夫の希望で
2013年11月30日(土)
最初の縁談が、あってから
夫と お見合いするまでの数年間に 
いただいた縁談の お相手は、
”ほぼ!”長男さん
でしたから
まず次男三男さんとの結婚は、
ないだろうと思いました。

そこで同居を覚悟したんです。
その理由は、
「別居してからの同居は、辛いだけ」
どっちみち嫁姑のバトルを するのなら
「どういうものか早く知りたい」
と思ったのと
”引越し”
の経験が、ないだけに
引越しするのが、面倒だったから・・・

で、結婚に向けて話が進みかけても
そんな話題を口にしない私に

夫「なんで親と同居か別居か
  聞かないんですか?」
さら「同居するつもりですが・・・」
夫「同居で いいんですか!」
さら「別居させてもらっても
   いつか同居するんなら
   最初からの方が、いいです」
夫「ボクは、いやです!
  親と離れて暮らしたいんで別居します」
さら「あ・・・そうなんですか・・・
   わかりました」

ということで
舅が、亡くなるまでの10年を
別居させてもらいました。

夫は、
「別居する」
と答えて私を喜ばそうと
待ち構えていたそうなんです
2013-11-30 | 記事へ | コメント(2) |
| 生活 |
まあるい形
2013年11月29日(金)
夫と出合った時に
”自分の片割れ”
だと感じたことは、今も変わらず・・・
というより結婚以来
「間違いない」
と思わせられることばかりでした。

夫の得意なことは、私が、苦手で
夫の苦手なことが、私は、得意!
ということは、全てにおいて
”明確”
なんです

引き裂れた断面、ギザギザの
形が、ピッタリ合って
もともと丸かったとしたら
二人合わせると
まあるい形になるという
イメージです。

それに姑が、元気だった頃は、
私たちの足りない部分を
姑が、補ってくれたので
3人で完全な丸になっていたと
思っています
2013-11-29 | 記事へ | コメント(2) |
| 生活 |
条件ではなく
2013年11月28日(木)
前回前々回と書いたように
夫は、”自営業、趣味有り”と
私が、希望する条件に
ピッタリ!合う人でしたが、
それだけで
”結婚したい!”
と思うわけが、ありません

夫の前に お見合いした人は、
こちらが、話かけても
一言二言返事されるだけ・・・。

会話が、弾まないまま
目的地に到着。
帰りは、努力する気力もなくなって

『もう断るからどうなってもいい!』
と ずっと無言

「ここまで合わない人もいるんだ〜」
と思いましたよ

ところが、夫とは、お見合いの席が、
初対面なのに
「昔から知っているような人」
という感覚が、したんです。

それに合わせようとしなくても
会話が、弾むので
「そりが、合う」
と言うのは、こういうことなのか?
と思いました。

そして一緒に居て全く違和感のない
ことから
「この人は、間違いなく私の片割れだ」
と思ったわけです

お見合いで自分の片割れさんと
出会うとは、思ってませんでした
2013-11-28 | 記事へ | コメント(0) |
| よもやま話 |
もう一つの条件
2013年11月27日(水)
昨日の続きになりますが、
お見合いのお相手に希望する条件で
仲人さんには、言いませんでしたが、
私の中にあったのは、
”趣味を持っていること”
でした。

夫と お見合いするまで30人を超すほど
お相手の釣書(履歴書)をいただきました。
その ほとんどの方が、趣味に書かれたいたのは、

映画鑑賞か スキーかテニスやゴルフ

「現地に行かないとできないものは、趣味じゃない!」
という考えだったので趣味のある人は、いませんでした。

そんんな中で夫が、初めて趣味らしい趣味を
持っている人でした。

結婚したからといって その趣味を
止めることもなく ずっと続けてきて
今は、仕事に負けないくらい情熱を
もって活動してますから

”暇をもてあます”
ということは、ありません

先日の女子会に集まった4人のうち
二人の旦那さんは、定年退職されていて 
そのうちの一人の旦那さんは、定年後
家にいてもすることもなく出かける用も無い・・・
という状態が、続いて
”ウツ”
のような症状が、出てきたそうです。

それで意識して出かけて人とかかわることで
少し改善されたようですが、退職後に
趣味が、ない。
やりたいことない となると
”心を病んでしまう”
こともあるようです。

男性が、仕事をしながら趣味を持つのは、
とても難しいようですが、大事なことだと
思います。
2013-11-27 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
根拠は、どこに
2013年11月26日(火)
30数年前 二十歳そこそこの私は、
母親と一緒に お見合いのお世話を
してくださる仲人さんのところへ伺いました。

仲人さんに
「お相手は、サラリーマンさんが、よろしいですよね?」
と聞かれて
さら「いえ自営業が、いいです」
と答えたら
「いまどき自営業や お商売人さん
 って一番 嫌がれますのに
 お嬢ちゃん!それでよろしんですか?」
というふうに えらく驚かれました。

父が、自営業だったので サラリーマンの家庭が、
どういうものか わからないというものあったのですが、
その時、すでに私は、
「定年後、毎日家に居られるようになるのは、嫌!」
と思っていたんです。

今になって
「ようそこまで想像できたなぁ〜」
と自分でも感心しますし
何を根拠に そこに至ったのか
不思議に思います
2013-11-26 | 記事へ | コメント(2) |
| 生き方 |
気分は”乙女”
2013年11月25日(月)
前回 姑が、亡くなってまもなく
開催した高校の女子会。

その時に”半年後”と決めていたら今度は、
”父が、亡くなってまもなく”
になってしまった"女子会”に
昨日行ってきました

全員集まれば8人なんですが、
今回は、出席できたのは、
半分の4人。

子供たちが、独立した人も多く
自分たちの時間が、持てるように
なったので続けることが、大事!
と予定通り集まりました。

会うとたちまち高校時代に戻ります。
気分は”乙女”
でも会話の内容は・・・
病気のことや保険や年金のこと
定年退職した旦那のこと
などなど・・・
50代の”おばちゃん”そのもの

思い出話もはさみながら話は、尽きません。
半年後にまた開催することを決めて
分かれました。

楽しい時間でした
2013-11-25 | 記事へ | コメント(3) |
| よもやま話 |
念のために
2013年11月24日(日)
喪中のはがきをプリントアウトしようとしたら
プリンタが、動きません。

初めてWin8のノーパソにつなげたので
ドライバーらしい・・・と
ダウンロードしてみたら
動くようになりました。

めでたしめでたし
の、はずが、どうにもカラー印刷が、薄くて
見栄えが、よくないんです。

設定を変えても効果なく
これは、買ったところ(夫の友人)に
聞くしかないと電話をしてもらいました。

すると
私が、プリントアウトしようとしていた
カラーレーザープリンターは、薄い色が、
苦手なんでそうです。

夫の友人「複合機で印刷したらよろしいやん」

複合機ってA4の用紙しか入れられないと思っていました
早速用紙を入れ替えてやってみると

きれい〜!
満足!満足!

カラーレーザープリンターは、濃い色を
印刷するのが、得意だそうです。
去年、年賀状が、きれいに印刷されたのは、
そのせいだったのだと納得しました。

ただレザープリンタのトナーが、たっぷりあるから
インクは、買わなくて済むと思ったのに
念のため買いに行きましたよ・・・
2013-11-24 | 記事へ | コメント(0) |
| よもやま話 |
食べてるだけなのに
2013年11月23日(土)
夫が、朝食にキャベツを食べ続けて 
もうすぐ三ヶ月。
先日76キロ台になった日が、ありました。
それに気をよくして

夫「すごいやろ〜ほめて〜」
さら「何を?
   キャベツを切ってるのは、私やし
   何の努力もせんと出されたモン
   食べてるだけやん
   ”さら”のお陰って言うて欲しいくらいやわ〜」
夫「ちょっとぐらいほめてくれてもええやん
  フン!
  ”さら”のお陰です!」(やけくそ)

キャベツを食べ続けてるのは、ほめてもいいかな?
とも思いますが、73キロ台になるまで
ほめるのは、やめておきます
   
2013-11-23 | 記事へ | コメント(2) |
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経験するしかない
2013年11月22日(金)
夫は、従兄弟の中で一番に親を亡くしました。
なので通夜、葬儀の手伝いに来てくれたのは、
舅、姑の兄弟(夫の叔父叔母)ばかり。
頭数は、あっても座布団を暖めるだけで
動いてくれる人が、いないため喪主の夫が、
休む間もなく動き回っていました。

それで従兄弟たちに声をかけたのですが、
「仕事で行けない」
と 誰も手伝ってくれなくて
忙しいばかりで別れを惜しむ間もない
疲労こんぱいの二日間でした。

それなのに その後 手伝いを断った
従兄弟たちは、親を亡くすと
「もうふらふらや〜助けて〜」
と夫にすがってきました。

気のいい夫は、嫌味を言うこともなく
手伝いに行きましたが、
喪主の大変さは、経験しない限り
実感できないことを感じていました。

それで父が、亡くなった時も
弟@長男は、町会の通夜葬儀に手伝いに
行っている経験が、あって
「なんでも知っている」
と自信からか
さら「いろいろ大変やよ」
と言っても
弟@長男「そんなん葬儀屋に 任しといたらええねん」
で、済まされてしまったので
さら「やっぱり大変さは、なんぼ言うてもわかれへんよねぇ」
と、それ以上何もいいませんでした。

しかし二七日(ふたなぬか)の日
弟@長男「みんなのお陰で楽さしてもろてたはずやのに
     最後は、疲れ果ててぶっ倒れそうやった」

やっぱりね
2013-11-22 | 記事へ | コメント(2) |
| よもやま話 |
”お付き合い”の仕方
2013年11月21日(木)
実家は、分家だったので父が、初めての
”ほとけさん”
なので母もお寺との付き合い方を知りません。

同じ宗派でも”お寺”によって異なるらしいのに
宗派まで違っては、義妹に何も教えてあげられなくて
もどかしく思っていましたが、義妹は、迷わず
本家の奥さん(最年長の従兄のお嫁さん)に
聞きに行ったそうです。

本家の奥さんは、姑である叔母に お寺の付き合い方を
叩き込まれたうえ 父の長兄にあたる叔父も叔母も
見送った大ベテラン!
とても詳しく教えてもらったそうです。

で!義妹曰く

「知らないことばっかり」
だったそうで ちょっと聞いただけでも
ウチのお寺と違って
”うらやましく”
思う部分もありましたが
実家は、先祖代々住んでいるところなので
お寺も地域に密着している分 付き合いも
おろそかにできなくて大変そうです。
2013-11-21 | 記事へ | コメント(0) |
| よもやま話 |
使い分け
2013年11月20日(水)
喪中のはがきを出さないつもりに
していたのですが、姑を送ってくれた親戚や 
お供えなど下さった皆さんには、
出さないのも失礼かと思って
準備をしていたところ
父が、衰弱しはじめたため
作業は、中断したままに
なっていました。

なので父の名前を書き加えて作業再開です。

私の父が、亡くなった時は、
夫側の関係者には、知らせなくても
いいと思っていたので
私だけの名前の喪中ハガキにするつもり
でしたが、夫婦連名に せざるを得なく
なるとは・・・。

友人からは、年賀状を いただきたいので
予定通り出しません。

寒中見舞いも製作して使いわけます
2013-11-20 | 記事へ | コメント(0) |
| 生活 |
今は、必要
2013年11月19日(火)
寒がりだった姑は、冬になると
出かける私に
姑「マフラーは!帽子は!」
と毎回のように言いました。

でも当時は、本当に頭や首筋に寒さを
感じなかったので

さら「要らん要らん!」
と断っていましたけど・・・病気になってからは
血圧を上げないためにもマフラーや帽子、手袋は、
欠かせません。

出かける時は、もちろんのこと
お風呂上りや、朝、起きたときには、
体を冷やさないように家の中でも
マフラーをしていることもあります。

年々 寒さには、弱くなっているような
気もしますから何年か先には、姑のように
若い人に向かって
「マフラーは!帽子は!」
と言っているかもしれません
2013-11-19 | 記事へ | コメント(0) |
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こんなもんでよさそう
2013年11月18日(月)
先週、バタバタしている最中に植木屋さんから
「明日、行かしてもらいたいんですけど〜」
という電話が・・・
翌日は、朝早くに出かけるので
さら「留守ですけど それでもいいですか?」
植木屋さん「よろしいですでぇ勝手に入らしてもろて
      葉狩りしときますさかい」

姑が、居たら
「そんな危ないこと」(何が、危ないのやら)とか
「失礼や」とか言って まず!できなかったことです。

植木屋さんが、仕事をしている最中も
姑「隣に落ちた葉を掃除しとかなアカン」
とか言い出して
植木屋さん「後でしますから そのままにしといてください」
と言われても
姑「『てっとうて(手伝って)くれはれへん』
  と思われたらアカンから」
と動きまわりましたが、私は、全てお任せ!

それでも日が暮れるまでには、終わりました。

台風で倒れた木も抜いてもらいましたし
虫と落ち葉で困っていた梅は、枝を払って
サッパリ!
落ち葉と雑草で埋もれていた地面も顔をだして
茂った葉で隠れていた空が、一気に広がりました。

姑みたいにきれいな庭には、できませんが、
適当に草を抜いて適当に水をやって
適当に庭を掃いて・・・
その程度の手入れでも

『なんとかなりそうやなぁ〜』
と ちょっと安心する私
2013-11-18 | 記事へ | コメント(0) |
| よもやま話 |
私は、見えない
2013年11月17日(日)
父が、亡くなった時、一番に駆けつけてくれたのは、
最年長の従兄。
次に来たのが、弟@次男。

二人になった時
弟@次男「朝、会社に行く車の後ろ(後部座席)に
     ”おとん”が、座ってるのが、見えたから
     ”今日やな”と思いながら出勤してん。
     そしたら兄貴から電話かかってきたから
     びっくりせえへんかった。
     こんなこと他人に言うても
     ”頭、おかしいのと違うか〜!”
     て思われるだけやから言われへんけどな

(※と、言うことなので信じない方は、スルーしてください)

弟@次男は、子供の頃から私には、見えないものが、
見えていました。

でも見えないので理解できず傷つけるようなことを
言ってしまったことに成人してから気づいて
罪滅ぼしに子供の頃に見たことを聞くように
なったのは、結婚してからのように思います。

”見えないものが、見える”ことを
一番信じていなかったのは、父でした。

頭ごなしに否定して聞く耳を持たない・・・
(というのは、これに限ったことでは、ありませんが

その父が、弟@次男のところへ行って
いるのですからどんな気分だったかを
父に聞きたいものですが、逆に

「お前のとこにも行ったのに気づいてくれへんかった!」
と文句を言われそうです

ちなみに弟が、見えるのは、
”血のつながりのある人だけ”
らしいです。  
2013-11-17 | 記事へ | コメント(2) |
| 実家 |
自分の時間
2013年11月16日(土)
父の通夜で久しぶりに会った叔母(母の妹)も
今年のはじめに姑様が、亡くなっていました。

大舅、大姑様まで健在の大家族へ嫁いた叔母は、
間もなく大舅様の介護が、始まり その後、姑様が、
亡くなるまで47年間も続いていたということを初めて
聞きました。

これまで そんな苦労を微塵も見せることなく
自宅でできる小商いをしながら いつも明るかった
叔母は、介護生活から開放されると
自由すぎて時間の使い方が、わからず
”ウツ”
になってしまったそうです。

2、3日前から気分が、良くなっていたので
通夜に来ることが、できたということでしたが、
覇気のない顔つきをしていましたから
翌日の葬儀は、無理かもしれないと
思っていたのに来てくれたのです。

そして初七日直前まで いろんな人と
いろんな会話をすることが、できたことで
帰る頃には、以前の叔母のような
明るい顔つきになっていました。

介護に明け暮れて自分の時間を持てなくても
不満に思うことなく充実していた叔母と
父のせいで自分の時間を持てなかったと
嘆く母・・・。

人は、自分のために生きるように
なっていないのかもしれないと
思わされました。

来月の四十九日の法要に来てくれる
ことで叔母の元気が、続くことを
願っています。
2013-11-16 | 記事へ | コメント(0) |
| 生き方 |
これからどうなる
2013年11月15日(金)
父の兄弟で残っているのは、一番下の弟の叔父だけ
になりましたが、同じ町内には、従兄弟も数人住んで
いるので父の仮通夜には、全員弔問に来てくれました。

そんな父と血のつながりのある人たちが、揃っている
ところで

母は、父が、亡くなって
「これで楽になった」
というようなことを言い放ちました。

叔父は、かなり気を悪くしていたようですが、
母は、気づきません。

母にとって父の存在が、苦痛だったことを
皆、同情してくれていると思っています。


父は、認知症ではなく”認知障害”でした。
”かもしれない”と思ったことが、
現実だと思い込んでしまうのです。

それで
「不倫をしているかもしれない」という
心配が、
「不倫をしている」「今までも不倫していた」
となって母を責めました。

最近、母も そんな思い込みを するように
なったと義妹から聞いていたのですが、
自分の思いを平気で口に出してしまう
のは、やっぱり おかしいと感じました。

これからどうなっていくのやら・・・
2013-11-15 | 記事へ | コメント(0) |
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自然な形で
2013年11月14日(木)
姑も父も やせ細って最期をむかえましたが、
姑は、認知症による食欲低下
父は、嚥下障害と食べられなくなる原因は、違って
いました。

ただ どちらも老化によるものには、変わりありません。

父が、居たグループホームは、医院が、開設された所だったので
健康管理は、とてもキチンとされていました。
なので家にいるより長生きしたと思います。

それでも死亡を確認に来られた先生は、

「これ以上手はつくせませんでした」

というような説明をとても遠慮がちに言われるので
こちらからハッキリ!
さら「老衰ですよね」
先生「ハイ」

それで十分です。
なによりも病院と違っていろんな管につながれることなく
自宅に居るように自然な最後だったことが、良かったと
思っています。

でも先生に一言いいたいご家族も いらっしゃるんだろうな〜
と先生の態度から感じました。
2013-11-14 | 記事へ | コメント(0) |
| 思い |
歩み寄り
2013年11月13日(水)
先日、記事にした
”真珠のネックレス”
を父の通夜に初めて使いました。

母と義妹に
「コレ、お母さん(姑)のネックレス」
と見せながら いきさつを話すと
義妹「いいですね〜!
   私のもグレーやけど これ偽モンの真珠
すると
母「そしたら私のは、○○さん(義妹)にあげるわ」

母の口から そんな言葉が、出るなんて〜〜!
姑のネックレスの効果なのか
父から開放されて母の気持ちが、変わったのか?

”犬猿の仲”
だと思っていた二人も
母は、衰えてきましたし
義妹は、母を扱うコツをつかんだようで
最近は、上手くやっているようで
少しずつ歩み寄っている感じが、します。

ただ母は、突然!豹変しますから安心は、
できませんが・・・
2013-11-13 | 記事へ | コメント(0) |
| 実家 |
いい時間
2013年11月12日(火)
子供の頃からの父に対する不満は、
認知症によって親戚にまで混乱させ
迷惑を かけることで増していく
ばかりでしたから
父が、亡くなった時には、

「あ〜清々した」

と涙を流すことも無いと思っていたのに
父が、弱り始めるといろんな思いが、
沸いてきて悶々とした日々を過ごしました。

でもそれから半年ほどの期間を
与えてもらったお陰で気持ちの
整理が、でき 父に対する思いも変わって
何の わだかまりも無く別れの日を迎えられました。

そして通夜で
「自分の子供より よその子を 可愛がる人やった」
と言う私に従姉が、ハッキリ!
「親ってそんなもんやよ。私も 父親に可愛がってもらってないもん」
と言ってくれたことで
「どこも そうか!」
と納得したり

年の離れた従妹には、
「おっちゃん(父)が、犬と一緒に山へ連れて行ってくれたから
 虫が、大好きになった」
と言ってもらい

斎場に行くマイクロバスでは、
叔母や従姉との会話から
父の計らいで共通の思い出が、
たくさんあることに気づかされて
”いい面”を思い起こさせて
もらいました。

そして
認知のせいで迷惑をかけた
親戚に謝ると
「それは、しかたのないことよ」
と言ってもらえましたし

義妹も
「いろんなことが、あった分
 思い出が、いっぱいありますね」
って・・・

いい通夜、葬儀でした。
2013-11-12 | 記事へ | コメント(2) |
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言葉通りに
2013年11月11日(月)
今月 最初の土曜日に義妹(弟の妻)が、やってきて
「おじいちゃんが、食べられなくなっている」
と言いました。

その3日後の夕方 今度は、弟@長男が、

「すっかり やせ細ってしまったし今日は、反応も無い」
と知らせに来ました。

翌日に行くと父は、わずかに回復していて
かすかに反応が、あって
ずっと私を見つめていました。
ただ看護士さんから

「心拍数も少ないく血圧も上が、70もありません」

と言われたので 近いことを実感しましたが、
翌日は、予定が、あって来れないため
「持ちこたえて」
と気持ちをこめて

さら「また来るから それまで頑張ってな
と言って帰ると
翌日、なんとか持ちこたえてくれました。

そしてその翌日、10時には、父のところへ
行くつもりで支度をしていると

弟@長男「グループホームから電話が・・・」

と急を知らせる電話が、あったので すぐ向かい
ましたが、父を見た時

「魂が、抜けている」
と感じたのです。

職員さんは、
「先ほどまで意識が、あったので・・・」
と声を掛けてくださったのですが、ダメでした。

私は、間に合わなかったと思って
その様子を後から来た弟@長男に 伝えると

「それは、間にあってるで」

弟@次男も
「ねえちゃん来るの待って逝ったん違うか」
と・・・。

最後に私の言った通りに してくれたのかも
しれません。

昨日 父の お葬式でした。
2013-11-11 | 記事へ | コメント(0) |
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効果あるらしい
2013年11月07日(木)
時々
”電気代が、安くなる”
という電話が、かかってきます。

その日は、若い男性からでした。
 いつものように
「要りません」
と言って切ろうとすると・・・
「話を聞きもしないで切ろうとするのは
 失礼では、ありませんか。
 大人の対応してください」
だって・・・

この人セールストークに”かなり”自信が
あるようで 堂々と しかも偉そうに

「お得なんですよ!」
を強調して引き下がりません。
ついに
「お宅に伺って どれだけお安くなるか
 シュミレーションを・・・」
と言い出しました。

そうさせまい!
と 考えたのは、
「親の介護で大変!」
という設定。
実際 姑が、居る時は、それを理由に
断っていましたから

それで思わず口に出たのが、

 「今、いろいろ思い悩むことが、あって大変なんです!
 そんなことに時間とってられません!!!」
 


すると小さな声で
「あ、そうですか・・・」
と あっさり引き下がったので
びっくり!

効果が、あったのは、文句?口調?
何だったの?
2013-11-07 | 記事へ | コメント(4) |
| よもやま話 |
アクセサリー談義2
2013年11月06日(水)
姑が、宝石に興味が、無かったように
私も なにげないアクセサリーしか
持っていません。

だからなのか駅前の貴金属店の広告が、
入ると よく

姑「この中やったら どれが、欲しい」

って 持っているものよりグレードの低い
商品・・・。

写真で見たら大きいので姑には、
私が、持っているのより いいものに
見えたようなんです。

いつも やんわり断っていましたが、
何度も言うので

さら「買いに行ったら他のと見比べて 絶対!
   高い方が、ええと思うに決まってるねん。
   何十万もするのを 欲しいって言うたらどうする?」
姑「そんなん よう買うたらん」
さら「せやから買うたげるって言わんでええよ」
と・・・

で、その後、姑が、
「さらちゃん!このペンダント買うたげるわ!
 これやったら値段もちょうどええし
 さらちゃんも好きやから してくれるやろ!」

と新聞の通販で買ってくれたのが、コレ↓

スヌーピーのペンダント
旧ブログでも紹介したことが、あるんですが・・・
私の好きなキャラクター

これは気軽にしていけて とても重宝しました。
それでもスヌーピー自体は、プラチナ
鼻は、オニキスと ちゃんとした
アクセサリーなんですよ
2013-11-06 | 記事へ | コメント(0) |
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アクセサリー談義1
2013年11月05日(火)
姑のアクセサリーの中で たった一つ
私が、欲しかったのは、
”パールのネックレス”
なんです。

同居して間もなく姑が、
「この年になったら白い真珠のネックレスは、
恥ずかしい」
と言って淡いグレーのものを買い求めました。

とっても上品な色だったので
最初に見た時から

「こんなん欲しいな〜ぁ!」
と思っていたので姑が、

「好きなん取りや」
と言ってくれたとき

さら「真珠のネックレスだけ頂戴!
   他のは、ぜんぜん欲しいと思えへんから
   要らんし」
とハッキリ言ったんです

姑は、
「そんなこと言わんと〜他のも
 もろてえなぁ〜(貰って)」
と笑っていましたけど。

今見ても とってもいい色しています
やっぱり これだけで充分です
2013-11-05 | 記事へ | コメント(2) |
| 生活 |
心地よさ
2013年11月04日(月)
着飾ることを好まなかった姑は、
”宝石”
とうものも欲しがりませんでした。

ただ”身だしな”みとして ある程度の
アクセサリーは、持っていたのですが、
小柄で華奢だった姑より全てにおいて
大きい私には、姑の指輪や時計は、
合いません。

それに姑が、元気な時から
「私が、死んだら好きなん取りや」
と言ってくれていましたが、その時から
ある一つのネックレス以外は、要らないと
言っていたんです。

それで甥っ子君への”出産祝”を義妹に届ける時、
渡しぞびれていた姑のアクセサリーを
持って行きました。

義妹は、気を使って
「さらちゃん、使えへんの」
と言ってくれましたが、時計も指輪も義妹に
ピッタリ!!
義妹も「私ってお母ちゃんと一緒やったんや〜」
と驚いていました。

あまりにもピッタリだったので
やっぱりこれらは、義妹のものに
なるべきだったんだと思えて
心地よかったです
2013-11-04 | 記事へ | コメント(0) |
| 生活 |
姑の”気持ち”
2013年11月03日(日)
去年、納屋を片付けた時、出てきた

「○○君(孫=義妹の息子君)に あげて」
と書かれた箱を
”としあえず” 
台所の収納に仕舞い込んだことを
出産祝と一緒に持っていってあげるものは、
ないかと考えていた時に思い出しました。

箱の大きさ厚みからスプーンセットだと
思っていましたが、そこに書かれてあったのは・・・

「銀製のスプーンセット
 ○○君が、所帯を持ったら あげてください
 小さいスプーンは、使用しました」
って・・・。

思わず
「小さいスプーンって一番使うのに
 自分勝手やなぁ〜!」
でも姑らしい

中途半端なスプーンセットですけど
姑の気持ちですからお祝いと一緒に
義妹のところへ届けると
それを見た義妹も 大笑い

銀製品は、色が、変わりやすいので
かなり黒ずんでいるものと思いましたが、
部分的に変色しているだけで
かなり きれいでした。

はたして甥っ子夫婦は、喜んでくれるかな?
2013-11-03 | 記事へ | コメント(0) |
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ハッキリしてスッキリ!!
2013年11月02日(土)
姑の年金を止める手続きをしたときに

「亡くなられているご主人(舅)が、掛けたもの
 ”かもしれない”年金が、残っています」

と言われて手がかりになるのもを探していたら
1年余り年金を掛けていない時期が、あることも
わかったので

「抜けているのもあるかもしれない」

と ちょっと本気になって調べてみました

すると気になる点が、いくつかあったので 
それ以来

”ハッキリさせたい”

とモヤモヤしていたんです。

昨日やっと年金機構に行くことが、できて
その気になる点を全部調べていただきましたが、
何も出てきませんでした。

丁寧に調べてくださったので
申し訳なく思うほどです

お陰で
「何も無い!」
ことが、ハッキリしたので 
スッキリ!!しました
2013-11-02 | 記事へ | コメント(2) |
| 後始末 |
どこかで思い切らないと
2013年11月01日(金)
結婚するまで洋裁の仕事をしていたので
自分の服も ほとんど縫っていました。

結婚後は、同じマンションの洋裁を趣味とする
同年代の奥さん達と楽しむ程度になって
そのうち全くミシンを踏むことが、
なくなってしまいました。

普段着など色あせるほど着たものは、
処分したものの いい生地で縫ったもの
あまり着る機会の無かったものは、
捨てられず今も 押入れに眠っています。
手作りのものは、なかなか捨てられません。

そんな話を生協の時にしたら

「とりあえず写真に撮って それから考えたら」
と・・・。

お子さんが、学校で作った作品なんかを
写真に残されていますものね。

そうは、思いながらなかなか実行できませんでしたが、
大事に残しておいても30年も前に縫った服を
今更着ることもないですし やっぱりそれが、
一番 いい方法のようです
2013-11-01 | 記事へ | コメント(0) |
| 生活 |
 

ニックネーム:さら
性別:女性
年齢:50代後半
都道府県:大阪府
結婚して32年書道歴も32年 姑との同居は20年で終了し夫婦だけの生活になりました

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