ニックネーム:さら
年齢:50代
都道府県:大阪府
同居して20年。結婚して30年という節目の年に88歳の天寿を全うして姑は、旅立って逝きました。

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バイオグラフィー
2012年11月13日(火)
病院だと思っている
施設に行くと必ず
「遠いとこ来てもおて悪いなぁ〜」
という姑。

何度も同じ市内だと説明いるのですが、遠い所に連れて来られたという
感覚しか無いようです。

それに
姑「ココは、なんという病院?」
と聞いてきます。

6年ほど前、叔母(姑の義妹)が、ケアハウスに入居した時も姑は、
「遠いからよう行かん!」
と施設に行かなかったため いくら施設というものを説明しても理解できず
叔母は、入院したものとしか思っていませんでした。

なので姑は、施設というものが、わかりません。

それで
姑「先生(お医者さん)ちっとも診に来やはれへんで」
”おかしいなぁ〜”と思っているようです。

ただ
栄養管理士さんやリハビリの先生は、白衣なので病院と思っても
しかたないかも
2012-11-13 11:30 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年11月11日(日)
帰りたい気持ち
姑の状態は、変わりなく・・・施設へ行くと

姑「明日、帰れるか?」
さら「しっかり食べて体重が、増えな帰られへんよ」

という会話も変わりなく
でもそれで
姑「しっかり食べなアカンなぁ・・・」
と言うだけで どうしても帰りたいと無理を言わないので助かっています。

姑を家に連れて帰ってあげられないのは、心苦しいですが
20年前に亡くなった舅は、認知症で自宅に居るということが、わからなくなって

舅「いつまでも おじゃましてたら迷惑やから帰ろう」
家族「お父さんの家やから帰らんでもええねんよ」
舅「ここは、ワシの家と違う!帰らなアカン」
家族「ここに居てていいねん!ここに居て!」
毎日毎日 引き留めるのに苦労しました。

「さあ帰ろか」
と言ってあげられたら どれほど楽だろうと思ったことを思い出して
舅の時と状況が、違うだけで同じことになっていると気づきました。
2012-11-11 09:45 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年10月20日(土)
二つの計画書
施設で栄養ケア計画書に続き 
リハビリテーション実施計画書と
施設サービス計画書を受け取りました。

ケアマネさんから
「リハビリの計画書には、ご本人様にサインして頂きましたから
 目を通しておいてくださいね」

栄養ケア計画書の時は、私達に説明が、あったので私がサインしたのですが、
二つの計画書には、姑自身が、サインをしていました。
なので両方とも説明されているということです。

家でその計画書を読んでみると どちらにも
「主介護者(長男の妻)に疾患が、あり介護力不足のため入所」
というようなことが、書かれてありました。
それまで説明が、あったのかは、わかりません???

そして!
利用者の生活に対する希望の欄に
「ここの生活に慣れていかなあかんねん」
と言ってることが、書かれてあって
ビックリ!

いつものように その時に思ったことを言っているだけなのは、充分!
わかっています。

でも夫は、
「一瞬でも そう思ってくれたら そんでええ」
と言いました。

そんな積み重ねから姑が、少しでも状況を理解してくれたらいいのですが・・・。
2012-10-20 21:49 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年10月15日(月)
栄養不足から
施設へ行く時間は、だいたい私たちは、昼過ぎに 義妹は、午前中です。
姑は、私たちが、行く時間は、ほぼ寝てますし 義妹からのメールでも
「寝てました」
というのが、ほとんどです。

寝ていても起こしますが、布団から出ることは、ありません。
先日もお菓子を食べたいと言うので渡したら横になったまま
食べようとします。
さら「食べたいのなら座りなさい」
とベッドに座らせましたが、食べたらまた横になりました。

食事とか おやつ 入浴 そして おトイレに行く時ぐらいしか
ベッドから離れないような状態で
姑「ここは、おもしろないから はよ帰りたい」
と言います。

部屋から出ればデイルーム。
体は、不自由でも元気な おばあちゃま達が、会話をしたりテレビを見たり
楽しく過ごしてされているのを見て

夫「オカンも みんなと話したらええのになぁ」
さら「もうコミュニケーション能力も衰えて そんな気になれへんねんやろね
   人の迷惑省みず おかあさんに話しかけてくれる おばあちゃんが、
   いたはったらええねんけど
夫「ホンマやなぁ」
さら「せやけど そんなことされたら
  『毎度話しかけれてうるさい!こんなとこに居たない!』
   って 怒るん違うかな」
夫「それもある・・・」

やはり栄養不足なので寝ている方が、楽なのだと思います。
2012-10-15 11:06 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年10月13日(土)
順当・・・
施設では、歩く機能を維持するリハビリと栄養管理をしてもらっています。

先日 この一ヶ月間の姑の食事の様子から栄養管理士さんに
今後の栄養ケア計画書の説明を受けました。

姑に必要な食事量を 多すぎると言うので減らしてくださっている
にも関わらず食べるのは、平均で6割だとか・・・。

今回 栄養管理士さんに示されたのは、適正体重のわかる
BMIという数値
(計算方法は、BMI=体重Kg÷(身長mx身長m))
で、18.5から25が、適正体重です。

27Kgという姑の体重でBMIは13.3

低すぎます・・・

入院の前の血液検査で 栄養不足だと言われていましたが、
食べたいものだけ食べて体重は、増えたものの入院中の血液検査でも
低栄養状態との診断が、出ていたため栄養管理士さんや介護士さんが、
少しでも食べるように食事中、声をかけてくださっていたようです。

しかし食事量は、増えなかったので計画書も
「食べるように促すが、見守り」
となっていました。

家でも食べなかったのですからしかたありませんし
家で弱っていくのを 見ていることが、できないと思ったので
施設にお願いしたワケなので 順当といえば順当なことです。

この状態で どれくらい生きられるんでしょうね
2012-10-13 10:56 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年10月11日(木)
義妹の不信感
義妹が、姑の所に洗濯物を取りに行ってくれた日

「セーターを介護士さんに持って行かれてので取り返したと言っています」
とメールが、来ました。

私は、入浴時に着替えされられたのを取られたと勘違いしているだけだと
思ったので そのようなことを返信したのですが、
義妹は、姑の言っていることが、正しいと思っているので私の説明では、
納得してくれません。

でも義妹が、姑の言うことを 疑わないのなら今度は、私が、義妹の
言うことを信じないと思われそうだったので 

「わかりました」
と返信しました。

翌日 施設で介護士さんが、どのような対応をされたのか聞いてみると

いつもは、お風呂場で脱衣するのに その日は、部屋で脱いだため
戻ってきたらセーターが、無かったので
「なんで取るの!返して!」
騒いだようです。

それで着替えるはずのセーターを また着た・・・。

私の思った通りでした。

今回のことに限らず義妹は、姑が、言う不満を信じているので
介護士さんに不信感を持っているようです。

その場の会話が、成り立つため長い時間を一緒に過ごさないと
姑の記憶障害には、気づかないと思います。

それに義妹は、母親が、そのような状態になっていることを
認めたくないはずです。

義妹のお陰で私たちが、知ることのできない情報が、得られるので
これから そのような義妹のメールには、

「今度(施設に)行ったとき確かめます」
とだけ返信することにしました。

義妹の介護士さんに対する不信感を払拭できないので介護士さんに
「義妹は、姑の言うことを信じているんですよ〜」
と介護士さんに理解を求める私
2012-10-11 10:58 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年10月10日(水)
お掃除
”台所事情”で書いたように 台所は姑のモノだったのですが、
姑が、使えば使うほど汚れるのです

朝だけでも お茶の葉は、落とす お茶は、こぼす コーヒーは、
ポットに飛び散る・・・
それでも そのまま・・・。

姑が、料理をすると汚れた手のまま 引き出しや食器棚、冷蔵庫を開けるので 
取っ手は、どこもベタベタ。

同居前から台所中ベタベタしていたので同居を始める時、
後片づけは私が、する!
と死守

その後 姑が、いくら
「(後片づけ)したげる」
と言っても断ってきました。

それでも 翌日には、また汚れるので汚れが、こびりつかない程度に
掃除するだけ。

それに1階は、姑のテリトリーなので 
お好きなように
と掃除をしてこなかった私

でも今は、お掃除すると

きれいが続きます!
ウレシい

台所が、きれいになると、洗面台も おトイレも!
とお掃除エリアが、広がっています。

が!一方で
今まで姑が、手入れに余念が、なかった庭は、荒れ放題・・・に

玄関先など目に付くところだけは、きれいにしていますが、
それ以外の所は、雑草や落ち葉で・・・あぁ 汚い

両方きれいに暮らせないものです
2012-10-10 10:12 | 記事へ | コメント(2) |
| わ・た・し |
2012年10月09日(火)
思い違い
施設に洗濯物を取りに行った日のこと
施設の看護士さんが、私の体調を聞いてくださったのを きっかけに

姑が、
「こないだ家に帰ったのに またココに連れてこられた」
と言っていたことを 知りました。

入院で家を離れてから2ヶ月半。
施設に入所して一ヶ月。

日にち、時間の感覚が、無くなっているので入院から今までのことを
どれだけ覚えているのか確かめたことも ありません。

それでも家に帰りたがっているし

「長いこと家に帰ってない!」

と いずれ文句を言うような気がしていたので

”家に帰った”

という思い違いに助けられた気分です。

家に帰った夢を見たのでは、ないかと推測するのですが、
それなら 何度も夢を見て家に帰った気分になってもらいたいものです
2012-10-09 11:35 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年10月07日(日)
”点”の生活
紙パックの飲料水のストローを溜め込んでいた姑の手提げカバンには、
卓上カレンダーや置き時計も入っていました。

普通は、見える所に置いておくものですが、

今日は、何日か 覚えることが、できず

今、何時?
と思うこともないので
カレンダーや時計を見る必要もないため
いつでも帰れるようにとカバンに詰め込んで忘れてしまうようです。

昨日の記憶も残ってないようだし

姑にあるのは、

今!という点だけ。

点は、線になりません
2012-10-07 10:47 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年10月06日(土)
溜め込む
姑が、避難袋をいくつも用意していたことや入院した時のため
いろんなものを あちこちに準備していたことを 以前、書きました。

まだ自転車に乗っている時は、スーパーに行くたび同じもを買ってきたり
食べ残しが、どんどん冷蔵庫に増えていったり・・・

私が、処分しないと いろんなモノが、溜まっていく一方でした。

最近、姑の居間を片づけて 出てきたのは、裏が、白紙の
広告の束!

姑は、メモ好きでしたけど 一束でも使い切れない量なのに
それが、二束も・・・。
すでに手のひらサイズに切った大量のカレンダーや包装紙は、
処分済みです。

これだけあれば充分!
という判断が、できなくなっているのか
いくら有っても満足できないのか?


先日、理美容の日に施設に行った時
姑が、居ないので手提げカバンをチェックしてみると
朝食の牛乳に付いているストローが、何本も出てきました。

牛乳は、飲まずストローは、”使える”からと取るのでしょうけれど
「昨日も取った」
という記憶が無いので毎日同じ事を繰り返して溜まっていくようです。

施設でも溜め込んでいました
2012-10-06 11:10 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年10月05日(金)
強制的
施設に入所した時、
「ヘアカットは、どうしますか?」
と聞かれました。

今まで行っていた美容室へ連れて行くのも面倒なので二ヶ月に1度の
カットを お願いしました。

あいにく入所の前日が、理美容の日だったので偶数月の利用ということに
なりました。

そんなことを すっかり忘れて施設に行ったら その日が、理美容の日でした。

少し待っていると姑が、さっぱりした頭で戻ってきました。

実家の父が、グループホームで いがぐり頭になっていたので
適当にカットされると思っていましたが、 今の おばあちゃま方が、
おしゃれなこともあって施設も配慮されているのか 今まで通りの
ヘアースタイルにしてもらっていました

で!
姑「ココは、なんでも強制的や」

私たちが、カットをお願いしていることを姑は、知りませんから
姑の意向を聞かずに 勝手にカットされたと思っているようですが、

「どうしますか?」
って聞かれたら
「要りません」「しません」「嫌です」
と、拒否するに決まっているのに
2012-10-05 21:25 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年10月04日(木)
知らないと思うけど
施設には、週2日 義妹が、行ってくれています。
私たちが、頼んだのでは、なく義妹自身が、曜日を決めて行くと言って
くれたので甘えています

ちなみに私たちは、週3回行きます。
なので週2日の入浴の日以外は、どちらかが、行っているのです。

それなのに義妹が、行ってくれた翌日
さら「昨日は、○子(義妹)さんが、来てくれたやろ」
姑「そうやなぁ〜1回ぐらい来てくれたかなぁ〜」
さら「あ、そうなんや・・・」

娘が、来てくれていても記憶に残らないのかと確認のために次の週また
さら「昨日、○子さん 来てくれたやろ」
しばらく考えて
姑「ここに来た時、来てくれたなぁ 大変やったわ」
さら「そうなん・・・大変やったん」
夫「なんのこっちゃ?」

週に2回もきてくれてるのに覚えてないことを 義妹は、知らないと思います。
いつかは、気づくかもしれないので私からは、そんなことを知らせる
つもりは、ありません。

姑が、覚えてないのなら入浴の翌日、洗濯物を取りに1回ずつ行くだけで
充分かな?
と思ったりしています
2012-10-04 10:59 | 記事へ | コメント(2) |
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2012年09月30日(日)
その場しのぎの方法
施設に行くたびに姑が、
「明日、帰れるか?」
と聞いてきます。

すでに書いたように
「しっかり食べれて しっかり歩けるようになったら」
と言っていましたが、最近 しっかり歩いているようなので

「おかずもしっかり食べな帰られへんよ」
と言うようにしています。

家で気ままな生活をしたい気持ちは、よ〜くわかりますが、そうすると
また食べなくて入院前のフラフラ状態に戻って衰弱していくだけになります。

姑の体のために そして私の体のためにも
「ずっと施設に居て」
と言っても今の姑には、理解できませんし たとえ わかりやすく
説得したところで翌日には、忘れているだろうと思うと 説得する
気にもなりません。

忘れるので その場しのぎを続けていくしかありません。
だからこそ その時だけでも
「ホンマに そうやね」
と納得してもらえるような言い方(理由)が、他にないものかと思案しています。
2012-09-30 13:54 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月29日(土)
台所事情
姑が、料理好きだったので 同居後 ずっと台所は、姑のものでした。

でもキッチンマット テーブルクロス スリッパなどには、興味が、
なかったのか それらは、私の趣味のモノを買うことが、できましたが、
収納は、全て姑仕様・・・。

私が、病気になってから自分の身を守るために食事を作るようになったので
少しずつ収納を私好みにしてきました。

その後 姑が、収納した不要なモノを いっぱい捨てましたが見た目の変化は、
ありませんでした。

最近やっと涼しくなってきたし 姑は、施設に居るので遠慮もありません
一番気に入らなかったシンクの出窓の棚を処分し カゴだけにして
スッキリ!
この棚のために窓の半分近くを遮られて薄暗らかったのが、解消しました

使っていないモノを捨てたことで収納に余裕が、できて流しの横の棚のモノも
入るようになったので この棚も処分してスッキリ!

ようやく私好みの台所になりつつあります。
同居から20年もかかりました
2012-09-29 10:38 | 記事へ | コメント(2) |
| わ・た・し |
2012年09月27日(木)
施設の生活
入所した時より 食べられるようになって車いすから歩行器になった姑。

ふらつきも改善しているらしいく調子の良いときは、歩行器が、なくても
スタスタ歩いているらしいです

それに昼間、寝てばかりだと夜は、2時間ぐらいしか寝ないで ウロウロ
ゴソゴソと動き回るらしいので昼間は、寝過ぎないようにしてくださって
いるとか。

家では、私たちの言うことも聞かずに 好きなものしか食べず 
デイに行かない日は、寝てばかり・・・

そんな気ままな生活とは、違って健康管理と体の機能を維持した生活を 
してもらって介護士さんに感謝しています。

最初は、四角四面で決まりに厳しい介護士さんも顔を合わせるごと
また姑の状態が、わかってくるごとに緩くなってきて食べ物の持ち込み禁止
のところジュースだけは、許可が、でました。

姑には、居心地の悪いところかもしれませんが、私たちは、安心して生活できます
2012-09-27 09:42 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月18日(火)
施設の利用
姑が、デイサービスに行きだした時、何人もの ご近所さんから
「最近、おばあちゃん見かけへんけど元気?」
と聞かれました。

それでデイに行っているということが、知れ渡ったので入院したのも
気づかれませんでしたし 施設に入ったこともまだ知られてないと思います。

姑が、施設に落ち着いてから
夫「○○さん(今年隣組班長さんのお宅)のおじいちゃんは、よう見るけど
  おばあちゃんは、最近 見てへんから ウチみたいにどっかの
  施設に入れはったんちがうか?」

そういえば・・・と その おばあちゃんとデイサービスが、同じだった
実家の母に聞いてみると
母「もう だいぶ前から来たはれへんよ」
と言うので

「施設に間違いないね」

夫とそのような話しをしていた時に 実家の父が、入っているグループホームの
敬老の日の催しに義妹(弟の妻)と出席したら その おばあちゃんが、いました!

夫と同い年の娘さんと顔を合わせて
「こんなところで会うなんて・・・」
と いう感じでした

ご近所の おじいちゃん、おばあちゃん達は、施設に消えていきます。
2012-09-18 10:09 | 記事へ | コメント(2) |
2012年09月16日(日)
効果無し
姑に食べさせるために夫は
「食べへんかったら死ぬで!」
と言うのですが、姑は、

「こんな長生きするとは、思えへんかった もういつ死んでもええ」

と思っているので夫の言い方では、効果が、ありません。

入院してから(今もですが・・・)私が、言うのは、
「食べへんかったら お家に帰られへんよ!」

家に帰りたい姑は、
「わかった!しっかり食べる!」
その時は、そう言うので食べてくれるかと期待するのですが、
そんな気持ちも持続しないため結局、効果は、ありません〜

食べたいと言うのは、ロールケーキのような甘くて 噛まなくても
いいようなモノ・・・。

しかも
「小食やから こんでええねん」
とか 
「家の方が、食べられるで」
とか口は、達者です。

今も食べてないようで食べ物の持ち込みを禁止されている施設ですが、
「持ち込み可」になりそうです
2012-09-16 10:24 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月15日(土)
介護する側
施設では、歩くリハビリを している姑。

家にいた時から 膝折れ と 上半身のふらつきが、あってその状態が、
ひどくなったので入院しましたが、原因が、わからないので治っていません。
ただ入院して家では、ふらつきながらも歩いていた状態に戻りました。

その状態でリハビリの先生に
「転倒のおそれが、あるのでリハビリで脚力がつくまで移動は、車いす」
と判断されて施設では、車いすを使っている姑。

他にも 失禁パットさえ嫌がったのに頻尿ということで
リハビリパンツに変えられ、

食べ物は、同室の人が、食べる可能性もあるので持ち込みできず
姑は、苦痛に思っているかもしれません。

それに部屋に洗濯物を置いてあると気になるのか すぐにさわろうとするので
詰め所預かりになったり

危険なことやトラブルになりそうなことは、排除される施設のやりかたを見て
今まで私たちの都合で姑から いろんなものを取り上げてきたことを
気にしていましたが、それで良かったんだと思うことが、できました。

我慢させられる姑には、かわいそうですが、介護する側が、我慢して
いたら続きませんもの。 
2012-09-15 16:37 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月13日(木)
伝えたいこと
私のために姑を施設に入れることを同意してくれた夫ですが、
私に優しい夫は、姑にも優しいのは、当然のことで 施設に入所して
数日が、過ぎると・・・

夫「オカンが、いてないと寂しい」

親なんですから そうでしょう。
それが!
夫「そのうち外泊さしてやってくれよ。
  オカンも帰りたがってるねんから」
その後に・・・
夫「おまえは、他人やから平気やろうけど」

そこで ムカッとした私。
さら「今まで家のことは、なぁ〜〜んもせんと私が、どんだけお母さんの
   矢面に立ってきたか わかってんの?!」
夫「そんなん嫁さんやったらあたりまえのことや」

それでますますヒートアップ

さら「お母さんの言うことが、気に入れへんかったら怒るだけ
   汚いことしたら逃げるだけやったやん!」
その言葉の中には
「そやのに オカンが、いてないと寂しいなんか言わんといて!」
という気持ちが、入っていました。

そこまで言うと
夫「確かになぁ〜」

そこでその会話は、終了したものの 
さら「ちがう、ちがう!夫を責めて自分のことを理解してもらおうとしても
   なんも解決せえへん。
   お母さんを外泊させるために伝えなアカンことは、なんやろ?」
と考えました。

次の日
夫「昨日は、言い過ぎた。
  オカンのことは、おまえに任せる」
と言ってくれたので
さら「お母さんを 外泊させへんって言うてへんのと違うよ。
   家に帰ってきたとき、あなたが、
   『何でもします』
   という覚悟が、あるかどうかやねん。
   連れて帰ってきて
   「ほな頼むで〜」
   で何もせえへんって言うのは、無しやからね」
夫「それは、わかってる。わかってんねんけど・・・」
さら「逃げたい?」
夫「うん」

これまで通り できるだけ気楽に暮らしたいと思う夫。

今すぐのことでは、ないので時間をかけて覚悟してもらいましょう
2012-09-13 21:33 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月10日(月)
施設の印象
義妹の姑様は、誰も何も分からなくなるほどの認知症でした。
10年ぐらい前に亡くなられましたが、晩年の7年ほどを施設で過ごされました。

義妹の施設の印象は、その時のものなので姑を施設に入れると決めた時は
「まだ しっかりしている部分もあるのに施設は、可愛そう」
と言いました。

入所3日目に施設に行ってくれた義妹。
その日のメールには、
「おばあちゃんが、いっぱいいて安心しました」

姑の入っている階は、手押し車や歩行器が、必要でも一人で行動できたり
車いすでも おしゃべりは、しっかりできる そんな おばあちゃんが、
大勢いらっしゃるのでデイルームは、にぎやかです

暗い雰囲気が、無いので義妹も安心してくれたのだと思います。

今のところ フラフラグラグラした体でベッドからすぐ離れる 
タンスの上のものを取ろうとする 何度も そそうをする・・・
そんな姑が、一番問題児・・・いえ問題婆、のようです
2012-09-10 20:01 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月08日(土)
まわりの反応
姑が、デイに行き始めた頃、ご近所さんに
「おばあちゃん見かけへんけど元気?」
と よく聞かれました。

その時にデイに行っていることを知ってもらえたので入院していても
誰にも気づかれないまま介護施設に入所することが、できました。

施設に入所することが、確実になった時、
夫「施設に入ったら近所の人に聞かれたら言う」
と決めてくれたので私も そうすることにしました。

入所前日が、書道の日だったので教室に行くと姑と古いお付き合いを
してくださっている おばあちゃまが、いつものように
「おかあさんは、どうしたはりますか?」
と聞いてくださいました。

それで施設に入所することになったことを説明すると
「しかたないわねぇ〜。あなたの体のこともあるしね」

そして書道教室からの帰り、今度は、姑と一緒に日本画を習っていた方にも
駅前で会いました。
また姑のことを聞かれ 同じように答えると
「あなたの体も大事だし そうなってしまいますよね」

お二人とも私の体を気遣ってくださるとともに姑を施設に入れることを
理解してくださったので施設が、特別なことではない時代になったの事を
感じました。

ただ親戚からは、
「かわいそうに」
とか
「家に連れてかえってこれないのか」
とは、いわれました。

身近な人の方が、厳しいです
2012-09-08 17:15 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月07日(金)
無事入所
退院と同時に介護施設へ行くことになっている事を知らない姑。

家に帰れないと分かると施設へ行かないと言い張られる心配が、あるので
退院当日、病院に行ってから

さら「先生が、しっかり食べて しっかり歩けるようになってから
   家に帰ってくださいって言うたはるから今からリハビリする
   施設に行くことになってるねん」
姑「なんでぇ〜家に帰る〜」
さら「しっかり歩かれへんのに帰られへんよ」
姑「家に帰ったら歩けるで」
さら「先生が、言うたはるからアカンねん」
姑「どこの病院へ行くのん?」
さら「病院ちがうよ 施設」
姑「施設・・・」

施設というものが、理解できないので
姑「どこの病院に行くのん?」
と何度も聞かれました。

看護士さんにも
さら「施設で しっかり食べて しっかり歩く練習するように言ってください」
とお願いして姑に声を かけてもらと
姑「ハイ!」
と返事をしていましたが・・・わかってないよね

退院手続きを済ませて施設に向かいました。

施設では、病院からの資料を基に施設のお医者さんの面接が、あって
私たちが、これからことを決めている間に姑は、朝の体操に参加させられいていました
デイに行っていたこともあって一緒に手を動かしています。

なじんでいるようなので心配無いと判断して私たちは、そのまま帰りました

おかげさまで無事に入所しました。
2012-09-07 21:00 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年09月03日(月)
ようやく前進!
先週の金曜日、待ちに待った介護度の変更(区分変更)が、届きました。
結果は、

要介護2

施設入所の最低ラインです

早速!施設に連絡すると
「またこちらから連絡します」
とのこと・・・。

しかし 何の連絡もないまま土日と過ぎて退院の日を9月8日と
決められいるので間に合うのか だんだん心配になってきて
月曜日の朝 ケアマネさんに相談すると

「こちらも何度か連絡を取っていますが、入所は、間違いないですよ」

そう言われて もう少し待つことにしました。

その日の午後にやっと連絡が、あって
無事!入所できることになりました〜

やっと前進します。
2012-09-03 21:36 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月30日(木)
知りたい!
施設の入所が、要介護度で保留になったため施設の方に
区分変更(介護度の変更)が、いつ出るのか 
「市役所に聞いてください」
と言われました。

で、市役所に電話してみると
「○日に出ます」
とハッキリ答えられてちょっとビックリ!

日にちが、分かれば その日までは、待てますが、
半世紀以上も生きると ずうずうしくなります

確認してみたいし できれば知りたい!と思ったので 
出ると言われた日の夕方5時前に電話をしてみました。

すると
「ハイ、確かに今日 出ましたが、電話では個人情報になるので
 お教えできないんですよ〜。
 明日の午前中の郵送になりますから届くまでお待ちください」

なるほどね。

明日は、まだ届かないということだけわかりました
2012-08-30 09:56 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月28日(火)
どこにいるの?
病院にいくたびに

姑「遠いとこ来てもうて悪いなぁ〜」

入院しているのは、同じ市内の病院で 車なら15分もあれば着く距離
なんですが、どこでどうなったのか遠いと思い込んでいます。

ある時も
姑「ココは、どこやのん?」
夫「どこか言うてみ」
姑「○○○(奈良県)」
そこに親戚が、いますが、
なんでそうなるの?


前回 書いた叔母が、お見舞いに来てくれたという姑のメモにも

「入院する△△の病院」
以前住んでいた近くの駅名が、書かれていて
なんでそうなるの?

でも病院名は、ちゃんと答えます。

今日は、どこにいるんでしょうね
2012-08-28 19:42 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月27日(月)
8月31日って?
二日続けて義妹が、病院にいってくれたので3日ぶりに行くと
ベッドの横に今までなかった紙袋が、ありました。

中を見ると 叔母(姑の妹)からの、お見舞い品でした。

さら「○○おばちゃんお見舞いに来てくれはったんやね」
と聞くと
姑「誰も来てへんで」
さら「せやかって ココにお見舞いあるやん」
姑「だ〜〜れも来てへん」

何を聞いてもダメだと思って ゴミを片づけたりしていると
メモを出してきて
姑「そやそや!○○ちゃん(叔母)来てくれたからお礼言うといてな」
さら「やっぱり来てくれたはるやん〜」
と、そのメモを受け取ると

 8月31日金
  ○○(叔母の名字)様 △△(息子さん)様 来てくださる

まだ8月31日になってないし〜〜!
これでは、いつ来てくださったのか わかりません

メモを受け取ってから 夫も
「○○おばちゃん来てくれてんな」
と聞いてみたそうですが、やっぱり
「誰も来てへん!」
と答えたそうです

その日の夜 夫が、叔母宅に電話して前日に来られたことが、わかりました。
2012-08-27 21:48 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月26日(日)
1年以上も前のこと
施設の本人面接の時、歯のことを聞かれて
姑「歯医者に行ってる途中で入院させられた」
と言いました。

歯医者さんに行ってたのは、1年以上も前の去年の6月頃のことです。
それから「暑いから」と行かなくなって 私たちも無理矢理連れて行く気も
なかったので そのままになってしまいました。

それが、面接をきっかけに思い出したのか義妹に
姑「歯医者に行ってる途中で入院したから入れ歯が、できてるはずや」
と言ったらしいです。

この1ヶ月の入院中、約半分を姑と つきあってくれれたお陰で義妹も
姑の言うことを鵜呑みにせず
「ほんま?」
とメールで確認してきました

それで去年のことだと説明しましたが、退院したら歯医者に行くと言う姑。

まだ自転車に乗って一人で行けると思っているのかなぁ?

入院している間に この1年間の記憶が、無くなってしまってないか、
ちょっと心配です
2012-08-26 21:51 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月25日(土)
要介護度の問題
施設への入所審査の翌日 お昼過ぎに通知が、来ました。

結果は!

保留

要介護1以上であれば入所資格は、あるので安心していましたが、
やはり現実は、厳しく
「要介護1の方は、大勢いらっしゃいますから要介護2以上でないと」
という返事でした。

介護度の変更(区分変更)が、まだ出ていないのでそれの結果が、
でてからということになりました。

入院直後に介護度の変更を申請しておけばよかったのですが、
その時は、検査すれば悪いところが、見つかると思っていましたから
そこまで思いが、及びませんでした。

初めてということは、どうしても後手後手になるものだということを
実感しています。

しかし〜!
もし介護度が、上がらなければ入所は、できないので今は、介護度の
上がるのを願うばかりです
2012-08-25 10:33 | 記事へ | コメント(1) |
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2012年08月24日(金)
一日 ソワソワ
施設への入所審査の日、朝からソワソワする私たち。

審査は、午後と聞いているので夕方には、結果を知らせてもらえると
思っていたので電話を 手元に置いて晩ご飯の用意をする私。

すると電話が、鳴りました。
来た!と思ったら 頼んでいた修理に
「明日行きますと」
いう連絡でした。

ガッカリ!

夕飯も片づけも済んだ頃 また電話が、鳴りました。
今度こそ!
と思ったら・・・
「太陽光発電のなんちゃらかんちゃらで〜〜」
「関心ありません」と答えてる途中で切られました

またもやガッカリ

で!施設のパンフレットを見直すと

入所の決定は、後日お知らせします。

と書かれてありました。

ちゃんと読んでませんでした

いつ連絡が、来るのかと思うと

落ち着きません〜〜!
2012-08-24 09:56 | 記事へ | コメント(0) |
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2012年08月23日(木)
生きる力
施設への入所審査の前日、本人との面接で施設の方が、病院に来られました。

姑に
施設の方「○○という施設から来ました。
     退院後、自宅に帰られる前にココの施設でリハビリして
     いただくことになっています」
姑「ハイ、なんでもします」

へぇ〜なんでもするって!
でも入所する頃には、忘れているよね

すぐに忘れるけど受け答えは、しっかりできる姑。
「○○は、できますか?」
という質問に それくらいできて当然という答えています。
できると思っているんですよね

その後、姑抜きで お話させていただくことになって
まず
「(姑が)おっしゃっていることに間違いありませんか?」
と聞かれたので ちゃんと訂正しておきました

最後に・・・

今は、点滴で回復していても食欲不振は、改善していないので、
また以前の状態に戻ることを施設の方も予測されていて

「その時は、どうしますか?」
と聞かれました。

今回は、食べなくなってフラフラしてたので入院させましたが、
その後、私も考えました。

食べない人には、胃ろう(チューブで胃に栄養分を入れること)をして
命をつなぐことを されますが、私たちの意思で命をつないだ時、
今度は、いつお終いにするかという決断をすることになったら
できるのか?

私は、できない!
そう思っていました。

それが、特養の見学に行ったときに施設の方と話をしていると
その話になって私の意見を言うと夫も 同じ事を言いました。

それで

「食べないというのは、生きる力が、無くなったとうことだと思うので
自然に任せます」
と答えました。

命は、いつか尽きます。
しっかり向き合いたいと思います。
2012-08-23 20:37 | 記事へ | コメント(0) |
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