「物置、どうすんの」と言うこともなく・・・
状況も理解できなくなっているような感じです。

こちらは、楽に処分できますけど
まだまだ片づけは、続きます
2012-05-31 16:17 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年04月28日(土)
姑の居ぬ間に
20年前に亡くなった舅のモノや20年間手つかずの押入のモノを
処分することにしたので義妹(夫の妹・・・だけど私より年上)に
「欲しいモノが、あれば持って帰ってください」
と連絡すると
「お母ちゃんもう着物着ることないやん。着物、ちょうだい!」
と、早速、姑が、デイに行っている間にやってきました。

姑に似て細かいことを気にしない人なのでタンスを物色している義妹に
聞いてみました
さら「お母さんの最後の時、何を着せたらいいですか?着物ですか?」
義妹「着物?今時、服でええやん。夏用と冬用の2枚ぐらい用意しといたら」
さら「そうですね!そうします

すると!
義妹「(婿殿の)お母さんの(お葬式の)時、誰も(婿殿の兄弟の奥様方が)
喪服(着物)着る人いてなかったら着られへんかってん。
お母ちゃんの時は、着るから さらちゃんも着てな。
私が、着せたげるから

義妹は、成人式の着付けが、できるほどなのでそう思うのも無理の
無いことです。

その後、押入を整理していると使っていない白のシーツが、出てきました。
義妹「(亡くなった時)白いシーツは、要るよ。これは、残しとかなあかんよ」

姑は、まだまだ元気なのに準備は、着々と進んでいます
2012-04-28 19:51 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年04月26日(木)
進歩
三ヶ月過ぎようとしてようやくデイに行くことが、日常化してきた姑。

その日の朝もデイなのに起きてこないので
さら「今日は、老人会の日やから そろそろ起きて〜」
姑「何〜〜」
さら「老人会の日やよ〜」
姑「わかってる〜」

おお〜〜!分かってるって!!進歩進歩

そんな日に要介護認定の通知が、来ました。
『せっかく週に3回行けるようになったのに支援に落ちてたら嫌やなぁ〜』
と思いながら開封すると・・・

要介護1
変わりませんでした。

これで6月からも今まで通り週3回行ってもらえます。
次の更新は、1年後です。姑は、どう変化しているでしょう・・・。
2012-04-26 20:55 | 記事へ | コメント(0) |
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