”確か”じゃない
2015年12月29日(火)
弟夫婦が、予定していた日より少し遅れて
老健からグループホームに移った母。

馴染めるか心配したが、
思った以上に機嫌良く過ごしている。

ただ・・・

昨日、母の部屋で話しをしていると
介護士さんが、お茶を持ってきてくださって

「いいタンスですね」
と弟が、家から持ってきたダンスを
ほめてくださった。

すると

母「これね、結婚した時に買ったんですよ〜」

と言う。
訂正しようと

さら「違うよ〜これ、まだ新しいやん」

ところが!

母「何言うてるのん!新婚の時
  お父さんと私のモン入れててんから〜」

すっかり記憶が、すり替わっている!

父の認知が、始まった時
皆が、父の間違いを正そうとしたことで
父の怒りが、おさまらなくなり
”攻撃的な父”
にしてしまった経験から
あわてて話をそらした。

そんなタンスが、あった。
でも もっといいかげんなタンスだったし
子供の頃 二人の弟とともに
シールを貼りまくったので表面の塗装は、
剥げてしまっていた。

そんな状態でも長く使っていたが、
弟@長男の結婚か
家の建て替えたを機に
処分して その後に買ったのが、
このタンス・・・。

すり替わっているのは、
そのせいか?

帰り際
母「まだまだ記憶は確かやよ!」

そう!
”間違えてるかも?”
と思わないのが、認知症。

少しづつ進んでいる・・・
2015-12-29 | 記事へ | コメント(0) |
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分け隔てなく
2015年12月13日(日)
私の両親は、子供に対して

”平等”に扱うことを信条としていた。

なのでお菓子などの頂き物も
きっちり三等分。
姉の私の
”分が悪いなぁ〜”
とは思っていた

そんな意識が、働いたワケでは
ないだろうけど
母が、骨折の手術をしたのは、
私の誕生日で

母に自宅には
戻れないことを言い渡しに
行ったのは、弟@次男の
誕生日の翌日。

そして弟@長男の誕生日の前日に
グループホームに移る予定だと・・・。

今年の誕生日は、三人とも
”曰く付き”

分け隔てないよね
2015-12-13 | 記事へ | コメント(0) |
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母の心情
2015年12月07日(月)
私の祖父母は、母方の祖父を
のぞいて実に
あっけなく亡くなっているし
父が、三男だったため直接
舅、姑とかかわっていない母は、
”年寄り”とのつきあいが、ないまま
高齢者になってしまった!
と言っていい

で!
家族に大事にされる
”おばあちゃん”を
夢見ていた母は。骨折して
リハビリ病院や施設で
多くの高齢者と接することになる。

この7ヶ月で知った
”高齢者”の実態から

母「年寄りは、
  ややこしい”ということが、ようわかった。
  これでは、若い子と一緒に住まれへんなぁ〜」
と言う。

そこに
”孫には嫌われたくない”

という気持ちをかいま見た。
だからグループホームを
了承したような気がする
2015-12-07 | 記事へ | コメント(4) |
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念を押す
2015年12月06日(日)
先月、母に

”施設を移る”話をした時、

弟夫婦は、すでに
二カ所のグループホームに絞っていた。

その一つは、父が、お世話になった所。
ウチから歩いて行ける距離にある。
そこは、入所待ちは無いというものの
いつ空くかわからない。

それで早々に空くことは、ないだろうから
春頃まで のんびりできる
と思っていたら先週
空いたと連絡が・・・。

予想外の早さに とまどう弟夫婦。

それでもこの機会を逃したら次は、
いつになるかわからない。

早急に返事をしないといけないが、
暖かくなるまで”今の施設”と
思いこんでいる母が、どう思うか。

また父が入所していただけに
同じ所は、嫌だと言いはしないか・・・

そんな心配から弟夫婦が、
私に同行を求めてきた。

母をどう説得するか考えていたのに
話を聞いた母は、

「え〜!あそこ!
 ええとこやん〜
 よかったわ〜

って・・・

予想外の反応に驚くやら安堵するやら

それでも

さら「ウチから一番近いとこでホンマに安心やわ〜」

と念を押しておいた
2015-12-06 | 記事へ | コメント(2) |
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疑っている
2015年11月16日(月)
昨日、母に家に帰るのではなく
別の施設に移ることを
”説得”
しに行った。

ケアマネさんが、上手に話しを
運んでくださったので
弟@長男もすんなり母に

「みんなで話し合うたら家より
 施設の方が、ええんと違うか
 ということになった」

と言えた。
すると!

母「私もそれがええと思うねん」

家に帰りたいと切望されるかと
思いきや

あっさり承諾

それでも
さら「家で母さん一人は、心配やし〜」
と強調
それに続けて

弟@長男「姉ちゃんが、心配やって言うてるし
     母さんに合うた施設探すから」

ということで収まった。

けど
義妹「このまま何事も無くいくとは、
   思われへん」

夫「ほんまに そう思たはるんやろか」

と疑っている

ケアマネさんも同席されてたので
いい人ぶっていた可能性もある。

とりあえず春まで今の施設で
過ごすことになっているし
次の施設が、決まって
入所するまで気は抜けない!

と皆、思っている
2015-11-16 | 記事へ | コメント(4) |
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総動員
2015年11月12日(木)
母が、家に帰れないと知ったら
リハビリをしなくなる可能性がある
と思った弟夫婦から

”家に帰る話は、せんといて”

と口止めされていた。

けれど母がしつこく
「いつ帰れる?」
と聞くので

義妹が
「だんだん ごまかすのが、
 しんどなってきた」

と言うようになったことから

「家ではなく別の施設に移ってもらう」

と母に伝える決心した弟@長男。

それで母に話す
”内容”を
すり合わせる作戦会議をした

というのも全員の意見が揃ってないと

母「どっちの言うことが本当なんや〜!」

と怒りのスイッチが、入る恐れがある。
そうなると話が、前に進まなくなる・・・

なんとしても母に
”みんながそう言うねんから
 施設で暮らすのがいいんだろう”
と思わせないといけない。

私たち姉弟の3人だけのことと
気楽に聞いていた夫にも

弟@長男「『私もそれがいいと思います!』
     というようなことを言うてください」

と援護射撃を求められた。
総動員で一致団結

1回では、納得しないだろうけど
2015-11-12 | 記事へ | コメント(2) |
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かわいくないとね
2015年11月10日(火)
亡くなった父が、認知症から母に
危害を与える恐れがあったので
二人を引き離すことになった時、
母をウチのすぐ近くに住まわした。

身の回りのことは
しなくてもよかったけれど
必要だったのは、精神的なケア。
結局、ここにいた3年間、
母の口から出てくるのは
父と嫁の愚痴ばかり。

それで夫も母の扱いにくさを
十二分に知ってしまった

なので
さら「もし 母さんが、穏やかな人やったら
   施設に入れんとウチで引き取りたいって
   言うてるわ」

夫「それはわかる!
  オカンみたいにかわいい 
  おばあちゃんやったら
  オレもウチで面倒みたらどうやって言うで」

さら「せやけど かわいい おばあちゃんやったら
   嫁姑問題もなかったやろうけど・・・」
2015-11-10 | 記事へ | コメント(0) |
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揺れている
2015年10月24日(土)
朝から義妹と電話で

母にどう説明するか
話し合っって

”ケアマネさん”
をキーワードにすることにした。

総合的に退所の判断をされるのは、
ケアマネさんらしいし

そして
午後から面会に行くと

母「昨日、どうしても気持ちが、
  治まれへんかったから
  ケアマネさんと話させてもろたら
  ようわかって安心した

って・・・

こっちの思った通りに
自力で解決したいたことに
ビックリ!

でも母の話を聞いてみると
リハビリ病院が、延長もなく
三ヶ月で退院させられたので
施設でも期限が、きたら

”即!退所”

と言われると思って
心配していたと言う。

それって・・・
まだ退所したくないってこと?

家に帰りたい気持ちと
施設で のんびり過ごしたい
気持ちとで

”揺れている”
らしい
2015-10-24 | 記事へ | コメント(0) |
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更新は、期限じゃない
2015年10月23日(金)
母のところ(施設)へ行くのは、
2週間に一度にしていたので
この週末は、行かないつもり・・・
だったのに夕方、義妹から

”おばあちゃん(母)が
 「あと1週間しか(施設に)
  おられへんはずやのに(施設から)
  何も言うてきゃはれへん!」
 と怒ってました”

というメールが・・・

入所したばかりの頃に

”三ヶ月ごとに更新される”

とか
”リハビリの計画が、11月まである”

と母に説明したことから11月が、
退所の期限だと思い込んでいることに
気づいていた

でもそれまでは

”おとなしくしているだろう”

と黙っていたのだが
アッという間に
その11月・・・

でも
「母さんの思い込みやん」
と言うと母の機嫌をそこねる

なので明日は、

「退所は、リハビリの先生の判断次第やよ」

と言いに行こう。

実のところ弟夫婦も施設が、どう
判断されるかわからないので
ビクビクしている
2015-10-23 | 記事へ | コメント(0) |
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複雑な気持ち
2015年10月17日(土)
施設にいる母に面会してきた。

そこで市民文化祭に出品した作品の
写真を見せたら

母「ええのん書けたやん〜」

と言ってくれたが!

その後に
母「私も続けてたら これくらい
  書けたのになぁ」

と負けん気をだして
悔しそうに言う。

しか〜し!
近くにいた介護士さんに
母「これ、娘が書いたんです!」
と自慢してる。

母の気持ちは、複雑そう
2015-10-17 | 記事へ | コメント(2) |
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上から
2015年10月06日(火)
施設に入ってから義妹が、週2回
洗濯物を取りに行ってくれているけど
母の機嫌を損ねないように
母が、聞いてきたことにだけ
答えて そそくさと帰るので
先日、面会に行くと

母「○さん(義妹のこと)このごろ
 (介護ヘルパーの)仕事どうなん?」
と聞いてきた

さら「だんだんベテランになってきたから
   気むずかしい人の担当になって 
   しんどいらしいよ」

母「そうかぁ
  ここ(施設)の介護士さんも大変やしなぁ〜」

それでねぎらいの言葉が、あるのかと
思ったら

母「そんな経験しといたらええねん!」

って・・・
人とのコミュニケーションが
苦手な母なのに それでも

”上から目線”的発言
   
母自身は、
”それくらい私にでもできるわ”
ぐらいの感覚なのかもしれない。

自分に甘く 人に厳しい・・・

多くの人が、そうなんだろうけど
2015-10-06 | 記事へ | コメント(0) |
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気遣い
2015年10月04日(日)
母が、大腿骨を骨折してから
半年になろうとしている。

これまで
救急病院→リハビリ病院→施設
と移ってきて 時々 義妹に言われたのが、

「おねえさんや××さん(弟@次男)が、
 (面会に行くと)『来てくれた』と
 喜んだはりますよ」

って・・・。

義妹は、母の機嫌が良いときは、
文句を言うことはないだろうという
安心感から嫌がってはいない。

でも私は、
息子、娘が、面会に行くのは、
当然のことなのに
嫁に”うれしい”と
”言う必要無いやろ!”
と思ってしまう。

姑は そんな言葉を発しなかったので
私は、嫌な思いをしていない。

だから義妹には

”気遣いのできない母でゴメンね”

という気持ちがある
2015-10-04 | 記事へ | コメント(0) |
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じわじわと
2015年09月20日(日)
母の施設に11時半頃、着いたのに
すでの食事中〜

先週末、面会に行けなかったので
2週間の間に少しは、リハビリが
進んでいるかと思ったけど
母のそばには、まだ歩行器具が・・・。

それで食事をしている母の横に
座って話しをした。

お昼ご飯には、
ご飯と汁物に 4品ほどの
おかずが、並んでいて

母「家に帰ったら これだけのもの
  作られへんなぁ〜」
って・・・

さら「その足で料理できるか?
   横に動くって危ないで」

母「そうか・・・お弁当頼まなあかんかなぁ〜」

さら「また転けて骨、折ったらあかんから
   いままで以上に気ぃつけて
   暮らさなあかんねんよ」

母「それがな、気ぃつけへんねん」

自白してても自覚してないような・・・。

じわじわ〜と
”一人暮らしは、無理”
って自覚させないと
2015-09-20 | 記事へ | コメント(0) |
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理想は理想
2015年09月02日(水)
母のこれからを話しながら義妹とランチをした。

今、母がお世話になっている施設
”老健(老人介護健康施設)”
から退所を言い渡された後、どうするか。

弟夫婦は、グループホームに決めたと言う。

私は、反対しないし意見も言わない。

姑の時、私の思い通りにさせてもらったから
弟夫婦の考えを優先するだけ。

なので そのように
母を誘導するのが、私の役目

母には、
家族みんなに大事にされて暮らしたい
という夢のような理想が、ある。

そんな母を中心にした暮らしなど
できるわけがないから
帰ったらたちまち不満を言うに決まっている。

母が満足する場所は、無い
2015-09-02 | 記事へ | コメント(0) |
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娘だから言う
2015年08月30日(日)
相変わらず

”帰る”
ことを考えている母。

実際、退所される方が、いるようだし
リハビリの先生の

「もう少しで歩けるようになりますよ」

という励ましを

歩けるようになる=家に帰れる

と変換して期待している。

なので

さら「歩行器具がないと歩かれへんのに
   まだ帰られへんやん」

母「それでも杖で歩くリハビリしてるねんで」

さら「普段の生活が杖でできるようにならな
   あかんと思うよ」

母「そらそうやな〜
  今のままやったら帰っても
  動かれへんなぁ」

義妹が言ったらた機嫌を損ねることを
私は母に言う

今日は納得してくれたけど
来週また同じ会話をするかもしれない
2015-08-30 | 記事へ | コメント(2) |
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都合の悪い話
2015年08月22日(土)
昼間は、車椅子から歩行器具になった母。

歩けているつもりだろうけど

”すり足”

足は、上がっていない。

なので階段のリハビリは、一段も
上がれなかったというのに

”ここまで歩けるようになったから
 もう帰れるはず”

と思っているようで

母「いつ帰ってもええと言うてくれはるか
  考えたら落ち着けへん」
と言う。

姑がお世話になったことで施設の
方針を知っているので

さら「ここは三ヶ月ごとに見直されるから
   10月になるまで決まれへんよ」

と説明すると

母「そうか・・・まだまだやな」

とは、言うものの都合の悪い話は、
頭に残らないらしく義妹から

”おばあちゃんが、
 もうリハビリせんでもええらしい
 と言っている”

とメールがきた。

”都合のええように解釈してると思うけど”

と返信したら

義妹”おばあちゃんの言うことに
   のせられるとこでした。
   気をつけます”
という返事。

母は、まだしっかりしていると
思っていたけど
自分の考えを優先させるのも
認知の症状が、進んでいるからだと
思う・・・
2015-08-22 | 記事へ | コメント(0) |
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食べること
2015年08月04日(火)
施設での生活も1週間を過ぎた頃から
必要なモノが、そろい、
おしゃべりできる相手もできて 
落ち着いてきた母。

何よりも喜ばしいことは、

母「ここは、食事が、おいしい
と言っていること。

病院よりは、濃い目の味つけと
3時には、”おやつ”も出るので
食べることに不満が、ないことに
まず一安心

というのも
母は、健康志向で素材にこだわるので
味にうるさい。

しかし
姑が、施設に入所した時、すでに
認知症による味覚障害と摂食障害で
食べられなくなっていたことから
食事に関して何も言わなかった。
なので食事が、どの程度のものか
知るよしもなく・・・

なのでそれが一番
”気がかり”
だった。
2015-08-04 | 記事へ | コメント(2) |
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現状維持
2015年07月30日(木)
母が、骨折したのは、大腿骨でも
膝のすぐ上。
しかも斜めに断裂。

加重のかかるところなので
骨が着くまで体重をかけることは、
許されなかった。

しかし斜めに折れるというのは、
接着面が、広いということで
着くのに2ヶ月。

退院する時にようやく全体重を
かけても大丈夫と言われたらしいが
骨折してからすでに三ヶ月半。
衰えた筋肉を取り戻すどころか
現状維持が”精一杯”という感じ。

なので老健での”緩い”リハビリは、
”歩けるようになる”
というのを目的にしてないような・・・。

母は、歩けるようになると
気楽に考えているみたいだけど
2015-07-30 | 記事へ | コメント(0) |
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第三者を利用
2015年07月29日(水)
姑に認知症の気配が、でてきてから
私たちの言うことをことごとく聞かなくなった。

髪の毛が伸びたからカットしに行こうと言うと
姑「まだ大丈夫や」

クリニックに行こう言うと
姑「(具合の)悪いとこないから行けへん」

まして”ディサービス”という姑にしたら
”ワケのわからんところ”には行くはずもない。

それで

カットには、
さら「美容室の店長さんが、今日は、空いてるから
   来てくださいって言うたはるよ」

クリニックには、
さら「先生が(私と)一緒に来てくださいって
   言うたはるねん」

そしてディサービスは、
さら「市役所から行くように決められてるねん」

という具合に第三者を利用すると姑は、

「それやったら行かなあかんな」
と動いてくれた。

母も老健までは、承諾したが、老健から
家に帰れると思っている。
しかし今の程度のリハビリでは、
一人で生活するまでには、なりそうにない・・・。

で!

弟夫婦「リハビリの先生が、言わはったことにして
    グループホームに入れるつもり」

なんだとか。

同じ”手”を使うんだね
2015-07-29 | 記事へ | コメント(0) |
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口封じ
2015年07月25日(土)
老健に入所した母。

リハビリ病院のように一日に何度も
リハビリの時間を取ってくれないので
”暇”だろうし
リハビリ病院との違いに文句を言うだろうと
思っていたら案の定
昨日、義妹に
”文句たらたら”
だったらしい

なんでも母の思うようには、ならないけれど 
それを理解できる状態でも無い・・・

でも
”暇”
はなんとかしないといけないと
義妹から
「おばあちゃん(母)に書道の道具を届けて欲しい」
とメールが、来たので実家へ取りに行った。

リハビリ病院に入院している時に
”写経”がしたいと言っていたので
写経が、できるように道具を揃えながら

さら「気持ちは、あってもするかどうか・・・
   せやけど道具が、無かってでけへんのと
   道具が、有ってでけへんのとでは、ちがうからね」

弟@長男「その通りやねん」

母が、
「道具が、無いからでけへん!」
と言わせないようにしようとしている
私たち
2015-07-25 | 記事へ | コメント(0) |
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2年も過ぎると
2015年07月23日(木)
先週末、母の老健への入所が、認められて
27日に入所すると義妹が知らせてきた、

リハビリ病院へ行くのも今週末が、最後と
思っていたら火曜日、

義妹「入所が、23日になりました」

って
さら「あさってやん

急なことなので弟夫婦が、困っているかもと

”手伝うことあったら言って”

と義妹にメールしたけど二人でなんとかしたらしく
午後になって

”部屋は、3階の3××号室です”

と知らせてきた。

姑が、9ヶ月間も お世話になった老健に
今度は、母が入所。

でも

さら「お母さん(姑)は、2階やったよねぇ・・・」

夫「たぶん・・・」

2年も過ぎると
どうでもいい記憶は、どんどん消えていく
2015-07-23 | 記事へ | コメント(0) |
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多すぎる
2015年07月13日(月)
母の主治医から弟夫婦には、
「家に帰るのは無理でしょう」
と言われているらしい。

それは”家”の事情。

母が、暮らしていた”はなれ”は、

”段差ありすぎ”

なので
再び骨折する可能性”大”
というのが理由。

車椅子で生活できる家なら
帰ることもできたかもしれないけれど
そうするには、リフォームどころではなく
建て替えすることになる。

それは無理。

そんなことを母が、知ったら
リハビリしなくなるので
言わないが、
”はなれ”は、
着々と片づけが、進んでいる

先日、義妹から
「要るものあれば持って帰ってください」
とメールが来たので週末実家に
行ってきた。

そこにあったのは、ドド〜〜ン!と
半紙の塊、3000枚


前回も大量に持って帰ったのに
義妹「まだ有りました・・・」って

20数年前のことだから
やる気満々だったんだろうな〜。

しかし!それにしても多すぎる
使い切れるのか?私
2015-07-13 | 記事へ | コメント(0) |
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会話と記憶力
2015年06月23日(火)
書道教室で姑の認知症の様子を話していたら
そういう高齢者さんが、身近にいない人に
以外に思われたのが、

”日常会話は何の問題も無くできる”

といこと。

おしゃべり好きだった姑の場合、会話は、
完璧!
しかもわからないところは、ごまかす(これが上手!

なので他人には、認知症とわからない。

ところが!

さら「さっき誰としゃべってたん?」
と聞くと

姑「誰にも会うてへんでぇ〜」

というように人と会った記憶が、無くなってた

入院中の母も会話には何の遜色もないけど

先日の病状の説明の時、

「認知は、進んでますね。
 何度も言わないと こちらの言うことを
 覚えてもらえなくなってます」

と・・・。

母も自覚は、あるようで

「ほんま!すぐ忘れるねんよ〜」

家族のことさえわかっていればそれで十分!
と思う
2015-06-23 | 記事へ | コメント(2) |
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これから
2015年06月22日(月)
骨折から2ヶ月過ぎてやっと
骨がひっついた母。

でも先生が、
”年相応に・・・”
と言われたそうで
高齢になると完全には、
ひっつかないらしい

ようやく始まった歩くリハビリ。
ただ入院期間は、三ヶ月ではなく
90日ということで母の退院日は、
7月28日。

病院側は、
「一日たりとも伸ばせません!」
って・・・厳しい!

それで弟夫婦は、集中して
歩くリハビリをしてくれる老健を三つ
希望先に選んであると。

一つは、市内の姑が、入っていた施設。
そこだと近いけれど退院日まで居て
行き先が、無いのも困るから どこでも
決まれば即、退院して入所させると言う。

それが、妥当だと思う。
2015-06-22 | 記事へ | コメント(2) |
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見込みがない
2015年06月17日(水)
先日、面会に行った時、母は、

「先生が、
『来月末には歩けるようになって退院してもらいます』
 って言うたはる」

とは、言うものの
歩くリハビリは、これから
希望を持たせるために言ってくださっているに
違いないと思っていたら
案の定、病院へ説明を聞きに行った
義妹からメールで

”来月末までに歩けるようなるのは
 無理ですから
 施設を探してくださいと言われました”
と・・・。

リハビリ病院の入院期間は、原則三ヶ月。
もう少しで歩けるようになるとか
回復の見込みのある患者さんには、
多少の延長が、あるようでも、
母の場合は、無理と判断されたので
キッチリ三ヶ月で打ち切り。

当然といえば当然。

それで まずは、老健(介護老人保健施設)を
希望すると病院の側に伝えたと。

空きがなかったら この前 義妹が
言ってた高額の介護施設になる。

さてどうなりますやら・・・。
2015-06-17 | 記事へ | コメント(0) |
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今は、ご機嫌
2015年06月14日(日)
入院中の母は、いつ行っても

”機嫌が良い”

まだ歩けないので不自由だけど
看護師さんや理学療法士さん達に
至れり尽くせりしてもらっているので

”居心地が良くて快適!”

なので文句の言いようがない。

ただ多少の不満が、あるようで
それも帳消しになっているワケではなく
母の体の中に徐々に蓄積されている。
今後何かで

”不満を感じた時”

にそれらが吹き出すのは、間違いない。

ずっとそうやって生きてきたんだもの。

だから弟夫婦も中途半端な状態で
家に帰ってきたら 

母「でけへんことが、わかっていて
  私を ほったらかしにする」

と、たちまち不満しか言わなくなるのを
見越して

”介護施設”を検討している。

でないと母の不満のはけ口で犠牲になるのが
義妹だから・・・
2015-06-14 | 記事へ | コメント(0) |
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次を考える
2015年06月10日(水)
母が、今のリハビリ病院で入院できる期間は、
原則、三ヶ月。

ピッタリ三ヶ月で追い出されるということも
ないらしいが、そう長く居られるワケでも
ないのでケアマネさんから

「今から次、どうするか考えておいた方が
 いいですよ」

と言われて弟夫婦は、市内にある施設を何軒か
見学に行ってきたという。

で、義妹が、いいと思ったのは、
介護付き老人ホーム
ウチと実家のちょうど中間あたりに
ある施設。

ただ父が、利用したグループホームと
同じぐらい費用が、かかると言う。

それでも弟夫婦は、
「おばあちゃん(母)の蓄えは、おばあちゃんが、
使い切ればいい」
と・・・。

父の時は、それでうまく乗り切ったけど
長生きしたらどうする?と
心配しつつ口には、出さない。

母と弟夫婦が、納得するならそれでいい。
2015-06-10 | 記事へ | コメント(0) |
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見計らって
2015年06月07日(日)
母が、入院しているリハビリ病院は、
日曜祝祭日、外来は、休診ですが、
入院患者さんのリハビリに
”お休み”無いんです。

母の場合、午後のリハビリは、
1時からの日が、多いので
日曜日でも12時半頃に着くように行くと
30分ほど話が、できるし
理学療法士さんが、来られると

「そしたら帰るわ」

と言いやすい

弟@次男が、洗濯物を取りに行く時も
会話しなくてもすむように
晩ご飯時を狙って行ってるらしい

見計らって行かないと
”帰る”引き際が、
難しくなる
2015-06-07 | 記事へ | コメント(0) |
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これから広がる
2015年06月05日(金)
母が、一時期ウチに近くで暮らしていたので
母の幼なじみさんにウチの電話番号も
教えてたんです。

それで
ついに!幼なじみさんから電話が!

「○○さん(実家の苗字)に
 何度もお電話しているんですけど
 いつもお留守で・・・」

骨折してからもうすぐ二ヶ月
怪しまれてもしかたがないし
そうして気にして下さる方がいることは、
ありがたい。
母も喜ぶと思う。

ただその方、生まれ育った所に今も
お住まい。

弟@長男は、母の実家にも知らせてなかったけど
その方から知れることになりそう
2015-06-05 | 記事へ | コメント(0) |
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買える時に
2015年05月27日(水)
弟夫婦が、母のモノを片づけているので
20年も前にやめている書道の半紙を
全部貰ってきた。

漢字とかなの半紙、積み上げたら
50センチは、ありそう。
多すぎ

その当時は、まだまだ書く気が、
あったんだろうけど・・・

半紙に限らず
母もまたいろいろ溜め込んでいる。

高齢になると
”いくらあっても心配で・・・”
と思ったけど義妹は、

「”買える時に買っておこう”
 と思うからとちがいますか?」
と言う。

ああ、それもあるのか
2015-05-27 | 記事へ | コメント(0) |
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時間が、かかる
2015年05月16日(土)
義妹は、介護ヘルパーをしているので
介護の知識がある上、同僚や上司に
相談できる人が、いっぱいいるので
頼もしい

母が、リハビリ病院に転院した時も
説明が、詳しかったため

看護師さんに
「娘さんですか?」
と言われたとか

なので母のことは、義妹にお任せ

今日も今後のことを聞きに
病院へ行ってくれた義妹からのメールが

”まだ骨がひっついてないそうです”
って・・・手術から一ヶ月になるのに

ということで あと一ヶ月は、今の
リハビリのままらしい。

骨折した時に弟@長男と冗談半分に

「あの年でひっつくか?」

と言ったけどやはり時間が、かかりそう・・・。
2015-05-16 | 記事へ | コメント(0) |
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世間の感覚
2015年05月13日(水)
書道教室で母が、骨折したことを言うと

お米屋さんの奥さんは、
「あかんやん!それは、あかんわ!」

その言葉の中に

「歩かれへんようになるんとちゃう?」
ということが含まれているような

そして同期の役員さんも
「(歩けるようになるのは)難しいやろねぇ」

長いつきあいなので二人とも遠慮が無い。

でもそれは、骨折で歩けなくなった高齢者を
知っているからだろうし
それが、世間の感覚なんだと思う・・・。
2015-05-13 | 記事へ | コメント(1) |
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減る・・・はず
2015年05月06日(水)
母が、リハビリ病院へ転院して一週間。

これまで風邪気味だったので
行くのを控えていましたが、
今日、行って間もなく
”リハビリの時間”
となりました。

でも
療法士さん「リハビリの様子を見て下さってもいいですよ」
ということでしばし見学。

まだ骨折した左足には、負荷を掛けられないため
片足立ちの練習。

しかし3週間も寝ていたせいで
右足の筋力も衰えて
1分も立っていられない状態・・・

予定されている入院期間は、90日。
どこまで回復するのやら?

その後、実家に向かい
義妹と母の洗濯物を取りに行く日を
決めたのですが、
それを聞いていた弟@長男

「××(弟@次男)は、毎日病院の前
 通って(通勤している)ねんから
 ××にも取りに行てもらわな」

義妹「自分の親やねんから それくらい
   してもええと思うけど・・・」
私「嫌がるかもね」

そんな話をして帰ってきたら
義妹からメールが、来て

”××さんも行ってくれるみたいです”
って。

三分の一には、ならなくても
1.2回は、減るでしょう
2015-05-06 | 記事へ | コメント(2) |
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頭と気持ち
2015年04月22日(水)
母は、これまで うまくいかなかった時は、
いつも人のせいにして怒るほど自分の
失敗を認めたくないというか
自分が、失敗するはずが、無いと思って
いるのか・・・。

そんなことで一番の犠牲者は、
義妹かもしれませんが、
家族皆が、そういう目に遭っています。

骨折を誰かのせいにしたところで
リハビリは、誰のせいにもできません。

母も
「歩けるようになるかどうかは、
 私の頑張り次第」
と頭では、分かっているようなんですが、

まだ骨折のショックを引きずっているようで
”歩けるようになりたい!”

という気持ちが、感じられません

リハビリの病院へ転院すれば変わるかも
しれませんけど・・・。
2015-04-22 | 記事へ | コメント(0) |
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進んでる?
2015年04月20日(月)
母が、入院しているのは、隣の市の
救急病院。

遠くないけど・・・
近くない

義妹も

「もうちょっと近かったらねぇ」

と言いながら原付で ひとっ走り
してくれていますし弟@長男は、
仕事の途中に寄ったり
昨日は、弟@次男も行ったようですが、
寝てたから帰ったって・・・

母は、”老人性アルツハイマー”と診断されて
薬も服用しているため病院側も
事故につながることをおそれてか
少しでも”怪しい”行動をすると
監視できるナースステーション横に
移されたりしています。

看護師さんの受け答えは、ちゃんと
しているようですが、

今日もまた

母「ここはどこ?」

って病院の所在地を聞くのは、2回目。

新しい記憶は、残らなくなっているのかも・・・
2015-04-20 | 記事へ | コメント(0) |
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限界がある
2015年04月16日(木)
母は、弟@長男一家が、住む家の隣にある
はなれで一人住まいをしていたのですが、
最初は、一人で暮らすのは、心配だと
ずいぶん抵抗したらしいです。

でも同居したら文句しか言わないのは、
わかってますから阻止した弟夫婦です。

なので母は、

「こんなことになったんは
 あの子ら(弟夫婦)のせいや!」

という気持ちを少なからず持っていると
思うのですが、弟夫婦の世話になっている今、
そういうことは、言えません。

そういう時だからこそ
”良かったこと”を
強調しておかないと、と思って
最初に病院へ行ったとき

さら「早いこと(弟に)気ぃついてもろて
   良かったなぁ〜。
   一緒に住んでても夜中に下(一階)で
   お母さん(姑)がこけたはったら
   朝まで気ぃつかんこともあるなと
   思て暮らしてたよ」

同居でも限界が、あるということを
理解してくれたらいいけど・・・

母が、こけた直後に弟@長男が、タバコを
吸いに庭に出て
「痛い〜」という声を聞いたんだそうです。
2015-04-16 | 記事へ | コメント(0) |
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後ろ向き
2015年04月12日(日)
私が、病気をした時、母は

「”気いつけや”って言うたげたら
 こんなことには、なれへんかったのに」

と何度も言いました。

気持ちは、ありがたいけれど
そんなことで病気が、防げるワケが、無いのに
母は、本気で思っていたんです。
ですから自分の身に降りかかった今

「あんなことせんといたら」
「こうしといたら」

ベッドの上でそんなことばかり考えていると思います。

なので弟夫婦が気がかりなのは、
そんな後ろ向きな母が、
リハビリする気力を持っているか?
といこと。

母「もう歩かれへんでもええ!」

とか言い出して寝たきりになるのを
心配しています。
2015-04-12 | 記事へ | コメント(2) |
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言われた通りに
2015年04月11日(土)
実家の母が、木曜日の夜、お風呂上がりに
脱衣所でこけて大腿骨(膝のすぐ上)を骨折

その日 デイサービスで入浴してきたのに
翌日の”食事会”に行くために
家でも入浴してのことだったそうで

知らせてくれた義妹
「一日に2回もお風呂に入ったら
 疲れてフラフラになりますやん」

”自分自身が、きれいであること”が
最優先、生き甲斐のようなものなので
誰も止められません。
それでの骨折。

今日、病院へ母の様子を見に行った後 
実家に寄ると

弟@長男「こうなると思って
     歩くリハビリや入浴介助を申し込んだのに
     しんどいからイヤやとか
     毎度家に人が、来るのが、イヤやって
     勝手に断っといて 
     『いつまでも家に居たい。
      家で私の介護してくれ』
     は、無いで」
と・・・。

母は私たちが、失敗するといつも言いました。

「親の言うこと聞けへんから
 こんなことになるんや!」
つまり
”あなたのせいでしょ”

母は、80半ば リハビリしても
どこまで歩けるようになるのやら
2015-04-11 | 記事へ | コメント(0) |
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気合いが入る
2015年03月23日(月)
母のことを義妹と話している時
母が、旅行に誘われていることを言うと

義妹「そういうことやったんですか!
  ”旅行するから”
   とは、聞いたんですけど・・・」

母の機嫌をそこねるかもしれないので
旅行することになった
いきさつが、聞けなかったらしい

で!
さら「”服、買いにいかなあかん”
   て言うてるよ」
義妹「え〜〜〜!
   あんないっぱい持ったはるのに!」
さら「そう思うやろ せやけど
   旅行に行く気にさせとかなアカンと
   思てそこは、黙ったわ」
義妹「そうですね
   目的あるって大事ですもんね」

そして
義妹「旅行のこともあってか最近、元気ですよ
   病院や本屋に歩いて行くようになってますもん
   このぶんやったら服も買いに行かはるのと
   ちがいますか」

気合い入りすぎて旅行までに疲れないか?
2015-03-23 | 記事へ | コメント(0) |
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気遣い
2015年03月22日(日)
昨日、父のお墓参りの後、義妹と話しを
していると

義妹「私から おばあちゃん(母)に話しかけたら
   文句ばっかり言われるんです」

って・・・
母の機嫌が、悪かったのか
邪魔された気分だったのか

でも最近は、義妹も心得たもので

義妹「それで おばあちゃんが、何か言うてきた時だけ
   話をするようにしたら うまくいってます」

老いて ますます自分のペースで
暮らしているような母・・・。

義妹が、気遣ってくれているとは、
思ってもないだろうけど
2015-03-22 | 記事へ | コメント(0) |
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行けるかな?
2015年03月18日(水)
子育て中、着るものは、ほぼ手作りだった母。

なので親しい人と会う時に

”同じ服”は絶対!着ない・・・
というか

着たくない!
という気持ちが強いので
先日も電話で

母「幼なじみが、旅行しようって
  誘てくれてん。
  このごろ調子もええから行こうと
  思うねんけど
  ”服”買いに行かなアカンわ〜」

って・・・

”持ってる服でええやん”
と言いたかったけど

さら「誘ってもらって良かったなぁ〜
   どんどん行きや〜〜」
とだけ言いました。

”服”を買いに行けなくて

「旅行に行かれへん!」

って言い出すんじゃないかと・・・
2015-03-18 | 記事へ | コメント(0) |
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委ねられない
2014年11月13日(木)
家に縛られて自由が、無かったと言った
母ですが、毎日、洗濯を山ほどし
掃除も家中ピカピカに磨き上げるほど
熱心にしていましたから自由が、
あったとしても出かけとは、
思えません

そんな母も最近は、思うように
体が、動かなくなって掃除が、
おろそかになっているので
介護保険で
”ヘルパーさんを頼めないか”と
言ったそうです。

一人で暮らしているものの
弟一家と同じ敷地に住んでいるため
同居扱いになって利用できません。

それで義妹が、
”シルバーさん”
を提案したところ

母「頼んでみたい」
と言ったので お願いしたそうです。

ところが、前日に
母「汚かったら嫌がれる」
と掃除してたと・・・
(言うのは、よく聞く話

来てくださったシルバーさん(もちろん女性)
いい人だったようなんですが、
思うような仕上がりでなかったのか
2回で断りました。

ずっと自分の思うようにしてきたんですから
人に委ねるのは、無理なようです。
2014-11-13 | 記事へ | コメント(0) |
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記憶力
2014年10月27日(月)
義妹とランチした時に聞いた
母の様子というのが、

”記憶力の衰え”

要介護認定の更新で審査を受けたら
記憶力が、格段に落ちていて
全部間違ったそうです。

答えられなかったのか
答えが、合っていなかったのか
そこのところは、よくわかりませんが、
母自身が、一つも正解しなかったことに
衝撃をうけて顔色が、変わっていたとか。

すでに老人性のアルツハイマーと
診断されているものの母自身に
自覚が、ないので

”まだまだ大丈夫”
という気持ちだったろうし
顔色が、変わるというのは、
自覚していないのか
そこまでひどくないと
思っているのか?

表面も内面も良く見せること
ばかり考えてきた母ですから
今度会った時、自分から

「ぜんぜん覚えられへんようになってしもうた」
と言うかな?

言わなかったら私も知らないことに
するだけですけどね。
2014-10-27 | 記事へ | コメント(2) |
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ダメなものはダメ
2014年10月18日(土)
夫と親しい人の中に
”親の介護”
をしに実家に行かれている方が、
複数いますが、皆、奥様が、関わって
いらっしゃらないと聞いて

夫「なんで奥さんは、何もせえへんねん
  奥さんは、夫の親の介護を
  するもんやろ!」
と決めつけるんですが、
それぞれの家庭で
嫁姑のいろんな事情が、
あるんだろうと察します。


「母のことは、弟@長男に任せた」
と言う義妹もずっと嫁、姑の問題が、
あったものの母の世話を拒否したことは、
一度もありません。

それより これまでどれだけ
母が、喜ぶように工夫や努力を
してくれたことか・・・、

それでも母は、嫁を受け入れようとしない
どころか
”私は、誰にも負けない!”
というプライドが、老いたことで
強くなり
”嫁に負けてなるものか!”
と思うらしく
文句を言って
「ほらまだまだ私の方が、賢い!偉い!」
と自分を保とうとしているようです。

これでは、義妹が、何をしてもダメ!

嫁だけが、頑張ってもどうにもならない
ことが、あるんですよね。
2014-10-18 | 記事へ | コメント(2) |
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頼りたいのは
2014年10月08日(水)
甥っ子@弟が、修学旅行に行てきたからと
義妹が、おみやげを持ってきてくれました。

それで2時間あまり おしゃべり
主に母のこと。

誰だって何か決めるとき悩むものですが、
悩むと決められなくなる母。

今では、自分自身が、どうしたいのか
わからないようで
弟に かかとのすり減った靴をみせて

母「こんなことになっている」
と言うだけだったと・・・。

それで
弟@長男「買うんか 修理でええのんか
     買うんやったら通販なんか生協なんか
     百貨店に行くんか どうすんねん」
と提案して ようやく

母「修理して」
となったらしい。

そうやって母に決めさせないと
後から

母「私は、そんなことして欲しなかったのに!」
となります。

それで
義妹「私、○○さん(弟@長男)みたいに
   できませんから
   おばあちゃんのことは、
   ○○さんに任せました」

母は、息子に頼りたいようですからね
それでええやん
2014-10-08 | 記事へ | コメント(2) |
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欠落したのは
2014年08月18日(月)
昔から思っていることが、あっても言わないで
思い通りにならなかったという不満ばかりを
蓄積させていき ささいなことで

”大爆発!”

を繰り返している
母・・・。

老人性のアルツハイマーと診断されてから
不満を忘れることを期待していたのですが、
初盆の”おさがり”を持ってきた義妹が、
開口一番!

「お盆に おばあちゃん怒り出したんです」

原因になったのが、

母「お盆やのに(仏花に)ハスの花が、入ってない!」

ウチだって
”マキ入り”で”ハスの花”
は、入ってませんけど

でも母にとっては、
「常識が、無い!」
ことになるんです。

それをきっかけに

”ああしてくれたら良かったのに”
とか
”なんでこうしてくれへんかった”
と不満噴出・・・。

忙しい中で弟夫婦は、最低限のことは、
してくれています。

それで

弟「したかったら自分でしろ
  でけへんかったらあきらめろ」
と言ったので こちらは、しぶしぶ
納得したようです。

それと義妹が、憤慨していたのが、

母「○○さん(本家の奥さん)は、ええ人やから
  好きやわ〜」
って・・・。

本家の奥さん(母からすれば甥の奥さん)は、
同居歴40年超。
すでに舅姑(叔父叔母)を見送った

”同居のベテラン、できた人!”

なので確かに”ええ人”なんですが、
息子の嫁の前で

 『それは、言うたらアカンやろ!』 

だから義妹に言いました
さら「いくら ええ人でも一緒に暮らして
   母さんが、気に入る人なんかいてないって〜!」
義妹「そうですよねぇ〜」

と笑ってくれたので一安心・・・

もともと思いやりにかけるところのあった
母ですが・・・
欠落したのは、そこですか
2014-08-18 | 記事へ | コメント(0) |
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不満は、無いはずですが
2014年03月02日(日)
母は、何かを決めるとなると
迷うばかりで決められません。

それで義妹が、見かねてした助言に

「そうやね。そうするわ」
と言うものの後から

「私は、そんなことしたくなかった!」
と文句を言うことが、多いので
今後の介護サービスは、母とケアマネさんとで
決めてもらうことにしたそうです。

もちろんケアマネさんに 事情と
弟夫婦の要望を伝えた上でのことです。

で、母が、決めたのは・・・
デイは、しばらく休む
歩くリハビリは、止める
家でお風呂に入りたいので
入浴の介助をお願いする
お弁当は、注文しないで生協を利用して
自分で作る。

というようなことだったようです。

自分で決めたことですから
これで不満は、無いはず・・・ですが、
不満を生み出す人ですから
安心は、できません
2014-03-02 | 記事へ | コメント(0) |
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自分の中から生まれる
2014年02月26日(水)
母が、
「食べるもんが、無い!」
と電話してきた時、こんなことも言いました。

「○さん(義妹)が、孫を遊びに来させへんから
 二人とも 話もしに来てくれへん!」

そうは、言いますけど まだ小さい甥っ子たちが、
母のところへ 遊びに行くと その時は、楽しいのに
後になって
「孫のせいで私のしたいことが、でけへんかった」
という思いを嫁(義妹)にぶつけた母から出た言葉は、
「子供を(本宅の)座敷で 遊ばさんといて!」

ですから義妹は、気を使って本宅に子供を
入れなくなったんですよ。

それでも自分からすすんで孫に話かければ
孫の気持ちもつかめたはずなのに

「おばあちゃんに話しかけられても嫌やろうから」

とか思っているうちに 甥っ子@兄は、中三
甥っ子@弟は、小五 親ともまともに話を
しなような年齢になってしまいましたからねぇ・・・。

それでも私が、話しかけると口数は、少ないながら
笑って答えてくれますから愛想のなかった
お父さん(弟@長男)の中学時代よりマシです。

母も遠慮せず どんどん話しかければいいものを。

不満というものは、自分が、生み出しているんですよね。
2014-02-26 | 記事へ | コメント(2) |
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知らなかったことに
2014年02月22日(土)
父が、母に対して攻撃的になった時、
脳のMRIで前頭葉が萎縮しているのが、
わかりました。

前頭葉は、感情をコントロールするところ
なので攻撃的になるのは、そのためだったのです。

母も義妹に攻撃的になるのは、父と似たような
ことだろうと これまで心療内科を受診して
薬を処方してもらっていたのですが、
先日めまいで入院した機会に
MRIも撮ってもらったそうです。

その診断が、昨日出て先生から
あっさり母に告げられたのは、

「アルツハイマーですね」
だったそうで・・・

弟@長男も
「ショックやったと思うけど・・・」

と言うだけなので母に直接 心境を
聞いてないようですが、プライドの高い母に
私も何も聞けませんし 言えません

母が、自分から言ってくるまで
私は、知らなかったことに
しておきます。

海馬が、萎縮しているそうです。
2014-02-22 | 記事へ | コメント(2) |
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引き受けます
2014年02月19日(水)
母が、近くに住んでいた3年間に
話しを聞くことで母の不満を少しでも
解消できればと思いましたが、3年では、
無理でした。

父への不満も残ったまま
息子の嫁(義妹)から
「こんなことを 言われた」
「こんなことを された」
という思いも消化されず今も同じことを
言って怒りますが、私は、どれだけ
姑に言いたい放題だったわかりません

でも姑は、結婚した時から
”小娘のたわごと”
と思ったのでしょうか 何一つ 怒ることなく
全部 受け止めてくれました。

ある時、それに気づいて
「怒らんと よう聞いてくれてるなぁ〜」
と恥ずかしくなったものです。

お陰で 結婚するまでの26年間に
実家で 溜め込んだ不満も姑が、
吐き出させてくれたので スッカラカンに
なって心に余裕が、できたように
思っています

それを思うと母の不満を解消するには、
83年必要になります。
それは、
無理!

母は、どうにもならないので
義妹が、溜め込まないように
母への不満を 私が、引き受けようと
思うのです。
2014-02-19 | 記事へ | コメント(2) |
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ニックネーム:さら
性別:女性
年齢:50代後半
都道府県:大阪府
結婚して32年書道歴も32年 姑との同居は20年で終了し夫婦だけの生活になりました

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