一つは、無理
2013年06月30日(日)
今まで姑と住み分けていたので私たち夫婦が、過ごす2階にも
冷蔵庫、電子レンジ、湯沸かしポットなどを置いて友人が、来ても
飲み物ぐらい出せるように していました。

でも もうそんなことを しなくてもいいので
「節電のためにも2階の家電を減らした方が、いいかなぁ?」
と思っていた矢先、湯沸かしポットが、壊れました。

病気をしてから朝は、ゆっくり寝るようになったので朝ドラを見ながら
2階で朝食をしていたのですが、ちょうど良い機会と思って朝も台所で
食べることにしたのですが、朝食の パン、リンゴ、牛乳など
2階の冷蔵庫から移すと台所の冷蔵庫は、一気に満杯・・・

これでは、節電になりません

二人でも3日分の食料を買いだめしますから冷蔵庫を一つにするのは、
無理みたいです

(ブログ村のカテゴリー これまで「50代主婦」でしたが、
 いずれ60代になるんだし・・・ということで
「生活空間」もいいかな?と思ったのですが、
「熟年夫婦」に変更しました。)
2013-06-30 | 記事へ | コメント(0) |
| 生活 |
こんな日は、お片づけ
2013年06月29日(土)
梅雨の晴れ間、暑くもないので動きやすい!
と、いうことで1階居間の押入を片づけました。

姑が、施設に入ってから1度、断捨離しましたが、旅立ってしまったので
残してあった姑のモノは、本当に必要なくなってしまいました。

前にも書きましたが、衣類は、形見として貰ってもらうことにしていますが、
その他に捨てられないものが、あります。

そういうものを 居間の押入に入れるために 片づけました。

残しておいても 仕方がないと思いながら捨てられないものは、

日本画の道具や関連する本。
ちぎり絵に使っていたもの。
姑のお気に入りだったものに 書き残したもの

そしてアルバム・・・・。

写真は、撮るのも撮ってもらうのも大好きだったのでアルバムは、
1年に1冊という時期もありましたから かなりの量です。

そのうち整理して良い写真だけを 写真ホルダーで残そうと思っています
2013-06-29 | 記事へ | コメント(0) |
| よもやま話 |
アリさん捕獲
2013年06月28日(金)
ウチの庭には、大きなアリ(山アリらしい)が、ウロウロしています。

そのアリが、コレ↓


繊維に 絡みついて動けなくなっているのを発見!

それは、


私のソックス!

郵便物を取りに行った時に 付いたようです。

動けば動くほど絡みついて脱出不可能になっているようで
”アリさんホイホイ”状態

もうちょっと引くと こんな感じ


お見苦しいものを スミマセン
2013-06-28 | 記事へ | コメント(0) |
| よもやま話 |
どんな姿になっているのかな?
2013年06月27日(木)
7月中旬の納骨に備えて石材店に姑の戒名を彫ってもらう
手配を したので・・・

さら「戒名を彫るために 墓石を もって帰らはるんやろか」
夫「そらそうやろ墓地で作業は、せえへんと思うで」
さら「そんなら墓石の上が、ないマヌケな姿になってるねんやろね」
夫「そうかなぁ〜。ダミーみたいなんで形は、残してるかもしれへんで」
さら「どんなことになっているのか見たいわ〜」
夫「そしたら見に行けや」

一人で行けるのなら行きたいんですけど交通の便が、悪いので
ちょっと無理です。

滅多にないことなのに夫は、そういうことに興味が、ないようです。
残念だわ
2013-06-27 | 記事へ | コメント(0) |
| ご供養 |
どちらさまで?
2013年06月26日(水)
駅前のスーパーに入ってすぐのこと エスカレーターの前で 私を
見つめる女性が、いました。

近づいて行きながら
『見たことある人・・・』
と思うのに誰だかわかりません
『誰?誰?誰?』
で!
『あ〜!!』
と思い出すのと同時に その女性
「新聞屋です〜」
そうそう毎月 新聞の集金の来られる方でした。

さら「ごめん〜!いつもヘルメットかぶったはるから
 気づけへんかったわ〜」

同年代ということもあって親のことなどをよく話を するのに
集金には、原付で来られるためヘルメットの顔しか見ていないので
すぐには、わかりませんでした

その方が
「わかれへんって よく言われますから」
と言ってくださって気づかないのは、私だけではなかったようなので
ちょっと安心しましたが、犬好きの私は、ワンちゃんと一緒の時は、
挨拶する飼い主さんも飼い主さんだけだと気づかないことが、
あるんですよねぇ
2013-06-26 | 記事へ | コメント(0) |
| よもやま話 |
気楽な方が、いい
2013年06月25日(火)
夏になると居間は、ホットカーペットから い草のラグに替えないと
暑くて生活できませんが、ついつい忘れてしまうのが、

応接間

来客も少ないので今は、事務所になっていますが、ソファーは、
残っています。

季節感を大事にしていた姑は、そのソファーに
夏は、パナマの座布団、冬は、ボアのシートクッションと
季節に先駆けていつも替えていました。

でもマメさも意識もない私
去年は、寒くなってもパナマのまま
今年は、暑くなってもボアのまま

来客が、あって
「あ!しまった!替えてない」
と気づくほど・・・

ならば!オールシーズンにしてしまえばいい!
と季節を問わないようなシートクッションを買いました。

季節感は、大事だと思いますが、気楽な方が、いいです
2013-06-25 | 記事へ | コメント(0) |
| よもやま話 |
お客さん用は、必要?
2013年06月24日(月)
これまで1階は、姑 2階は、私たち夫婦と住み分けていましたが、
もう その必要は、ないので姑が、居間にしていた部屋で存分に 
テレビを楽しむ夫

お互い見たい番組を 我慢することもありません。

それで気づいた夫
「1階って涼しいな〜
 節電にもなるし夏は、暑い2階で寝んでもええんちゃう」

そうなんです。
ウチは、ベッドでは、ないので布団さえ持っていけば どこでも
寝られます。
これからは、
夏は、1階の北側の座敷
冬は、2階の南側の居間
で寝ようと思うのですが、そのためには、押入の布団を片づけないといけません。

何度か処分したので今は、2組になりましたが、いつ使うか分から無いモノを
置いておくべきなんだろうか?
と思う私・・・。

お布団もレンタルできる時代になって お客さん用の布団を用意している
お家ってあるんでしょうか?

座敷で寝ていた姑は、布団を敷きっぱなしにしていましたが、私は、
押入に入れたい!

布団を用意していたところで昔の つぶされそうに重い布団で寝られるのかなぁ?
2013-06-24 | 記事へ | コメント(0) |
| 後始末 |
ゴミと廃品回収と形見の品
2013年06月23日(日)
押入に入れたままにしていた施設から持ち帰った姑の身の回りのモノと
タンスに入ったままの衣類を 廃品回収の日が、近づいてきたこともあって
ようやく整理する気になりました。

着古したもの シミの付いたものは、ゴミに
肌着や まだ着られそうな部屋着類は、廃品回収に
新品の肌着とパジャマ、ちょっと上物のセーター、カーディガン、
ブラウスなどは、義妹(夫の妹)か叔母(姑の妹)に形見分けにと
分けました。

ゴミは、2袋。
廃品回収には、3袋。
残した衣類は、それ以上

その中には、姑の誕生日にプレゼントした衿付きのカーディガンもあります。

数回しか着ていないので きれいです。
もったいないと思っても姑のために選んだものは、着る気が、しません。

まず義妹に選んでもらって残りは・・・
夫「おばちゃんのとこへ宅配で送ったら嫌でも受け取ってくれるやろ」

姑は、買って気に入らない服は、いつも妹(叔母)に送っていましたから
喜んでくれるとは、思うのですが、大量ですからねぇ

迷惑がられても知りません〜
2013-06-23 | 記事へ | コメント(2) |
| 後始末 |
13年と23年
2013年06月22日(土)
姑が、旅立つ数日前のこと・・・

さら「冷蔵庫は、13年。洗濯機は、23年。
   まだ使えるけど去年の夏、冷蔵庫が、うなって冷やしてたから
   新しくしたら節電になるやろうね〜。
   洗濯機も動くけど こないだ誰か(夫)が、”蓋”壊したしなぁ〜
   今のは、節水になるらしいしぃ〜」

そんな話をしたら

夫「電気代も上がるんやし買うたらええやん!
  GWどこにも行けへんねんから買いに行こ!
  3日に行ったら連休中に届くで」

ということで3日 家電量販店の開店時間に行ってその二つを購入。
翌日配達に ウキウキ気分で姑に会いに行ったのです。

その2時間後の急展開。
姑を送る準備をしながら配達もキャンセルしました。

届いたのは連休明けの7日。

冷蔵庫と洗濯機が、一度に新品になるなんて滅多にないことなのに
うれしさは、半減・・・。
でも今まで以上に ありがた〜〜く使っています。

そして電気代!
5月は、日数が、少なくてまだ節電の効果が、ありませんでした。

6月は、電気を使わない時期なので あまり期待をしていなかったのに
昨日 お知らせが、届いたら去年よりわずかに減っていたのです。

夏本番のこれからが、楽しみです
2013-06-22 | 記事へ | コメント(2) |
| よもやま話 |
粗供養
2013年06月21日(金)
これまでも お返しは、一定の金額以上を 商品券と決めていましたから
親戚のお香典のお返し(満中陰志)は、ほとんどこれに該当したので楽でした。

さんざん迷ったのが、満中陰の粗供養。
葬儀代金の割引という名目で葬儀屋さんでしか使えない商品券を
もらっていたのですが、それは、飲食には使えないということで
それなら粗供養に使うしかありません。

しかし商品の少ないカタログの中で
いつまでも残るような品物は、まず除外。
電車で帰る人もいるので重いものも除外。
高級志向だった姑の為に2流メーカー物も除外。

そうなると残ったものは、タオル。

でも こういう時のバスタオルって
”ホテル仕様”
というもので一見高級品ぽいですが、私は、分厚くて使いにくいのが、
嫌なんです。

それとフェイスタオルとハンドタオルのセットを よく頂きますが、
ウチは、ハンドタオルは、使わないまま残っています。

で!
”フェイスタオル4枚入り”
にしました。

一般受けするように私の好きなピンク色でも花柄でもない 
白とベージュの無地のタオルです。

また来年、一周忌に悩まないといけません。
貰って”嬉しい”とまでいかなくても
”良かった”と思ってもらえる品物って何でしょうね?
2013-06-21 | 記事へ | コメント(0) |
| ご供養 |
お返し
2013年06月20日(木)
お香典の お返しの満中陰志。
四十九日法要に来て頂いた方にお渡しする 粗供養。

昔と違って今のご家庭は、何でも揃っていますし好みも様々になって
いるので品物選びに悩みます。

それ以上に悩んだのが、姑の日本画や私の書道のお仲間の方が
複数人で下さった御供物、御供花などのお返し。
お一人の金額となると少額になります。

姑は、どんな頂き物でも必ず お返しを していたので
「ちゃんとお返ししといてや〜」
という姑の気持ちが、ビンビン伝わってくるので おろそかにできません。

考え抜いて冠婚葬祭向きの白いレース調のハンカチにしました。
これなら遠慮されるような品物でもありませんし封書で送ることが、
できるので こちらとしても気楽です

後日 その中のお一人(姑と日本画でご一緒だった ご近所さん)
からお礼の電話が、あって・・・
ご近所さん「こんな丁寧なことをして頂いて申し訳ないです」
さら「おかあさんの気持ちだと思って受け取ってくださいね」
ご近所さん「そうなんですよ!もし○○さん(姑)が、お元気やったら
      お返しに こんなん選びはったやろなと思いましてん。
      大事に使わせてもらいます」

姑と感覚が、似ていると言われてビックリです
2013-06-20 | 記事へ | コメント(2) |
| ご供養 |
ふくらむ想像
2013年06月19日(水)
あの世とか天国とか霊界とか黄泉の国とか、言われる世界。
そして霊魂とか魂と言われるもの

”有る”のか”無い”のか わかりません。

実家が、分家で 仏様の世界とは縁が、薄かったため
結婚した当時は、お盆の迎え火、送り火を しても
「ご先祖様は、本当に帰って来たはるのかなぁ?」
と思っていました。

でも毎年繰り返していると”有る”という意識になってくるもので
舅を送ってからは、お盆には、
「帰って来たはる」
気分になってしまいました。

今日は、姑の本当の四十九日。

「お母さん(姑)は、お父さん(舅)や兄弟達と会えたかなぁ」
とか
「お父さんは、お母さんに
 『もう来たんか。案外早かったなぁ〜』
 って言わはるやろか?それとも
 『やっと来たなぁ〜』
 って言うたはるやろか」
とか いろいろ想像しています

そして気ままな姑が、
「『こんなとこ性に合わんわ〜』と文句言うてるのとちがうかな?」
なんて考えるとおもしろいものです。
2013-06-19 | 記事へ | コメント(2) |
| 思い |
色つきの灯り
2013年06月18日(火)
四十九日が、終わるまで 新仏さんは、お仏壇には、入れないので
お葬式の後、葬儀屋さんが、祭壇を組み立てに来てくださいました。

姑の本当の四十九日は、19日なのでそれまでゆっくり過ごそうかな
と、思っていたのに、ちょっと仏壇の回りをと お掃除し始めたら
祭壇まで手をつけ一気に片づけてしまいました。

これまで祭壇の両脇に朝から寝るまで灯されていた おひな様の
”ぼんぼり”
に似た色つきの灯り。

舅の時は、色つきの灯りが、くるくる回るので人魂のようで
”きしょくわるかった”
のですが、今は、LEDで ゆっくり色が、変わります。

組み立てに来た葬儀屋さんも
「はじめて見ましたが、きれいですね〜」
と言われたので最新式のようです。

片づける時になって箱に書かれた
”京雪洞”
読み方が、わからず

ネットで調べたら”きょうぼんぼり”と ありました。

しかも同じ商品

ぼんぼり に似ているのでは、なく 同じぼんぼりさん でした。

京雪洞の灯りで にぎやかな雰囲気だった仏間が、寂しくなってしまいました。
2013-06-18 | 記事へ | コメント(0) |
| よもやま話 |
続けること
2013年06月17日(月)
昨日の法要で お寺様が、お供えの仕方で

「自分の やり方に自身を持ちなさい」

と言われました。

他人から
「お供えは、こうするべきだ」
と 言われても それが、苦痛になったり 続かなくなるようでは、
正しいお供えの仕方では、無いということ。

続けることが、大事なので 自分の思うような お供えの仕方で いいので
「自身を持ちなさい」
と言うことでした。

ウチは、玄米ご飯なので 二日分をまとめて炊きますから 毎日 ご飯を
お供えできません。

それで長年の姑が、朝ご飯に していたレーズンパン(半分)を
毎朝 お供えしてきました。
四十九日までと 思っていましたが、これからも続けることにしました
2013-06-17 | 記事へ | コメント(0) |
| ご供養 |
ひと区切り
2013年06月16日(日)
今日は、姑の満中陰(四十九日)の法要でした。

今日に向けて いろいろ準備をしてきたため無事に済んで
気が抜けて疲れが、出てきそうです

四十九日まで線香を絶やさないように朝は、夫が、夕方は、私が、
渦巻き線香を新しくすることにしてきました。

49日間も線香で燻されたら家の中は、どうなるの〜!
と思いましたが、暑くなって風通しを よくしたことで ちょっと
ニオイも抜けたようです。

毎日のことなので 最初は、
「値段の高い お線香は、もったいない!」
と思いましたが、アロマセラピーの如く香りが、良いと気持ちも
良いいものです。

7週のうち3週を お高い お線香にしてしまいました
2013-06-16 | 記事へ | コメント(0) |
| ご供養 |
待つしかない時
2013年06月15日(土)
人の命が、尽きる様子を見守ったのは、これまで舅だけでした。

ですから姑が、衰えてきたときに
「あぁ・・・お父さんの時も こんなだった」
と姿が、だぶりました。

そしてまた 父も同じ姿に・・・。

徐々に魂が、抜けていっているような感じが、します。

”危ない”と言われてから舅の時は、2ヶ月後
姑は、一ヶ月半後の旅立ちでした。

父は?
こればかりは、予想できません。
弟は、7月の終わりまでと 覚悟しているようです。

ただ 待つしかありません。
2013-06-15 | 記事へ | コメント(0) |
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”お殿様”的
2013年06月14日(金)
父と相性のいい義妹(弟の妻)も母とは、最悪でした。

理想を求める母は、義妹に対して不満と愚痴並べます。
しかもそれを言う顔が、怖いので
義妹も「おばあちゃんの顔を見るのも嫌!」
と言いましたが、それは、私も経験しているので理解できました。

そんな時に 両親を別居させることになったため家族の手に負えない
父を義妹に任せ 母を私の近くに住まわせました。

3年あまり過ぎた昨年 自宅介護が、限界になって父をグループホームに
入れたことによって今年の3月ようやく自宅に戻った母。

3年も過ぎると母も老いましたし やっと自宅に帰れたということもあって以前より愚痴を言わなくなり

義妹もまた介護ヘルパーの仕事をするようになってお年寄りとの
付き合い方も学んだため今は、なんとかお互いに折り合い付けて
暮らしています。

昨日 久しぶりに義妹とランチをしながら
さら「母さんは、なんでも人に任せて自分は、何もせえへんっていう
   ”お姫様”みたいなとこが、あるからねぇ〜」
と言うと
義妹「”お姫様”やったらもっと まったりしていますよ〜
   あの攻撃的な感じは、武士やと思いますから
   ”お殿様”ですね」

確かに・・・ね
2013-06-14 | 記事へ | コメント(0) |
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ちょっと一息
2013年06月13日(木)
姑が、旅立ってからあわただしく過ぎていった日々。

ようやく四十九日の準備と来月の納骨の手配が、済んで
舅と姑の戒名が、入ったお位牌も出来上がってきました。

最初は、あれもこれも やることが、山積みでどうなることかと
気がかりでしたが、ちょっと一息つけるようになりました。

で!毎年 近くの川で雛をかえす カルガモさん。
先日 親サイズの群れを見たので 今年の子育ては、終わったのかと
ガッカリしていたら昨日は、可愛い雛たちが、一緒でした。
日焼けを気にしながらしばらく ぼんやり眺めていました。

可愛い仕草に癒された昼下がりでした

私のコンパクトデジカメでは、ボケボケで夫の一眼レフデジカメの
写真です。

2013-06-13 | 記事へ | コメント(2) |
| よもやま話 |
言葉との出会い
2013年06月12日(水)
父に会った日の帰り道、この地域にあるお寺の掲示板の貼り紙が、
目にとまりました。

そこには、
「雨の日には、雨の日の
 老いた日には、老いた日の
 かけがえのない人生が、あります」
と書かれていました。

最初は、老いた父を見てきた後でしたから 老いた人への戒めかと
思いましたが、その言葉を つぶやきながら歩いていると

「その時、その場所 その年齢に ふさわしい過ごし方をしなさい」

という誰にでも当てはまる意味が、込められていると感じたので

心に留めたいと思いました。
2013-06-12 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
反面教師
2013年06月11日(火)
私は、見合い結婚でしたから二十歳を過ぎた頃から 数々の縁談が、
来ました。

父は、縁談が、来るたび相手の欠点を探し出しては、
「これは、アカン!」と断るばかり。
そんな中 初めて30歳代の方から縁談が、来た時・・・
父「30を過ぎても結婚でけへんのは、親が、ボンヤリしてるからや!
こんな親のところへは、嫁にやれん!」

そんなことを 言い放ったのに 息子(弟@長男)は、37歳まで結婚できず
もう一人の息子(弟@次男)は、今も独身・・・

そんなことになったのですから
「人の批判は、するものでは、ない」
気づけば良かったのですが、そういう言動は、続き 70歳半ばの頃
施設の老人を見て

「俺は、あんな格好の悪い、みっともない年寄りには、ならん!」
と・・・。

それで そういう(それ以上の?)年寄りになってしまいました。

「軽々しく人を批判するものではない」
ということを 見せつけられた私たち(姉弟)。

見事な反面教師です。
2013-06-11 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
握手で感じる
2013年06月10日(月)
父に色紙を見せた後、介護してくださっている方に
「喋れないけど聞こえているようですから話しかけてあげてくださいね」
と言われました。

私の言うことに反論するか 話の腰を折ることしかしない父と
何気ない会話が、できなかったのに話かけてと 言われても・・・

こういうのが、一番苦手なんですが、黙って座っているのも 
落ち着かないし 先週来た時、ショックを受けるような気がして
姑のことを話せませんでしたが、報告がてら話すと 
”まばたき”しました。

聞こえているのは、間違いなさそうです。

反応が、ないこともないし 反論もしないので
「話せる」
と思った私
こんなに弱らないと何気ない話しが、できないのは、どうかと思いますけどね。

しばらく話しかけて最後に 
「また喋れるくらい元気になってなぁ〜」
と言いながら姑にしていたように握手すると弱い力でしたが、
握って離そうとしません。

握り返してくれたことで
「私のことを憎んでない」
と感じることが、できてまた涙・・・。

喋れたところで気分を害するようなことしか言わないので 
かえって腹立たしい思いをするだけだったと思います。
言葉が、邪魔をすることが、あるんですね。
2013-06-10 | 記事へ | コメント(2) |
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父への色紙
2013年06月09日(日)
今日は、朝から書道の課題を提出する準備をしていたのですが、
突然!
「父さんには、1枚の色紙も書いてあげなかったなぁ〜」
と思ったので 大急ぎで色紙に父の名前を書きました。

父が、元気な時に色紙をプレゼントしたところで
「こんなもん!」
と二つに折られるか ゴミ箱に捨てられるか・・・
喜んでいても そんな行動をする人ですから 書く気にもしなかったのです。

その色紙を持って、父の所へ行くと、先週は、ディルームで座って
いたのに今日は、点滴をしていました。

横たわっている父に色紙を見せると 見ているものの
”無表情”

しかも話すこともできなくなっているので
”無反応”

「気に入らん!持って帰れ!って怒ってる方が、父さんらしよ・・・」
と思ったら涙が、出てきました。

父の前で泣くなんて・・・予想外
2013-06-09 | 記事へ | コメント(0) |
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相性に助けれれる
2013年06月08日(土)
もし私が、気楽な子供時代を過ごして実家のような何かにつけて
縛られる家に嫁いだら
「生きていく自信を 失っていた」
と思うと恐ろしい気が、します。

ですから弟が、やっと結婚できることになった時、両親が、お嫁さんの
心をつぶしてしまわないか ずいぶん心配しました。

ところが、ありがたいことに父と義妹の相性が、良く 私たちの言うことは、
全く聞かない父が、義妹の言うことには、聞き従うのです。

義妹もまた父を大事にしてくれるので自宅介護をしている時も
甲斐甲斐しく世話をしてくれましたし グループホームに入ってからも
一番よく足を運んでくれています。

義妹が、いなかったら家族の言うことを聞かない父を どうすることも
できずに見放すことになっていたと思うので義妹には、本当に感謝しています。
2013-06-08 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
伝わらない悲しさ
2013年06月07日(金)
伝えるべきなのは、両親であって ココに書いたところで どうすることも
できないことも よくわかっているんです。

でも 人の意見を聞くと見下されると思い込んでいる父と
自分の価値観に鎧を着た母には、何も伝わらなかったのです。

父のために 母のためにと言えば言うほど父は、
「親に意見するな!」
と怒りました。

認知症の初期には、母だけでなく私の言うことも気に入らないと
親子の縁を切るとまで言いましたから
「何も伝わらなかった」
という虚しさを残し 娘を憎いと思ったまま父が、旅立っていくのかと思うと
伝えたかった思いが、あふれ出て書かずにいられなかったのです。
2013-06-07 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
認めること
2013年06月06日(木)
自分は、賢い!と自負し なおかつプライドの高い母は、
他人の欠点ばかり探し出して
「あの人は、アレできない」
「こんなことも知らない」
「あの人のすることは、なってない」
と批判することで自分が、出来る人であることを 確認して安心している
ような感じが、します。

しかし姑は、
「私は、ちっとも かしこない」
と、決して他人を批判したり さげすんだりしませんでした。

しかも堂々と
「私は、何も知らんから 教えて〜」
と言い 教えてもらって人には、
「何でも知ってて偉いなぁ〜」
と褒めました。

本当に賢いのは、姑のように自分を低く出来る人 そして
自分の欠点を認め他人の良いところも認められる人だと思います。

そこまで わかっていますが、悲しいかな私自身、母の素質を
受け継いでいるので姑の域には、ほど遠いです
2013-06-06 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
責め続けて
2013年06月05日(水)
「俺のすることは、いつも正しい」
と思っている父と
「本を読んで何でも知っている私が、間違えるハズがない」
と思っている母。

そんな自分が、悪いとは、全く思わない二人は、何か問題が、起こると
”人のせい”にしました。

それは、子供に対しても同じで
「しっかりしてないアンタが、悪い」
「アンタのせいで そうなった」
と幼稚園の頃から容赦なく責められました。

”相手が、変われば今より良くなる”と思いがちですが、
自分自身が、人から悪いところを指摘されても変わろうともしないのに
責めて相手を変えようとするのは、とても高慢なことだと思います。

言いたいことを言って責めれば気が、済むかもしれませんが、
何も解決しません。

解決策を考えることなく二人は、50数年間 ことあるごとに
「お父さんが、悪い」
「○子(母)が、悪い」
と責め続けました。

あげくのはてに80歳を前に父は、
「俺の人生は、○子(母)にめちゃくちゃにされた」
とまで言いだし 母もまた
「結婚自体が、間違いやった」
と言う始末。

後々、父が、過剰に母を責めるようになったのは、認知症の症状だっと
わかったのですが、昔年の恨みを晴らすような状態になってしまい
どうすることもできず
別居させましました。

それでも母は、
「私は、悪くない」
と思っています。
2013-06-05 | 記事へ | コメント(2) |
| 実家 |
苦は、楽の種
2013年06月04日(火)
感情で子供を縛った父に対して母は、理想で子供を縛りました。

社会に出ることなく文学少女のまま親になってしまった母は、
小説や雑誌の情報から
「理想的な親になること」
「理想的な子育てをすること」
に一生懸命でした。

しかし理想は、理想。
それだけの器の無い人間が、良い母になろうと頑張っても限界が、
あります。
思うようにならないことが、溜まるたびに不満を爆発させました。

父が、感情的にならないように 母が、不満を爆発させないように
顔色をうかがいながらの生活が、子供にとって楽しいはずが、ありません。

そんな修行のような日々を過ごした後の結婚生活は、

別世界!

何にも縛られず おまけに舅、姑から大事にされて
それはそれは、心地の良いこと

小学生の時、お寺の住職さんだった担任に しつこいほど言われた言葉が、

”楽は苦の種 苦は楽の種”

当時は、
「しんどい宿題を早くすると 楽になるんだよね」
程度にしかとらえていませんでしたが、

苦労は、実ります
2013-06-04 | 記事へ | コメント(0) |
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血のつながり
2013年06月03日(月)
弟から父の状態が、良くないと聞いて いよいよ別れが近づいてきたなと
思った時、初めて
繋がりを断ち切られる
ような感覚を味わいました。

子供の頃 父の言うことは、絶対で従わないと怒られ 理不尽な扱いに
我慢に我慢を重ねて育ちました。
当然、恨んだ時期もあります。

それでも親は、親・・・父でなかったら私は、存在しません。
葛藤しながら年を重ねるとともに許せるようになりましたが、
舅や姑のように一緒にいたいとは、思いませんでした。

ですから何の感情も湧かずにさよならすると思っていたのに
断ち切られる
と感じた時、血のつながりというものを再確認させられたのです。

その時、両親に愛された夫は、舅、姑との別れに
引き裂かれる
思いをしたに違いないと気づかされました。

姑が、施設に入所した時夫が、
「寂しい」
と言った一言は、
”引き裂かれる心の痛み”
の表現だったのでは、なかったのかと。

その時から夫は、母親との別れに向き合いながら心から血を流しては
修復を繰り返すことで その日を覚悟したのかもしれないと思いました。

大好きな舅、姑は、いつまでも一緒にいたい人でしたから別れに
”魂(たましい)”が、離れていくような空虚感は、あったものの
断ち切られる 引き裂かれるという心の傷みは、ありませんでした。

血のつながりには、やっぱり勝てないものが、あるようです。
2013-06-03 | 記事へ | コメント(0) |
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怪しい雲行き
2013年06月02日(日)
去年7月姑が、入院したころ家での介護に限界を感じた弟夫婦が、
父を施設に入れることを決め8月の始めにグループホームに入りました。

一ヶ月後に姑も施設に入所したこともあって二人の状態が、似ているため
姑が、旅立ってから ずっと父の事が、気になっていました。

先月中頃に義妹(弟の妻)から
「すぐにどうこうは、ないと思いますけど最近 状態が、悪くなっていますよ」
と聞かされていたのですが、姑の後始末に忙しく会いにいけないままでした。

それが、弟から
「食べなくなって痩せる一方や」
と聞いて姑と同じようなことになっているのかと気になって
早速 行ってきました。

もっと衰えているかと心配しましたが、寝付いていることは、なく
デイルームで座っていました。

でも反応は、悪く喋ることもできないので私のことを 
認識できているのか わかりません。

せめて四十九日が、終わるまで待って!

という気分で また落ち着かない日々になってしまいました
2013-06-02 | 記事へ | コメント(0) |
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息子の嫁というもの
2013年06月01日(土)
書道を初めて今年ちょうど30年

書道会の中でも10期生までで残っているのは、私を入れて たった5人。
その古株の皆さんに お花をお供えして頂きました。

スーパーにで同期のAさんに お会いしたので
お花のお礼を言うと

「元気そうで安心したわ〜
 もっと気落ちしてるんとちがうかなぁ〜って
 心配ててんよ〜」

そういえば 生協でご一緒のTさんにも 同じようなことを
言てもらいました。

あまり親しくない方からは、夫を気遣った言葉しか出てこないので

『コノヒトハ、ヨメハ、カナシマナイ ト オモッテイルノカ?』

もっと悪意で受け止めると・・・
『ヨメハ、ウレシイト オモッテイルヨネ』
みたいな

そこまで悪意を感じるているワケでもないんですが、
息子の嫁って そう思われてもしかたないのかなと
少々寂しく思っていたので姑との関係を ご存じの方からの
お気遣いの一言は、一段とウレシいものです
2013-06-01 | 記事へ | コメント(2) |
| 思い |
 

ニックネーム:さら
性別:女性
年齢:50代後半
都道府県:大阪府
結婚して32年書道歴も32年 姑との同居は20年で終了し夫婦だけの生活になりました

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