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ニックネーム:さら
年齢:50代
都道府県:大阪府
同居して20年。結婚して30年という節目の年に88歳の天寿を全うして姑は、旅立って逝きました。

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バイオグラフィー
2012年03月17日(土)
甘いものの制限から
一日にアメ10個と決めても しばらくは
「10個も食べてない」
と言い張ったり

「アメ買いに行くからお金ちょうだい」
と言いに来たり・・・

それでも我慢強く
さら「10個以上は、ダメです」
と言い続けていたらある日 夕飯を作るために台所で行くと姑が、いません。

そのうち帰ってくるだろうと思っていましたが、なかなか帰ってこないので
「とうとう道に迷ったか?」
と心配していたら夫が、帰ってきて

夫「オカン、こんなもん買うてきよったで」
と見せられたのは、アメ2袋と缶入りクッキーとインスタントのおみそ汁でした。
それで
さら「え〜!まだお金持ってたんや〜〜!」

目につくところにあった小銭は、500円ほどを残して取り上げたので
買い物に行けないと思っていたので不意打ちを食らった気分です。

翌日、姑が、デイに行っている間にまだあるかもしれない小銭探しを
しました。

すると押入から避難袋にした手提げ袋やカバンが、出てくる出てくる!
全部で10個近くありました。
その全てに入っていたのが・・・
下着(パンツ)、靴下、タオル、カイロ、アメ、手帳、鉛筆、テッシュ、そして小銭。

前に用意したことを忘れて大きな災害が、あるたびに用意しては、
「こんで安心や」
と思っていたんだと思いますが、小銭に混じって出てきた千円札は、
夏目漱石さんでした
何年前に用意したのやら・・・。

でもさすがに聖徳太子さんは、いらっしゃいませんでしたが

アメもカチンコチン、カイロも使用期限切れ、そんなモノは、処分して
下着や靴下、タオルは、洗濯してタンスに戻しました。

ただ一つだけは、避難袋として残しました。

空襲で家を焼かれている姑にとって逃げる(避難する)ことは、日常でした。

まして二十歳で終戦ですから忘れるハズが、ありません。
避難袋を処分しながら姑の消えることのない記憶の悲しさが、身にしみました。

2012-03-17 10:37 | 記事へ | コメント(2) |
| |
2012年03月18日(日) 16:00 by ぷよぷよ
認知症になっても、戦争の記憶は無くならないってのも、少し悲しくなりますね。

ウチのバーは82で、痛い所もなくボケる事もないほど私より記憶がいいです。
主人曰く「俺の代が来ねーぞ!!」と言ってます。
元気なのは良いんですけど、うるさくて苛ついてきます。


ぷよぷよさん
若い頃の記憶が、一番確かなようです
姑も82歳の頃には、まだまだしっかりしていましたから
ボケるなんて思いもしませんでした。
記憶のない人を相手にするのも大変ですが、今まで姑に縛られたことから
解放される部分もあって悪いことばかりでは、ありません

うるさくて苛つかれるのもよ〜〜くわかります。
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