伝わらない悲しさ
2013年06月07日(金)
伝えるべきなのは、両親であって ココに書いたところで どうすることも
できないことも よくわかっているんです。

でも 人の意見を聞くと見下されると思い込んでいる父と
自分の価値観に鎧を着た母には、何も伝わらなかったのです。

父のために 母のためにと言えば言うほど父は、
「親に意見するな!」
と怒りました。

認知症の初期には、母だけでなく私の言うことも気に入らないと
親子の縁を切るとまで言いましたから
「何も伝わらなかった」
という虚しさを残し 娘を憎いと思ったまま父が、旅立っていくのかと思うと
伝えたかった思いが、あふれ出て書かずにいられなかったのです。
2013-06-07 | 記事へ | コメント(2) |
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認めること
2013年06月06日(木)
自分は、賢い!と自負し なおかつプライドの高い母は、
他人の欠点ばかり探し出して
「あの人は、アレできない」
「こんなことも知らない」
「あの人のすることは、なってない」
と批判することで自分が、出来る人であることを 確認して安心している
ような感じが、します。

しかし姑は、
「私は、ちっとも かしこない」
と、決して他人を批判したり さげすんだりしませんでした。

しかも堂々と
「私は、何も知らんから 教えて〜」
と言い 教えてもらって人には、
「何でも知ってて偉いなぁ〜」
と褒めました。

本当に賢いのは、姑のように自分を低く出来る人 そして
自分の欠点を認め他人の良いところも認められる人だと思います。

そこまで わかっていますが、悲しいかな私自身、母の素質を
受け継いでいるので姑の域には、ほど遠いです
2013-06-06 | 記事へ | コメント(2) |
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私たちの判断
2013年05月28日(火)
以前 旧ブログにも書いたことですが、私たちは、延命治療(胃ろう)を
しないと決めました。

ですから姑は、充分な栄養が、摂れなくて衰えていきました。

少しでも生き延びる可能性が、あるのなら延命治療(胃ろう)も
すればいいと考えている方には、
「衰えていくのを見ているだけなのは、冷酷だ」
と思われるかもしれません。

でも夫と話し合って私たちは、
”自然に任せる”
方を選んだのです。

姑自身も元気な時に 
「延命はしなくていい」
と言ってましたから迷いは、ありませんでした。

どんなに医学が、発達しても永遠の命は、得られません。
遅かれ早かれ命は、尽きます。

私たちは、衰えていく姿を見しっかり見届けることにしたのです。

姑は、衰えていきながら最後まで きちんと生きました。
そして苦しむことなく実にみごとに人生の幕を下ろしました。

私たちも2時間前に会っていたので悔いは無く
自然に任せて本当に良かったと 満足しています。
2013-05-28 | 記事へ | コメント(2) |
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日々修行
2013年05月23日(木)
姑が、旅立って知る仏様の世界・・・続きます

お葬式の時に亡くなった時の年齢を「享年○○」という言い方をされますが、
仏教では「行年」という表現をするんですよね。

過去帳にも そう書かれていたのに関心が、無かったので今まで全く
気づきませんでした

でも「行年」という表現の仕方に

「ああそうか!生きるということは、日々修行!なんだ」

と納得した私

そう考えると
「人生は、しんどいもん」
「楽に生きられないもん」
ということのようで

悩み多い人生をどう生きるか、なんですね。
2013-05-23 | 記事へ | コメント(0) |
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ニックネーム:さら
性別:女性
年齢:50代後半
都道府県:大阪府
結婚して32年書道歴も32年 姑との同居は20年で終了し夫婦だけの生活になりました

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