たった1枚
2015年10月05日(月)
姑は、人からの頼まれごとは、
喜んで受けるものの
人に何かを頼んだり
人から何かしてもらうことを
嫌がった、

なので私が自分の服を縫っていた時も

「何か縫って」

とは、言わなかった。

でもある時、話の流れから

姑「インド更紗のワンピース着てみたいわ〜」

と何気な〜く言った。

”それなら!”

と姑が気に入りそうな生地を買ってきて
縫ってあげた。

それがこれ↓



平成元年、姑64歳の時のこと。
隣にいる舅は割愛

このワンピース姿の
写真を探していたけど
上着を着ているモノばかり

ワンピースだけで撮った写真は、
無いと諦めていたら
今回整理してたら出てきた

とても気に入ってくれたので
色落ちして生地もくたびれるほど
着てくれた。

姑に縫ってあげたのは、
この1枚だけ。
それでもこの1枚を縫わなかったら

”後悔していた”

という思いが、亡くなってから
強くなっている。
2015-10-05 | 記事へ | コメント(2) |
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50数年の暮らし
2014年11月17日(月)
父が、認知障害で母を疑い出したときは、
言葉の暴力だけでしたが、最後は、
流血事件になりそうな状況で
母を家から追い出しました。

なので母は、私の目の届くところで
暮らしている時も居場所を探して 
殴り込みに来るのでは、ないかと
父の気配を感じて おびえたり
夢を見て飛び起きたりしていたんです。

ところが、亡くなったことで
母に恐怖感がなくなったからか
夢に出てくる父は、とっても穏やかで
親切なんだそうです。

最近も母が、お風呂上がりコタツで
うたた寝していたら何やら声をかけてくれたので
目が覚めたと。

母「あのまま寝てたら風邪ひいてたわ」

それに
母「寝てたら隣で おとうちゃんの
  いびきが、聞こえる時が、ある」
らしいです。

50数年間の暮らしが、簡単に
消えるわけが、ありません
2014-11-17 | 記事へ | コメント(2) |
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ピッタリ!
2014年10月20日(月)
週末は、とてもいいお天気だったので
庭の草抜きをしました。

とりあえずよく見える部分だけは、
きれいに

すっきりした庭の
”つわぶき”

舅が、亡くなった時、庭のあちこちで
咲いていたのに年々、咲く時期が、
遅くなって1ヶ月遅れで咲くことも
珍しくなくなっていましたが、
今年は、命日に会わせたかのように
今日、花が開きました。

2014-10-20 | 記事へ | コメント(2) |
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敬老の日に
2014年09月15日(月)
去年、父のグループホームの
敬老の日にちなんだ催しに
参加したことを思い出して

「去年の今頃は、まだ生きてたんや」
と思うほど父も姑と同じぐらい
過去の人になってしまっているのを
感じます。
一周忌は、まだなのに・・・

親(両親と舅姑)には、誕生日と
父の日、母の日のプレゼントを
欠かさずしましたが、敬老の日は、
結婚当初に
”親を年寄り扱いすることもないし・・・”
と思ったまま年老いても
何もしませんでした。

なので今日も、母には、何も
しません

夫の甥っ子君が、結婚してから
お嫁ちゃんが、気を利かせて
毎年プレゼントを送ってくれましたから
姑には、それで良かったと
私は、思っています。

姑は、どう思っていたのか
知りませんけど・・・
2014-09-15 | 記事へ | コメント(2) |
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メモリアル
2014年09月03日(水)
姑を見送るまでと 
見送ってから
これまでの経験にない数々のことを
考えたり 決めたりしなければならない
緊迫した時間に追われる日々でした。

そんな日々から解放されて
しばらく経った”今”
ようやく時間にゆとが、出てきました。

それでやっておこうと思うように
なったのが、
”旧ブログと日記の整理”です。

旧ブログ以前、自身のホームページ上で
姑をネタに書いていた日記のデータも
あります。

始まりは、2000年11月。
残せなかった期間や書いていない
時期が、あるものの

”笑える記事”
には、事欠きません

厳選してメモリアルになる
私だけの”一冊”にするつもりです
2014-09-03 | 記事へ | コメント(2) |
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誰もいなくなった
2014年05月29日(木)
舅が、サラリーマン時代に築き上げた
人間関係を 夫が、仕事をする上で
引き継くことになった方が、いました。

そのため舅が、亡くなってからも会社から
年賀状を 差し上げていたのですが、
一人減り 一人減り・・・

先日、とうとう最後のお一人も旅立って
いかれました。

舅が、生きていたら今年95歳。
その方も同じような年齢だったにも
かかわらず相談役として最近まで
出社されるほど お元気だったとか。

これで舅と親しかった方が、誰も
いなくなってしまったという
寂しさを感じてしまいます。
2014-05-29 | 記事へ | コメント(0) |
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薄情?
2014年05月17日(土)
最近、全く姑の夢を見なくなりました。

一周忌の準備を始める前からですから
今年に入ってから見てないかも・・・

姑が、成仏したのか
私の気持ちが、成就したのか

そうでなくても
時とともに薄れていくのは、
寿命を全うしてくれたお陰かと。

それに夫が、
「オカンの夢なんか見ぇへん」
と言うように私も父の夢は、一度も
見たことありません〜
異性の親だから?

二人とも
「薄情やなぁ〜」と
言うてるかもしれません。

あ!舅の夢も見ますよ。
年に一度あるなしですけど
2014-05-17 | 記事へ | コメント(0) |
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今日という日
2014年05月03日(土)
朝からお墓参りをしてきました。

華奢な雑草が、あちこちに生えていて

「こんな雑草、今まで見たことないわ〜」
って思いましたけどコレまでGW中に 
お墓に来ることありませんでしたから・・・


「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃」

西行のこの歌の”花”というのは、
”梅”のことですが、桜が、咲くと 
この歌を口にしていました。

”花の季節に・・・”
というのは、姑の希望だったようです。

桜より ひと月遅れで去年の今日
つつじの季節に旅立った姑。

お葬式の日の澄み切った青空と
輝く新緑が、忘れられません。

天国では・・・

姑「な!願ごたら叶うんや!」

と”ドヤ顔”で皆に会っていたに違いない
と思っています

そして4年前の今日 私は、
自分の体を過信して無理を重ねたため
脳内出血で入院しています。

左半身に 痺れの症状が、あり
左足の動きの鈍さが、ありますが、

”命拾い”
させてもらったことに感謝する日に
なりました。
2014-05-03 | 記事へ | コメント(2) |
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花とともに
2014年05月02日(金)
舅が、亡くなった時(10月)庭に咲いていたのは、
”つわぶき”

そして去年、姑が、亡くなった時に花壇に咲いていたのが、

この花↓





買ってきたのか貰ったのかも
名前さえ知らず・・・

数年前からヒョロヒョロと咲いているのは、
見ましたが、、花壇の手入れをしなくなって
年々増えていますし花は、大きく背は、高く
育っているようです

そのうち5月になると この花で花壇が
埋め尽くされるかと・・・

それもまた良し
2014-05-02 | 記事へ | コメント(4) |
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感謝の気持ち
2014年01月18日(土)
ゆうべ 姑の夢を見て夢の中で
「あれ(夫と)二人の生活をしていたはずやのに
 またお母さんと3人で暮らすことになったんや。
 それにしても いままで お母さん どこにいてたん?」
と考えていたことに 起きてから
「死んだって思えへんもんなんやね・・・」


夢で姑は、いつものように世話を
やいてくれているのですが、私は、
「そんなことしなくてもいい!」
と文句言っているんです。

毎回、夢に出てくる姑に 文句を言っていたり
怒ってたりと穏やかにしていることのない、私。

日常が、そうだったと思うと本当に
可愛げのない嫁だったなぁ〜と
申し訳なく思ってしまうのと同時に
これが、他の姑様だったら
凄まじいことになっていたはずですから

「可愛げのない嫁を受け入れてくれて
 ありがとう」
と感謝した朝でした。
2014-01-18 | 記事へ | コメント(0) |
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自然な形で
2013年11月14日(木)
姑も父も やせ細って最期をむかえましたが、
姑は、認知症による食欲低下
父は、嚥下障害と食べられなくなる原因は、違って
いました。

ただ どちらも老化によるものには、変わりありません。

父が、居たグループホームは、医院が、開設された所だったので
健康管理は、とてもキチンとされていました。
なので家にいるより長生きしたと思います。

それでも死亡を確認に来られた先生は、

「これ以上手はつくせませんでした」

というような説明をとても遠慮がちに言われるので
こちらからハッキリ!
さら「老衰ですよね」
先生「ハイ」

それで十分です。
なによりも病院と違っていろんな管につながれることなく
自宅に居るように自然な最後だったことが、良かったと
思っています。

でも先生に一言いいたいご家族も いらっしゃるんだろうな〜
と先生の態度から感じました。
2013-11-14 | 記事へ | コメント(0) |
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気にする?
2013年08月10日(土)
毎年 お盆になると姑は、
「ご先祖さんが、出てきゃはったら気持ち悪い」
と、いつも寝ている座敷(仏間)を嫌がり居間で寝ていました。

というのも この家を建てて仏壇を新しくした時、
ご先祖様方が、仏壇から ぞろぞろと出てこられて
「こんなきれいなとこに入れてもろて おおきにぃ〜」
と言ってもらった

 を

見ているからなんです。

私なら「夢やった」で済ましてしまうところですが、姑は、
『本当にそんなことが起こったらどうしよう〜』
と心配したのかもしれません。

で、今、座敷で寝ている私たち。
夫も お盆の時期は、気になるのか聞いてみたら
「(霊感ないので)見えも聞こえもせえへんから気にせえへんで
 お盆の間も ここで寝る」
とのこと。

私も 何も感じないので同じです。

ただ位置的に私が、お仏壇の 真ん前で お仏壇に足を向けて
寝ている状態なので 
「これで いいんか?」
と思わないでもないのですが、姑のように夢で ご先祖様から
「足向けて寝んといて〜」
言われたら考えます
2013-08-10 | 記事へ | コメント(2) |
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これまでと違う
2013年07月07日(日)
去年7月に姑が、入院してから夫と二人で過ごしてきたこともあって
姑が、旅立って間もない時は、お参りに来てくださる方もいたので
姑の話になると寂しく思いましたが、四十九日も過ぎて 落ち着くと
以前の生活に戻ったようで姑は、まだ施設に居るような気、がします。

ですから遺影を見た時に
「ああ、居ないんだ」
と思うのです。

それが、先日 参議院選挙の
「投票所入場整理券」
が、届いて姑の分が、無いのを見ると

「そうだよね・・・居ないんだもん」

と 思わせられたり 市の広報に
「後期高齢者医療被保険者証が変わります」
というのを見ると

「去年まで来てたのにな〜」

と思ったり・・・。

これまでと違うことで寂しく感じるものです。
2013-07-07 | 記事へ | コメント(2) |
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ふくらむ想像
2013年06月19日(水)
あの世とか天国とか霊界とか黄泉の国とか、言われる世界。
そして霊魂とか魂と言われるもの

”有る”のか”無い”のか わかりません。

実家が、分家で 仏様の世界とは縁が、薄かったため
結婚した当時は、お盆の迎え火、送り火を しても
「ご先祖様は、本当に帰って来たはるのかなぁ?」
と思っていました。

でも毎年繰り返していると”有る”という意識になってくるもので
舅を送ってからは、お盆には、
「帰って来たはる」
気分になってしまいました。

今日は、姑の本当の四十九日。

「お母さん(姑)は、お父さん(舅)や兄弟達と会えたかなぁ」
とか
「お父さんは、お母さんに
 『もう来たんか。案外早かったなぁ〜』
 って言わはるやろか?それとも
 『やっと来たなぁ〜』
 って言うたはるやろか」
とか いろいろ想像しています

そして気ままな姑が、
「『こんなとこ性に合わんわ〜』と文句言うてるのとちがうかな?」
なんて考えるとおもしろいものです。
2013-06-19 | 記事へ | コメント(2) |
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血のつながり
2013年06月03日(月)
弟から父の状態が、良くないと聞いて いよいよ別れが近づいてきたなと
思った時、初めて
繋がりを断ち切られる
ような感覚を味わいました。

子供の頃 父の言うことは、絶対で従わないと怒られ 理不尽な扱いに
我慢に我慢を重ねて育ちました。
当然、恨んだ時期もあります。

それでも親は、親・・・父でなかったら私は、存在しません。
葛藤しながら年を重ねるとともに許せるようになりましたが、
舅や姑のように一緒にいたいとは、思いませんでした。

ですから何の感情も湧かずにさよならすると思っていたのに
断ち切られる
と感じた時、血のつながりというものを再確認させられたのです。

その時、両親に愛された夫は、舅、姑との別れに
引き裂かれる
思いをしたに違いないと気づかされました。

姑が、施設に入所した時夫が、
「寂しい」
と言った一言は、
”引き裂かれる心の痛み”
の表現だったのでは、なかったのかと。

その時から夫は、母親との別れに向き合いながら心から血を流しては
修復を繰り返すことで その日を覚悟したのかもしれないと思いました。

大好きな舅、姑は、いつまでも一緒にいたい人でしたから別れに
”魂(たましい)”が、離れていくような空虚感は、あったものの
断ち切られる 引き裂かれるという心の傷みは、ありませんでした。

血のつながりには、やっぱり勝てないものが、あるようです。
2013-06-03 | 記事へ | コメント(0) |
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息子の嫁というもの
2013年06月01日(土)
書道を初めて今年ちょうど30年

書道会の中でも10期生までで残っているのは、私を入れて たった5人。
その古株の皆さんに お花をお供えして頂きました。

スーパーにで同期のAさんに お会いしたので
お花のお礼を言うと

「元気そうで安心したわ〜
 もっと気落ちしてるんとちがうかなぁ〜って
 心配ててんよ〜」

そういえば 生協でご一緒のTさんにも 同じようなことを
言てもらいました。

あまり親しくない方からは、夫を気遣った言葉しか出てこないので

『コノヒトハ、ヨメハ、カナシマナイ ト オモッテイルノカ?』

もっと悪意で受け止めると・・・
『ヨメハ、ウレシイト オモッテイルヨネ』
みたいな

そこまで悪意を感じるているワケでもないんですが、
息子の嫁って そう思われてもしかたないのかなと
少々寂しく思っていたので姑との関係を ご存じの方からの
お気遣いの一言は、一段とウレシいものです
2013-06-01 | 記事へ | コメント(2) |
| 思い |
まだこれから
2013年05月29日(水)
昨年7月下旬 姑が入院した時から始まった夫と二人の暮らし。

でも その時よりも9月の始めに施設に入所した時に夫が、
「オカンが、いてないと寂しい」
と言いました。

9ヶ月余りを 二人で過ごしてきての姑の旅立ち。

多くの人に
「ご主人は、悲しんでおられるでしょう」
と気遣っていただきましたが、仕事や趣味、同窓会と忙しさも
あってか 悲しんでいる様子もなく 今のところ
「施設に入った時から いつ亡くなるか分かれへんと思てたから」
と平気なんです。

私の方が、お別れの準備をしながら泣き、
遺影を見ては、泣き
お参りに来てくださった方と姑の話をしては泣きしてきました。

ただ二人の生活に馴染んでしまったせいか生活の中で寂しく感じることは、
ありません。

でも先日 クリニックで姑のことを話すと
「亡くなってから1年間ぐらいは、気づかないでストレスになっていることが、
ありますから気を付けなさいよ」
と言われました。

二人とも何かの弾みで 思いっきり悲しみにおそわれるのかもしれないと
思っています。
2013-05-29 | 記事へ | コメント(2) |
| 思い |
 

ニックネーム:さら
性別:女性
年齢:50代後半
都道府県:大阪府
結婚して32年書道歴も32年 姑との同居は20年で終了し夫婦だけの生活になりました

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