変わること
2015年11月20日(金)
よほど急ぎの仕事が、ない限り
お昼頃には、全部済ませて
帰ってくる夫。

しかしその日帰ってきたのは、
1時を過ぎていた。

そして
夫「明日の分まで片づけてきた
  明日は、どこへも行けんぞ〜〜!」
と。

ところが!翌朝・・・

夫「一つ気になることがあるから
  ちょっと行ってくる」

って・・・。

宣言するようなことを言っても
すぐ変わる
とっても柔軟

なので私も
”変わるかも〜”
と聞き流す

でも私の父は、違った
人が、言うことを変えるのを
嫌ったし
自分自身の考えも変えなかった。

父としては、
”自分を貫き通した”人生に
満足していると思うけど
人の意見に聞く耳も持たず
許容範囲の小さい人間のまま
成長せずに死んでいった・・・

と私は、思っている
2015-11-20 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
同じではない
2015年11月13日(金)
夫の中学時代の友人が、
一人でドイツ旅行されているので
時々、LINEにメッセージなどが、
来るらしい。

その方は、今年2回目の海外旅行、
前回は、オーストラリア。

その時にも夫が
「一人で行って楽しいんかなぁ〜」
とか
「なんで奥さんと一緒に行けへんねん」
とか言っていた。

今回も同じことを言うので・・・

さら「そんなん
   亭主元気で留守がいい
   って言うことやん。
   サラリーマンで しかも
   しばらく単身赴任してた人に
   ずっと家にいてられるより
   一人機嫌良く旅行にいってくれる方が、 
   奥さん、嬉しいと思うよ」

夫「そんなん寂しいなぁ〜」

夫が、そう思っても
友人ご夫婦は、寂しいどころか

快適な過ごし方”
なんだと思いますけど
2015-11-13 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
諸行無常
2015年11月07日(土)
近々 大学の同窓会が、
開催される夫。

それにともない旧友の近況が、
ポツポツと入ってくる。

昨日は年賀状のやりとりだけが、
続いていた方の
一人は、訃報で
もう一人は、不治の病ということが、
わかった。

皆、自分の同じように
変わりなく過ごしていると
思っているだけに
愕然とする夫。

こういう時
夫は、いつも

酒の飲み過ぎか!
美味いモンの食い過ぎか!
仕事のストレスか!

と、原因を追及したかるが、
そんな簡単なもんじゃない。

それでも

”何かが”ないと

納得できないので

”原因”の話を繰り返す。

朝、起きて最初の会話もまた・・・

なので
さら「もし!ウチに子供が、生まれてたら
   あなたの寿命が、短くなってかも
   しれへんよ。
   全てに満たされた人生は、ないから」

それで止まった
2015-11-07 | 記事へ | コメント(2) |
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バランス
2015年10月28日(水)
昨日の記事で最後に書いたように

姑は、怒っても
言いたいことを言ったら
笑って”おしまい”にできる人だったが、
母は、言いたいことも言わず
溜め込んで溜め込んで
ある時 一気に爆発する。
そしていつまでも いつまでも
しつこく覚えている・・・

それだけでなく姑と母は、全てにおいて
正反対!

たとえば

人のお世話が、大好きな姑と
自分のことをするのが大好きな母。

人の目など気にしない姑と
人から良く見られたい母。

一から十まで説明する姑と
”見てたらわかるやろ!”と
説明を一切しない母。

”私なんかたいしたこと無い人間”と思う姑と
”私は、賢い!”と思っている母。

些細なことはどうでもいい姑と
些細なことまでトコトンこだわる母・・・
などなど

でも二人のお陰で私の感覚は、
バランスがとれている!
と思っている
2015-10-28 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
笑い飛ばす
2015年10月27日(火)
昨日の記事に

”苦労しないで済んだ”

と書いたら

”ご自身で気づいて無いのかもしれませんよ”

とコメントくださったので
その返事に

”帳消し”
になったことを書いたけど後になって

”そればかりでない”
ことに気づいた。

両親が、理不尽なまでに厳しく
甘えることも許さず
忍耐強く育っている私にとって
結婚してから実家を超えるほど
”辛い”と思うことが、
無かったんだと。

結婚したばかりの頃、
夫に言ったことがある

さら「親は”敵”だった」

すると
夫「そういう考え方が、わからん」

そらね舅、姑は、
嫁の私まで大切に扱って
くれましたもん

それに姑は言うだけ言ったら
笑い飛ばして
”おしまい”
にできる能力を持っていた
2015-10-27 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
姑の影響
2015年10月26日(月)
私が義妹(弟の妻)を守りたいと思うのは、
姑の影響だと思う。

姑との相性が、良かったと言えば
それまでだけど
姑は、心底、優しかった。

優しさ故
”大きなお世話”もしてくれて
迷惑に思ったこともあってけど
苦労しないで済んだ。

だから義妹が、母のことで
悩むのが、やりきれない。

もし私が、姑で苦労していたら
義妹にも

”嫁は、姑で苦労するもんや!”

と切り捨て 母の方を かばっていた
ような気がする・・・

ん?
母には、その方が、良かったのか?
2015-10-26 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
割り切っている
2015年10月25日(日)
よほどのこと(どんなことかわからないけど)が、
ないかぎり今後、母が家に帰ることは無いと思う。

それを
夫「辛いやろ」

と言ってくれる優しい夫

母が、家に帰ったらまた
嫁(義妹)の不満を
聞くことになるのは、
明らかなこと

母の身勝手な理由の不満は、
聞き飽きた

だから弟夫婦が、母の行く末を
今の施設の次は
グループホーム!
と決めた時に割り切ったので

さら「かあさんより○ちゃん(義妹)の方
   これからの人を守るって決めたから」
と言うと

夫「そうや!
  オレもオマエを守るために
  オカンを施設に入れなあかんって
  思たから一緒やな」

とは言うものの私だって
姑の時の方が、後ろめたかった。
だから その時の気持ちを思って
気遣ってくれるのだと思う。

母の方が、ずっと楽
2015-10-25 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
居場所がある
2015年10月22日(木)
先日、舅の祥月命日だったので
舅のことを・・・

以前に書いたように今年、開業35年の
夫の会社。

開業当時、舅61歳。
世間的には、

「あの年になって息子を
 一人前にするために
 頑張ったはる・・・」


”老体に鞭打って”
”苦労している”
と思われてるのを感じてた。

でもそれは違った。
舅は、仕事をすることが、
楽しくて仕方なかったのだ。

仕事が、趣味の舅が、定年後
何もすることが、無いというのは、
どれほど苦痛なことだったか。

それが、息子(夫)が、自営で仕事を
したいと言うのだから舅にしたら

まさに”渡りに船”

息子のためにこれまでの経験が生かせる!

自分の思うように仕事が、できる!

仕事と居場所が、ある!

という舅の充実した日々を
夫が同じ年齢になって
実感できるようになった。
2015-10-22 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
時間を埋める
2015年10月11日(日)
開店時間に散髪しに行った夫が
12時を過ぎても帰ってこない。

どこかで油を売っているんだろうとは
思ったけれどLINEで

”お〜い”

というスタンプを送ってみたら
すぐに
”○○さんとこ”
という返事が・・・

散髪さんの近くにお住まいなのに
滅多に会うことのない
旧友宅に おじゃましていた。

私も昨日、高校時代の友人と
ランチに入ったお店に
3時間もいた

1年半ぶりなので
話しは、つきないし
話の内容も ご近所さんや
書道教室では、できないような

”深い話”もする。

時々会って 会えなかった時間を
埋めるような会話は
楽しい
2015-10-11 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
偏らない
2015年09月17日(木)
昨日の
”嫌われる”
ということの続き

姑は、言いたいことを言い
やりたいことをやっていて
嫌われたかと言うと

そうでもない

言いたいことを言うことで

”そこまで言わんでも!”
と気分を害する人と

”裏表がない”
と良く思ってくださる人が、いて

やりたいことをやっても

”大きなお世話!”
と嫌がる人と

”よう気ぃついてくれはる”
と喜んでくださる人が、いた。

なんであれ評価や意見が
”一つ”になることなんぞない
ことを実感する。

夫も嫌われる一方で
思いのほか評価してくださる方が
いるはず・・・

だと思っている
2015-09-17 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
軽い
2015年09月11日(金)
朝起きて 一階に下りようとしたら
階段が、明るい。

階段の窓の雨戸を
閉め忘れた・・・ということ

朝食を食べていた夫に

さら「階段の雨戸 閉めてへんかった」

夫「あっ、ゴメン」

さら「え?ちがうやん
   閉め忘れたん 私やのに
   あやまることないやん」

夫「なんか 
  あやまっといたほうが、ええかなぁ〜
  って思て」

さら「あやまるとこちがうのに
   あやまるってお母さん(姑)と一緒やねぇ

自分が、謝れば その場が治まると
思っていた姑は、私の不注意が、
原因の失敗にまで

姑「ごめんやで〜」
と言った。


親からは、失敗するたび

「アンタのせいや」
「おまえが、ぼんやりしてるからや」

としか言われなかったことを
思うと雲泥の差

でも・・・
夫も姑も優しいけど
簡単に謝りすぎ。

言葉の重みが・・・
2015-09-11 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
わからないもの
2015年09月10日(木)
姑は、人に

”何かしてあげる”

ということが、大好きだった。

それは、純粋に

”やってあげたい!”

という気持ちだけで
人に よく思われたいなどという
下心は、みじんも無く
そういう気持ちが、あふれてくると
止められなかった

それで

”お相手には、迷惑かも”と

さら「もうちょっと相手のこと
   考えてからにしたら」
と言うと

姑「そんなことよう考えん!」
と言い切った・・・

その時は、

”困った人やなぁ〜

と思ったけれど最近、

相手のことを考えるといっても
所詮 自分の考え。

人というもの
”十人十色” ”千差万別”
他人の考え方や受け止め方なんか
わかるワケないやん!

と気づいた。

で!
母は、自分が、良く見られるように
着るものや行動に細心の注意を払って
いたけれど母が、思うほど人は、
気にしていなかったんだろうなぁ〜

と思う
2015-09-10 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
バレないように
2015年09月07日(月)
母のプライドの高さは、施設でも変わらず

「私は、誰よりも(頭が)しっかりしてる」

と思っている、
つまり
”私は、こんなところにいつまでも居る人間では、ないのよ!”
ということ。

面会に行くごとに

母「もう帰れると思うねんけど」

と言うのもそのためらしい。

しかし!
”しっかりしている”
ことをアピールするために
かかりつけの眼科の名前を
思い出せないとか
小物類の入っている場所が、
わからないという
マイナス面を
義妹は、もちろん施設の介護士さんにも
言わない。

ただ、わからないことが、施設側に
知れたら困ると思うらしく
私には、聞いてくる。

そういう情報を義妹が待っている
2015-09-07 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
よくやってくれる
2015年09月04日(金)
母は、義妹を認めようとしないけど
いつも義妹の考えかたや
行動力に感心している。

今、義妹が、介護ヘルパーの仕事を
しているのも元々は、

義妹「おじいちゃん(父)の介護に役立てば」

というところからで
実際、父を自宅で介護していた時は、
弟@長男が
「(義妹が)介護の仕方を教えてくれたので
 協力しながら頑張れた」
というようなことを言っていた。

仕事で多くの高齢者さんと接することが、

義妹「おばあちゃん(母)とのつきあい方の
   参考になる」
とも言う。

今回、母をグループホームに入れるという話も

義妹「おばあちゃんが、気に入るようなところに
   しようと思って市内のグループホームを
   全部 見てきました」

って・・・
嫁が、なかなかそこまでしませんよ。
2015-09-04 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
母よりも
2015年09月03日(木)
昨日の続き・・・
というか関連した内容。

母はずっと理想を追い求めてきた。

だから私も母の理想、
母の常識に縛られて育った。

母の思い描いた枠からはずれると
怒られる!とういう実に
堅苦しく窮屈な毎日。

結婚は、母からの解放だった

娘である私とさえ仲睦まじい
関係になれなかったのに
弟@長男のお嫁さんが、母と
うまくやっていけるワケが無い!
と思っていたので弟夫婦が、
同居を始めて間もない頃から
義妹をランチに誘って
母の愚痴を聞くようにしていたが、
そのうち話したいことが、あると
義妹から声がかかるようになった。

そのようにして義妹のケアを
してるつもりだったけど
昨日のランチの後

”私も一緒に母の鬱憤を
 晴らさせてもらっていた”

と感じた

それもあって
今は、母に優しくできる。

それでも母をかばいは、しない。

私は、嫁(義妹)を応援する。
2015-09-03 | 記事へ | コメント(4) |
| 生き方 |
戒め
2015年08月17日(月)
10日ほど前、母の部屋が、変わった。

その直後に行ったとき

母「クーラーが、きつすぎて寒いから
  ”家に帰らしもらう”
  って ちょっと言うたら
  部屋、変えてくれた」

とご機嫌。

でも母が、文句を言うのは、
”我慢の限界”が、来たとき

なので
”ちょっと”

どころでは、なく
”かなり”

怒ったんだろうな〜と
お盆に義妹に尋ねたら

義妹「もうカンカン!になって怒ってたらしいですよ」

やっぱりね

義妹も母が、寒がっていることを
施設に伝えていたので部屋の移動を
検討されていたらしいが、
母の怒り方が、尋常では、なかったので
すぐに対処してくださったとか。

母は、怒ると般若の顔になる。

義妹は、その顔を見ると

「心臓が、バクバクする」

と言い私も子供の頃から
その顔を見なくても済むように
母のご機嫌を伺いながら過ごしてきた。

それでも・・・
弟@次男「怒らさんように言う通りにしてんのに
     考え方変えて怒られたで」

と皆が嫌な思いをしている。

なので母が、怒るたび
「自分は、気をつけよう」
という戒めになっている。

母自身が
”般若の顔”になることに
気づいていない。
2015-08-17 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
元気だから
2015年07月31日(金)
姑が施設に入所した時は、すでにかなり
弱っていたし認知症もすすんでいたので
施設というものを理解できず

姑「ここは、どこの病院や」

と聞いてきたことから入院していると
思っていたらしいし
実際、ほとんど寝てた

だから
”○○したい”と
要求することもなかった。

しかし!母は、自由に動けないだけで
気持ちは、元気だから暇を持て余す。

それで書道セットに 絵も描けるようにと
義妹が、いろいろ揃えてくれたが、
それだけでなく

母「新聞が読みたい」

って・・・。
文学少女だったので活字が、大好き。
肩の凝らない本を持って行ったけど
新聞も言い出すと思っていた。

母が、読みたい新聞は、決まっていて
弟夫婦が、購読しているのとは違う。

なのでウチのを持って行くことにしたら

夫「あれこれうるさい婆さんやなぁ〜」

と言いながら車を走らせてくれたが、
新聞だけを届けに そうそう行けない。

で!
施設で購読している新聞(母の希望するもの)を
翌日、母に手渡してもらえないか交渉したら
あっさり了解してくださったので
これは、解決〜

さて・・・次は、何を要求するやら
2015-07-31 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
商売人気質
2015年07月02日(木)
最近、一緒に仕事をしている会社というのが、
去年できたばかり。

社長さんは、大手企業のサラリーマンだった人。

その社長さんの説明不足で経費が、かさむことに・・・

それで

夫「出してくれへんか」

と言ってきた。

さら「こっちのミスちゃうのになんで全額ださなあかんの!
   そんなん納得でけへんわ!
   あっちにも”半分出せ!”って言うてよ!」

夫「むこうも苦しいから よう出さんって・・・」

さら「そんなんわかってる!
   そやけどミスも認めんと
   こっちが、処理したらええって
   ”商売なめてるやろ〜!”

夫「わかった。わかった
  もういっぺん言うわ」

それを夫は、やんわりとかわしながら
話すのでなんとか了解してもらえた。

商売人だった父は、駆け引き上手で
血気盛んな人だった。
その血を引いているせいで
言い方が、きつくなる

なので
表に出ないで言いたい放題
2015-07-02 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
母の買い物
2015年05月24日(日)
母が、はなれで住むようになった時、

また洋裁が、したい!

というのでミシンを使えるようにしたら
知らないうちに

”ロックミシン”
を注文していたので配達されてきて
弟@長男が、とまどったらしい。

その時、母は、
「これから使うねん!」
と言ったものの・・・
気持ちは、あっても体が付いてこないので

弟@長男「オレが、試しに一回使こただけやで
     ばあさん(母)人生最後の高額な無駄遣いや」
って・・・

この程度ですんで良かったと
いうべきか?
2015-05-24 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
頭の良さは・・・
2015年04月27日(月)
前に書いたように姑は、強烈な印象を与える
奔放な人でしたが、義妹は、全然!
似てません。

舅も部下に恐れられる威圧感のあった人ですが、
その感じも義妹には、みじんもなく 
あの両親から どうしてこのような娘が・・・
と思うほど もの静かな人です。

義妹の婿殿も無茶を言うようなこともない
実直な人なのでこれまで義妹夫婦に
困らされたことは、ありません。

でも姑自身ずるがしこい小姑(舅の妹)に
苦労したこともあって私たちが、結婚する時、
思ったことはなんでも言う姑ですから

「あんたは、兄ちゃんと義姉さんの言うこと
 聞いてたらええねん!」

ぐらいは、言ったのでは、ないかと。

夫が、舅、姑の両方に似ているので
義妹も逆らわないのかもしれませんが、
舅の頭の良さは、義妹にもっていかれてます
2015-04-27 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
いい頃合い
2015年03月16日(月)
弟@長男、身の回りのことは、ほとんど
自分でします。

着るものも買いに行きますし
衣替えも自分でするので
必要とあらばアイロンがけに
ミシンがけ、ボタン付けもできるので

義妹「私は、何もしません」
と言うぐらい。

今日の”あさイチ”のテーマになっていた
”がき夫”とは、ほど遠い
”大人の夫”

しか〜し!
理論派なので小難しい話が、
大好きだけど口下手なので
余計なことは、言わないうえに
性格が、四角四面でキチンとしてる・・・。

手は、かからないけど
おもしろくない生活。

私だったら結婚してないと思うので
義妹に感謝

夫育て できるのが、ちょうどいい
2015-03-16 | 記事へ | コメント(4) |
| 生き方 |
記念に
2015年02月21日(土)
19年前、弟@長男の結婚式を前に

「せっかく正装するねんから あんたらも写真撮ったらどうや」

と言う姑の一言で その気になって
13年目という時に撮りました。

次は、弟@次男の結婚式にでも・・・
と思っていたらいまだ独身

それで2年前の30年目の時、
真珠婚式の記念に残すものを
写真にしました。

時の流れを感じる3枚+α

結婚式お色直し    結婚13年    30年
(自作ドレス) (モーニングと留め袖) 

おまけ          集合写真
(夫が受け取ったお見合い写真)

夫の頭が、語る経年

次は40年目かな
2015-02-21 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
今更、無理
2015年01月31日(土)
母から電話が、あったので

「お母さん何か言うたはったか?」
と聞いてくれる夫。

で!
さら「『今日は、デイサービスの人たち(利用者さんたち)に誘われて
 (お昼ご飯を)食べに行ったから家の用事が、なかなか片づけへん!』
  って言うてたわ」
夫「おかしな人やなぁ〜食べに行って楽しかってんから
  用事片づけへんでもかめへんやん」
さら「それが、そう思われへんねんなぁ〜昔から・・・」

80数年も生きて今更

「○○をしたから××が、できなくても
 しかたない!」
という考え方は、でけへんよね
2015-01-31 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
大事に思ってるよ
2015年01月17日(土)
夫が、
「最近、なんでも自分でしい〜って
 言われて
 大事にされてないような気ぃする」
と言う。

さら「大事に思うから言うてるねんで〜
   自分でできること増やしとかな
   私になんかあったとき困るやん
   『あなたのためでしょ!』
   と言うこと
夫「え〜〜!
  大事にするから長生きしてなぁ〜」

そう言われてもねぇ
私自身どうすることもできないしぃ

私が、病気をしたことで
”自分は、先に死ぬ”
と気楽に考えていた夫が、
”残された時のこと”を
考えるようになりました。

なので夫は、
”残される確率”
が上がったような気分でしょうけど
それは、一緒

病気だけではなく事故や
最近増えた大きな災害・・・。
生死は、いつも表裏一体。
2015-01-17 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
人それぞれ
2014年09月13日(土)
ウチは、二人とも
”絶対 海外旅行したい!”
と思ったことが、ないもので
昨日も海外には、行かないと
書きましたけど
「どこに行きたい?」と
聞かれたら

”アフリカのサバンナへ野生の動物を見に”
とか
”オーロラを見に”
と答えますけどね

夫の同級生に
”1年に一度は、海外旅行をする!”
という人が、いて その人が、夫に

「奥さん、ハワイぐらい連れていったらなアカンで!」
と言うので
夫「ウチの嫁さん行きたがってないし」
と言うと

同級生「そんなことない!
    行きたいに決まってる!」
と決めつけられたらしいです。

人それぞれ・・・
大きなお世話です

最近、音沙汰のないその同級生。
その後も海外旅行したはるのかな?
2014-09-13 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
これから〜
2014年09月10日(水)
高校の時、同じ美術部だったこともあって
友達の中で一番、一緒にいた時間が、
長かったと思っているAちゃん。

高校生の頃は、控えめで おとなしくて
”守ってあげないと”
と思わせるようなAちゃんが、誰よりも
辛いことの多い日々を過ごしてきました。

そんなAちゃんから電話が、あって
久しぶりに長電話をしました。

その中で
Aちゃん「私、ずっと人に合わせるようにしてきたけど
    もう それは、やめることにした」

私「私も人に合わせるようにしてきたよ。
  それに人から良く見られたいっていう気持ちが、
  強かったし。せやけど最近だんだん
  私は、私!どう見られてもええわ!
  って思えるようになってきたわ」

Aちゃん「私だって、人から良く見られたい気持ちあるよ。
    せやけど もう頑張ることも人に合わせることも
    やめて自分の思い通りにするねん!」

さら「ええんちゃう〜。
   いろんな経験積んで ここまで生きてきてんから
   思い通りにできる年になったんやと思うよ」

そんな”お年頃”であることを実感しながら
年齢を重ねるって良いものだなと・・・

これからの人生が、益々!楽しみ〜

2014-09-10 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
奇跡的なんです
2014年08月13日(水)
お盆の時期なのでご先祖様に関することを・・・

”私”
という存在は、全てのご先祖様から
できあがっているので たとえ
たった一人のご先祖様が、欠けても
”私”は、
存在しません。

だから全てのご先祖様に感謝します。

「今、私が、あるのは、ご先祖様のおかげです。
 ご先祖様が、夫婦として出会ってくださって
 ありがとうございます」
と・・・。

遙か昔のご先祖様は、もとより
もし舅が”戦死”をしていたら
”夫”は、
存在しませんし すったもんだした
私の両親だって結婚しなかったら私は、
生まれてこれません。

生まれて来ること自体 

”奇跡的なこと”
2014-08-13 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
気持ちの問題
2014年07月16日(水)
夫は、
”電車の乗り換え”
が、できません。

その原因が、
「オカンが、”危ない!危ない!って言うて
 どこへも行かせへんかったからや」
と言うんです。

私も父からしょっちゅう

「行くな!」
と言われ続けましたけど そのたびに

「いつか行ってやる!」
という気持ちが、ありましたから
いつの間にか地図を見てなら 
どこへでも行けるように
なっていました。

なので気持ちの問題ですよね

夫と初めてのデートは電車で
”奈良”へ

ここは、乗り換えと言っても
同じ沿線です。
しかも夫の親戚が、近いこともあって
知らない土地では、なかったので
大丈夫だった夫。

しかし次に私が、行きたいと希望したのは、
”西宮方面”
行ったことのない場所だったので
心臓バクバクもんだったらしいです。

で!
夫「行き方わかりますか?」
さら「電車でなら行けますよ」
夫「だったら電車で行きましょう」
という会話をしたらしい・・・

それで夫
「連れて行ってもらえる
と思ったと

当日、手をつないで片時も
離れようとしなかったのは、

”はぐれへんように”
からだったと・・・

結婚してから知りました
2014-07-16 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
生活の基礎
2014年07月15日(火)
子供の頃 経済的に余裕が、なかったために
あらゆるものが、両親の手作りでした。

二人とも器用で
父は、大工仕事や修理をし
母は、洋裁などの縫い物をしていました。

父は、家にあるものを修理するのは、
もちろんのこと壊れたクーラーを
もらってきて直して使っていたことも
あります

そんなことで手作りは、
生活の基礎だったため

私は、母のように洋裁を習って
仕事をしていた時期もありますし

弟@長男は、独身時代
バイクや車の整備に夢中でした。
今は、父のようになんでも修理できるので
息子たちに一目置かれているとか

一時、音響に凝っていた弟@次男は、
アンプやスピーカーを自作していました。

私が、成人するまでに生活は、
楽になりましたが、両親の
無駄なものは、買わない精神は、
変わりませんでしたから

”これでは、お嫁さんが、贅沢できなくて
 不満に思うだろうなぁ〜”
と心配していたんです。

ところが!義妹も節約家でした。

ただ不器用なので手作りしないかわりに、
社交的なのでいいものを安く手に入れる
情報をキャッチして上手にやりくり
しています。
2014-07-15 | 記事へ | コメント(2) |
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買いたい人たち
2014年07月14日(月)
弟@長男と母
似ているから気が合う

それで義妹(妻)から
「マザコン」
と言われる

でも夫と姑
似ているから喧嘩したため

「マザコン」
と気をもむことは、ありませんでしたが、

「似ていて嫌だなぁ〜」
と思ったのが、

”モノを失ったら買うこと”

失い方は、違って

姑は”仕舞ったところを忘れる”

夫は”モノで埋もれさせてしまう”

からなんですが、
双方、探すのが、

”めんどくさい”せいですぐ

”買う”
という行動に出ます。

当然、後から出ているわけで
一つあればいいものが、複数に・・・。

一方 舅は、
”大人買い!”

「使うんだから数は、多いほうがいい」

と思っていたんでしょうか20数年前の
シャーペンの芯
消しゴム(ゴムタイプのもの)
のような事務用品や
会社名入りの
FAX用紙 レポート用紙 封筒
などの紙類が、残っています

2年前に一掃した夫の部屋が、
モノで埋まりだし気づけば
殺虫剤が、2本とも夫の部屋に!

買わさないようにまた
”一掃”
しないと
2014-07-14 | 記事へ | コメント(2) |
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思い通りにならなくて
2014年07月11日(金)
先日 初めて父が、子供のころ

”戦争に行って手柄を立て戦死する”
のを夢見ていた。

ということを母から聞きました。

5人兄弟の3番目に生まれた父は、
兄二人のように頼られることも
弟二人のように可愛がられることも
なかったので

”家族に必要のない人間”

だと思い込み

「自分の存在を認めさせてやる!」

という願望が、

”名誉の戦死で人生、華々しく完結”

にまで至っていたとは、
知りませんでした。

多くの少年が、それを理想とする
時代だったのですが、16歳で終戦。

目的を失ってしまった絶望感は、
相当なものだったと思います。

それから

「自分の存在を認めさせてやる!」

という思いをどう果たそうかと
思い悩んだ生涯だったような・・・

自己顕示欲が、人一倍強い父でした。
2014-07-11 | 記事へ | コメント(2) |
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返信しない弟たち
2014年07月09日(水)
子供の頃、両親が、忙しいこともあって
父は、子供の話は、聞かず一方的に話すだけ
おまけに
「ご飯を食べながら話は、するな!」
と言われ・・・

完璧主義の母には、何気ない話にも

「その言い方は、おかしい」
と直されたり
友達との会話を聞いていて後から

「なんであんなこと言うたんや!」
とダメだしされるので
しゃべる事は、恐怖でした。

それは、二人の弟も同じで
今でも会話は、省エネかと
思うぐらい短いです。
弟同士は、それで通じるようですけど・・・

この二人にメールを送っても
半分も返信は、来ません。

弟@長男に送ったメールの返事は、
義妹から来るぐらい
めんどくさいらしい

おしゃべり大好き人間の
夫にメールをすると・・・
すぐ返信!

”会話好きは、メール好き”

なようで
2014-07-09 | 記事へ | コメント(2) |
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相手しだい
2014年05月13日(火)
数年前 夫が、ある人から誤解され
夫「違うことを説明しに行く」
と息巻いたことが、あります。

でもそれは、目に見えることではなく
心情の問題なので説明して理解されるのか
と考えたとき、

”相手の思い込みを覆すのは無理だろう”
と諦めました。

それは、認知障害の父が、
自分の思っていること全てが、
正しいとしか思えなくなって
母を責めましたが、それと同じだと
思ったからです。

人に写る私というものは、
見る人の能力で違うものだと
思うようになりました。

私という人間も見え方は、千差万別
2014-05-13 | 記事へ | コメント(0) |
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善意と施し
2014年05月12日(月)
姑の一周忌
お坊さんは、その日のために
用意されていた法話の後で
叔父が、話しかけた話題から

「善意と施し」
の違いも お話してくださいました。

”善意”は、
良いことをしようと意識してすること。
だから
認められなかったり
褒められなかったり
感謝されないと
腹をたてたり不満に思うと・・・

しかし
”施し”は、
相手に”してあげたい”という気持で
することなので
認めてもらえなくても
感謝されなくても
褒められなくても
気にならないと・・・

「してあげたいからする」
というのは、姑が、してきたこと。

でも今の時代すっかり忘れ去られている
言葉と精神。

ギスギスするのも当然かと・・・。


ちなみに「施し」は、「ほどこし」と読みます。
2014-05-12 | 記事へ | コメント(5) |
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わずかな違い
2014年04月21日(月)
姑は、自分のことを後回しにしても平気な人でしたが、
母は、自分のことを優先しないと気のすまない人で
それは、性格の違いだと思っていたのですが・・・。

先日の同窓会での介護に至らないにしても
母親の面倒を見ている人が、多く その愚痴の
ほとんどが、
「お姫様のように何もしない!」
だったんです。

母も何もしたくないのですが、義妹(弟の妻)に
「自分のことは、自分でしてください」
と言われて しぶしぶしている状態なので
私たちの親の世代の傾向のようです。

姑は、フラフラするようになっても
私の手伝いをしようとしたのに
大正生まれと昭和一桁ど真ん中の
教育の違いなのか戦前戦後という
環境なのか・・・わずかな違いが、
大違いです。

2014-04-21 | 記事へ | コメント(0) |
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華麗に
2014年04月15日(火)
先日 誕生日を迎えて50代も”半ば”から
”後半”になって還暦が、近づいてきています。

でも年を重ねることを嫌だと思ったことも
人生をやり直したいと願ったことも
ありません。

ただ子育ての経験が、無いことを
残念に思いますが、それでも 
ここまでの経験を手放してまでも
やり直したいとは、思いません。

積み上げてきたのは、どもれ貴重な経験。
当然!いいことばかりでもなかったけれど
それを乗り越えてきたからこそ
”今”が、良いんです

夫も言います。
「何歳になっても 死ぬまで
”今が、一番いい!”
と思えるように生きたい」
と・・・

私の願うところは、
華麗に加齢
2014-04-15 | 記事へ | コメント(2) |
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生きてきた通りに
2014年02月24日(月)
仕事では、頭低く我慢のできる父でしたが、
そのほかのことでは、自分の思い通りにならないと
怒るどころか脅すようなことまで言って
無理やり了解させるような人でした。

周りの人たちには、
めんどくさくてわがままで迷惑なオッサン
でしかなかったと思っています。

それに父は、気に入らないことを
わざわざ探して怒っているが、如く
毎日何かしら怒っていました。
 
その怒りが、母に集中するようになっても
私たちは、いつものように怒っているとしか
思わず・・・

母が、
「身に覚えのないことで怒る
 お父さんと一緒には、暮らされへん!」

と言い出して初めて認知障害の思い込みで
怒っていたということが、分かったんです。

母は、母で昔から過去にこだわる人で
子供の頃は、突然、
「あのときは〜!」
と数日、数週間、時には、一ヶ月以上も
前のことで叱られることが、あって
ずいぶん戸惑いました。

それで義妹に対する不満も過去のことを
思い出してのことと思っていましたが、
アルツハイマー型の認知症では、
義妹が、いくら母に尽くしても忘れてしまう
というこが、ありそうです。

姑は、
「忘れたらアカン」
と些細なことまでメモしまくって
覚えることをしなかったせいか
短期記憶障害の認知症になりましたが、
最後まで人を思いやったり気遣ったり
することを忘れませんでした。

三人とも
”生きてきたとおりに老いた”
ことになります。

皆が、そのように老いるとは、限らない
でしょうけれど
”そうなるかもしれない”
気がして自分のために毎日
 
人に優しく 心穏やかに過ごすように
心がけたい・・・

と思っています。
(難しいですけど
2014-02-24 | 記事へ | コメント(2) |
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見習いたいところ
2014年02月20日(木)
姑は、人が、どう思うかではなく
自分が、”してあげたい”と思ったら
実践しないと気のすまない人でした。

一度
さら「そんなことしたら迷惑かもしれへんよ
   相手のことも もうちょっと考えてあげたら」
と言ったことが、ありますが、
姑の答えは、
「そんなめんどくさいことよう考えん!」
でした。

なので相手が、喜びそうと思ったことは、
何でもしました。

してもらった側は、面と向かっては、
文句を言うどころかお礼を言わざるを
得ませんから

姑「あ〜喜んでもらえてよかったなぁ〜」
と幸せな気分でいられたんです。

それに姑にとって人の評価は、どうでも
いいことで自分自身が、満足することが、
大事だったのです。

それは、少し前に話題になった
養老先生の”鈍感力”ということでしょうか。

プライドの高い母は、人の評価ばかり
気にします。

義妹も母にいいことをしてくれているのに
母が、文句を言うと凹みます。

そういう私も姑のような鈍感力は、
ありませんが・・・。

見習えたら楽に生きられそうなんですけど
2014-02-20 | 記事へ | コメント(0) |
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もう一つの条件
2013年11月27日(水)
昨日の続きになりますが、
お見合いのお相手に希望する条件で
仲人さんには、言いませんでしたが、
私の中にあったのは、
”趣味を持っていること”
でした。

夫と お見合いするまで30人を超すほど
お相手の釣書(履歴書)をいただきました。
その ほとんどの方が、趣味に書かれたいたのは、

映画鑑賞か スキーかテニスやゴルフ

「現地に行かないとできないものは、趣味じゃない!」
という考えだったので趣味のある人は、いませんでした。

そんんな中で夫が、初めて趣味らしい趣味を
持っている人でした。

結婚したからといって その趣味を
止めることもなく ずっと続けてきて
今は、仕事に負けないくらい情熱を
もって活動してますから

”暇をもてあます”
ということは、ありません

先日の女子会に集まった4人のうち
二人の旦那さんは、定年退職されていて 
そのうちの一人の旦那さんは、定年後
家にいてもすることもなく出かける用も無い・・・
という状態が、続いて
”ウツ”
のような症状が、出てきたそうです。

それで意識して出かけて人とかかわることで
少し改善されたようですが、退職後に
趣味が、ない。
やりたいことない となると
”心を病んでしまう”
こともあるようです。

男性が、仕事をしながら趣味を持つのは、
とても難しいようですが、大事なことだと
思います。
2013-11-27 | 記事へ | コメント(0) |
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根拠は、どこに
2013年11月26日(火)
30数年前 二十歳そこそこの私は、
母親と一緒に お見合いのお世話を
してくださる仲人さんのところへ伺いました。

仲人さんに
「お相手は、サラリーマンさんが、よろしいですよね?」
と聞かれて
さら「いえ自営業が、いいです」
と答えたら
「いまどき自営業や お商売人さん
 って一番 嫌がれますのに
 お嬢ちゃん!それでよろしんですか?」
というふうに えらく驚かれました。

父が、自営業だったので サラリーマンの家庭が、
どういうものか わからないというものあったのですが、
その時、すでに私は、
「定年後、毎日家に居られるようになるのは、嫌!」
と思っていたんです。

今になって
「ようそこまで想像できたなぁ〜」
と自分でも感心しますし
何を根拠に そこに至ったのか
不思議に思います
2013-11-26 | 記事へ | コメント(2) |
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自分の時間
2013年11月16日(土)
父の通夜で久しぶりに会った叔母(母の妹)も
今年のはじめに姑様が、亡くなっていました。

大舅、大姑様まで健在の大家族へ嫁いた叔母は、
間もなく大舅様の介護が、始まり その後、姑様が、
亡くなるまで47年間も続いていたということを初めて
聞きました。

これまで そんな苦労を微塵も見せることなく
自宅でできる小商いをしながら いつも明るかった
叔母は、介護生活から開放されると
自由すぎて時間の使い方が、わからず
”ウツ”
になってしまったそうです。

2、3日前から気分が、良くなっていたので
通夜に来ることが、できたということでしたが、
覇気のない顔つきをしていましたから
翌日の葬儀は、無理かもしれないと
思っていたのに来てくれたのです。

そして初七日直前まで いろんな人と
いろんな会話をすることが、できたことで
帰る頃には、以前の叔母のような
明るい顔つきになっていました。

介護に明け暮れて自分の時間を持てなくても
不満に思うことなく充実していた叔母と
父のせいで自分の時間を持てなかったと
嘆く母・・・。

人は、自分のために生きるように
なっていないのかもしれないと
思わされました。

来月の四十九日の法要に来てくれる
ことで叔母の元気が、続くことを
願っています。
2013-11-16 | 記事へ | コメント(0) |
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ひもじい思いから
2013年10月20日(日)
先日なくなられた アンパンマンの作者の
やなせたかしさん
訃報の記事を見たら舅と同じ大正8年生まれで
戦争で中国に行ったというのも同じでした。

やなせさんに関する記事かニュースで
「戦争中に食べられない辛さを経験したから
 ひもじい人を助けるアンパンマンが、生まれた」
ということを知りました。

それを聞いて夫は、
「おやじから『食べられなかった』
 『ひもじい思いをした』とか
 聞いたことが、ない」
と言いました。

舅は、復員してからしばらく仕事を転々とした
ようですが、運よく一流企業の社員になると
頭のいい人でしたから出世も早く接待づけの毎日で
40代で糖尿病を発症し入院したこともあると
聞いています。

しかし 姑もそれほど気にすることもなく・・・
人を呼んでは、率先してお酒を飲み
「おかずは、牛肉でないと機嫌が悪い」
と姑が、言うほどお肉大好き人間でした。

そのため65歳を過ぎると糖尿病から白内障になり
大腸がんの手術もし 3度目の脳梗塞で
寝たきりになって73歳で亡くなりました。
やなせたかしさんより21年も短い生涯でした。

これは、私の想像にすぎませんが、
戦争を否定するようなことは、舅のプライドから
言えなかったのでは、ないかと・・・。

そして舅も飢えを経験していたからこそ
お酒を飲むこと おいしいものを食べることを
我慢せずに人生を楽しんだような気がします。
2013-10-20 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
子供の頃に決まる
2013年10月14日(月)
昨日、一昨日と この地域の多くの町会で秋祭りでした。

ウチの町会は、新興住宅街ということもあって
お祭りというものが、ありません。

周辺の町会も同じようなものなのですが、
子ども会が、”だんじり祭り”をしています。

ウチの町会は、親が、行事に参加したがらないので
子ども会の存続が、危ぶまれる状態ですし
活発に活動していたときも開催されたのは
”盆踊り”でした

で、盛んなのは、古くから青年団が、活躍していた町会・・・
と言っても今は、その町名が、ないのに お祭りのときだけ
復活して”だんじり”の伝統が、受け継がれているんです

同じ市の生まれですが、私が、育った地域は
”ふとん太鼓”だったので”だんじり”には、
どうもワクワクしません。

夫は、子供の頃、過ごしたところも
”お祭りが、無かった”せいか 
お祭りというものに全く興味を示さないんです。

そんなことで ウチの町会に お祭りが、なくても
いいんですけどね

ただ昨日は、写真の被写体として”だんじり”を
見に行った夫です。

お祭りの”ワクワク感”って子供の頃の経験で
決まってしまうようです。
2013-10-14 | 記事へ | コメント(0) |
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謙虚さ
2013年10月08日(火)
姑より3歳年上の叔父は、ソ連に抑留されながら
生きて帰ってきた人でしたから威勢の良さは、
親戚一でした。

戦後、バリバリ仕事をして興した会社を長男くんが、
継いでも 変わらなく仕事をしていましたが、
80歳を目前に ガンが、見つかり
叔父は、
「もっと長生きしたい」
と言って受けた手術で命を落としました。

元気に手術室へ入って行ったのに術後 目覚めることなく
旅立って逝ったのです。
80歳前の体には、無理な手術だったのかもしれません。

叔父の場合 長生きしたいという欲を出さなければ
手術を受けるより確実に生きられたのです。

謙虚さが、命を延ばすこともありそうです。
2013-10-08 | 記事へ | コメント(0) |
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それぞれの喪中
2013年09月30日(月)
夫の祖母は、結婚の数年前に亡くなっているので
姑から聞いたことなのですが・・・

祖母が、亡くなったのは、9月初旬
なのに・・
その年の暮れ姑は、年賀状を書いたそうです。

年賀状を受け取った親戚から
「あんたとこ喪中やろ」
と言われて
姑「あぁ〜そやった!〜忘れてたぁ〜!」

3ヶ月ほどで忘れますか

という姑とは、逆に・・・

2009年のお正月。
ケアハウスにいる父には、誰も年賀状を
出さないだろうから喜んでくれると思って
出したところ元日早々 父から電話が・・・

「去年、おばちゃん(父の姉)が、亡くなってるのに
 なんで年賀状なんか出すんや!!
 こんなことしたら常識無いって笑われるで!!」
とカンカン!

確かに独り身の叔母が、亡くなっていましたけど
それを気にしていたのは、父だけででした。

その後で面会に行った時に
「○○おっちゃん(父の弟)からも○△兄ちゃんや
△○姉ちゃんや×○ちゃん(いとこたち)からも
年賀状来たよ」
と何気なく言うと父は、

「ふ〜ん」

とだけ言いました
2013-09-30 | 記事へ | コメント(0) |
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聞き逃すという策
2013年09月10日(火)
学生時代は、リーダ的な人についていくだけで
人を まとめる人間では無いと思っていたのに
同窓会の幹事や 書道の会の代表などを 
させていただく機会を得て いろんなことを
学ばせていただきました。

同窓会を例にすると・・・
多くの人に参加してもらおうと意見を聞けば
希望が、多すぎて開催できなくなることが、
わかりました。

開催したらしたで場所、料理、時間に
文句や苦情を言う人が、います。

でもその人に
「なら幹事して」
と言うと必ず断らるので
「そう言う人の意見は、聞かなくてもいいや」
という判断になります。

で、優先するのは、

”先生と幹事の都合”

それでも
「いつなら参加してもらいやすいか」
だとか
「昼と夜の開催を交互にする」
とか
「余興は?」
など
考えたり工夫は、しているのですが、
文句を言う人は、何をしたって言うものだと
いうのも了解済み。

中には、貴重な意見もありますから
聞いているフリをする
「聞き逃しの術」
も身に着けました
2013-09-10 | 記事へ | コメント(2) |
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スマイル、スマイル
2013年09月04日(水)
年を重ねるごとに遠慮は、なくなり言いたい放題の 
大阪のおばちゃんに進化?している私

もともと怒りっぽいところが、あるので夫には、
「そんなん前からやん」
と言われますが・・・

これから ますます遠慮しなくなりそうなので
注意する時、苦情や文句を言う時、などなど

”笑って言える人”

になりたいなぁ〜と思うようになりました。

「目くじら立てて言うようなことを穏やかに笑顔で物申す」
みたいな

夫に言ったら
「気持ち悪いやろ」
って

怒るより効果ありそう
2013-09-04 | 記事へ | コメント(0) |
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言葉との出会い
2013年06月12日(水)
父に会った日の帰り道、この地域にあるお寺の掲示板の貼り紙が、
目にとまりました。

そこには、
「雨の日には、雨の日の
 老いた日には、老いた日の
 かけがえのない人生が、あります」
と書かれていました。

最初は、老いた父を見てきた後でしたから 老いた人への戒めかと
思いましたが、その言葉を つぶやきながら歩いていると

「その時、その場所 その年齢に ふさわしい過ごし方をしなさい」

という誰にでも当てはまる意味が、込められていると感じたので

心に留めたいと思いました。
2013-06-12 | 記事へ | コメント(0) |
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反面教師
2013年06月11日(火)
私は、見合い結婚でしたから二十歳を過ぎた頃から 数々の縁談が、
来ました。

父は、縁談が、来るたび相手の欠点を探し出しては、
「これは、アカン!」と断るばかり。
そんな中 初めて30歳代の方から縁談が、来た時・・・
父「30を過ぎても結婚でけへんのは、親が、ボンヤリしてるからや!
こんな親のところへは、嫁にやれん!」

そんなことを 言い放ったのに 息子(弟@長男)は、37歳まで結婚できず
もう一人の息子(弟@次男)は、今も独身・・・

そんなことになったのですから
「人の批判は、するものでは、ない」
気づけば良かったのですが、そういう言動は、続き 70歳半ばの頃
施設の老人を見て

「俺は、あんな格好の悪い、みっともない年寄りには、ならん!」
と・・・。

それで そういう(それ以上の?)年寄りになってしまいました。

「軽々しく人を批判するものではない」
ということを 見せつけられた私たち(姉弟)。

見事な反面教師です。
2013-06-11 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
相性に助けれれる
2013年06月08日(土)
もし私が、気楽な子供時代を過ごして実家のような何かにつけて
縛られる家に嫁いだら
「生きていく自信を 失っていた」
と思うと恐ろしい気が、します。

ですから弟が、やっと結婚できることになった時、両親が、お嫁さんの
心をつぶしてしまわないか ずいぶん心配しました。

ところが、ありがたいことに父と義妹の相性が、良く 私たちの言うことは、
全く聞かない父が、義妹の言うことには、聞き従うのです。

義妹もまた父を大事にしてくれるので自宅介護をしている時も
甲斐甲斐しく世話をしてくれましたし グループホームに入ってからも
一番よく足を運んでくれています。

義妹が、いなかったら家族の言うことを聞かない父を どうすることも
できずに見放すことになっていたと思うので義妹には、本当に感謝しています。
2013-06-08 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
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ニックネーム:さら
性別:女性
年齢:50代後半
都道府県:大阪府
結婚して32年書道歴も32年 姑との同居は20年で終了し夫婦だけの生活になりました

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